なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集

むしろ「人生を棒に振る」と確信しました。

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はじめまして。私は大学に通学している学生です。あるきっかけでこのサイトとの御縁がありましたので、拝見させていただきました。

私は2月程前にサークルに勧誘されました。大学のキャンパス内を歩いていると声をかけられたのですが、最初は社会調査的なアンケートに対しての返答でした。しかし、次第に社会的な批判の話が始まり、社会の矛盾性を強調しだしました。そして「人生の目的」について話し出すようになり、「自殺してはいけないのは何故か?」という説明を受けました。

この時点でまず不思議に思ったことが、その説明されてる方の言動です。話を聞いていると、「あれ?その部分さっきも聞きましたよ・・・」ということを何回も繰り返し話し出すのです。それも初めて話すかのように、浦島太郎の話や夏目漱石の話等をまるでロボットのように繰り返すのです。会話というよりも一人トークを延々と聞いている感じでした。そして、その日からゼミが始まったのですが、それ以降私は毎日缶詰状態で仏法を聞くようになりました。(仏教に関しては何の説明もされなかったので、これに関しては後に気付きました。)

仏法の説明は非常に分かりやすいものでしたが、それはあくまでも知識として入ってくる程度のものでした。仏教の根幹である因果の道理、六道輪廻、信心決定、必堕無間等の単語は覚えることは容易です

しかし、説明できないものは仏教にはないという割には、肝心要のその語意について質問すると別の用語を持ってきては同じことをクルクルと説明するだけなのです。「それで結局どういう意味なんですか??」と嫌悪の念を覚える程同じことをロボットのように繰り返すのです。

そして、最終的に弥陀の本願という言葉で締めくくろうとするのです。意味不明なので、「それでは具体的にどういう現象なのでしょうか??」と聞いても「それは経験者にしか解らないのだよ。」と答えます。「解らないのに何故、そのように悟った者の様な言い方、核心に満ちた言い方をするのだろう??」と私の心は嫌悪感を超えてむしろ悲しくなりました。

私が余りにも質問攻めをするもので相手は大変困っていました。というのも、仏法の話を聞いているだけであれば私も黙って聞いていることができますが、「神や占い、手相は迷信、邪教でありこれに関与する者は皆地獄に堕ちる」という説明をするのです。キリスト教もイスラム教も迷信、邪教だと言い、皆地獄に堕ちていくんだと聞いた時にはさすがに反論してしまいました。あげくの果てには「親鸞聖人の教えこそが仏教である。仏教の中でも浄土真宗(浄土真宗総本山を否定しているところを見ると親鸞会)以外は皆、必堕無間である。」と言い出すのです。

「一体、何様のつもりだ!!」怒りの念がこみ上げて来るのを抑えることができませんでした。私にはキリスト教の友、イスラム教の知人もいます。私は仏教に身を置く人間ですが、他宗教の方たちをどうすればあのように否定できるのか理解に苦しみます。宗教の一つにたまたま自分が属しているにしか過ぎないのですから。

親鸞学徒こそが救われる存在だと思い込んでいる方達がお話されると、思わず「井の中の蛙」という言葉が浮かんでしまいます。彼ら親鸞学徒は、世界中に広まっているキリスト教をも高台から見下ろしている気持ちに浸っているのではないでしょうか??あらゆる物を否定することによって、自分こそがNo1だぞと思い込みたい雰囲気が漂っているのが見てとれます。非常識にも程があります。「そんなに周囲を否定していないと不安なの?」と思わず声に出しそうになるくらいです。

私は宗教の規模は問題ではないと考えますが、どのような宗教であれ、それで人が幸せなのであればそれでいいと感じます。「アフリカの民族は皆地獄に堕ち、エスキモー族も皆地獄に堕ちる。何故ならば、かなしいかな彼らには親鸞聖人の御教えとの御縁が無いからである。」この言葉には驚かされます。世界にはキリスト教やイスラム教意外にも民族的なアミニズムが沢山存在しますし、各地域に応じたはるか昔からの知恵というものがあります。

「親鸞学徒万歳!!」と言わんばかりに周辺に必堕無間を叫んでいる姿は痛ましい限りです。他者に地獄に堕ちてもらわないと安心できないのでしょうか??そうしないと、自分が選ばれた者のように感じることができないのでしょうか?そのような狭い思考を続けるといずれ全てのものをも失いかねません。時間、労力に資金、そして自分そのものを。

彼らが今後とも全世界を否定して進んでいくのであれば、いつしか転ぶだろうと感じます。浄土真宗もあくまでも宗教の一角でしかないのだと感じます。それをしっかりと認識しないと危険です。親鸞会に入ってその方たちが幸福なのであれば、それはそれでいいでしょう。しかし、私の目には誰も幸せそうには写りませんでした。必堕無間、必堕無間と叫びながら必死に救われようとしがみついている姿のようにしか見えませんでした。

私はこのサークルで色々学ばせて頂きました。しかし、それらは皆机上の空論というものです。「この道では決して人生の目的は達成できない」と私は感じます。むしろ「人生を棒に振る」と確信しました。今日このサークルから抜けるつもりでいます。何故ならば、これは私にとって正しい道ではないという直感がはたらいたからです。

このサイトにお会いでき感謝しています。それでなければ私もズルズルと納得のいかない学生生活を強いられていたでしょうから・・・最後に彼らの行為は人を傷つけるだけではなく、自らを破壊する行為であるということに気づかなければ大変なことになるでしょう。特に学生は社会的にも内面的にも色々吸収するチャンスで溢れていると思います。広くこの世界を見ることができないと、狭い狭い自己に気付いた時にはもう手遅れかもしれません。その時にはもっとその教えにしがみ付こうとするでしょうから・・・この中毒的サイクルから脱しない限り、いつまでたっても自立した一人の人間として社会に貢献できないでしょう。

いつまでも子供のままではいけません。大変長い文章になってしまいましたが、読んで頂けると大変嬉しいです。色々書きたいことがあるのですが、感情が先走ってしまいどうも上手く仕上げることができません。申し訳ありません。また、色々コメント頂けると幸いです。

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