なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集

勧誘において仏教を聞いているという自分たちの立場を明確にしないことを改善したいと思っています。

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現役の幹部の方からのメール

管理人です。

ある学友部の現役幹部の方とメールのやり取りを続けてきましたが、その方の意見を聞かせて頂き、いろいろ考えさせられることがありました。

今まで、いくら意見をのべても、親鸞会会員から、誠意ある回答が得られず、親鸞会の幹部の多くは、「親鸞会が間違っているハズがない」と思っているように感じていましたが、「このような幹部の方もおられるのだなぁ」と少し驚き、嬉しくも思いました。

あらためて申しますが、私がサイトを立ち上げた目的は、親鸞会を感情的に非難する為ではありません。「親鸞会など早くつぶれてしまえばいいのだ」などとは思っていません。

親鸞会と出会い、明るく喜びの人生になった人や、自殺を思いとどまり、今は元気に暮らしている人を私は何人も知っています。それらの人にとって、親鸞会との出会いは救いだと思います。

一方で、親鸞会の活動により、苦しい思いをしている現役会員さんや、元会員さん、また、その家族や友人の方々が、数多くおられます。ですから、私は親鸞会に、問題あるべき部分を自覚してもらい、よくなってもらいたいと思い、今まで意見を述べてきましたし、これからも親鸞会に訴えかけてゆくつもりです。

現役会員の方々にとって、親鸞会について、おかしいと感じることがあっても、会の中で批判の声をあげるのは、極めて難しいことだと思います。そこで、この方の意見で、是非、親鸞会に届けたい部分がありましたので、投稿を依頼したところ、快く承諾して下さり、文章を送って頂くことが出来ました。

この幹部の方の意見を聞くことにより、同じようなことを考えている学友部員の皆さんは、「こんなことを考えていたのは、自分だけではなかったんだ」「自分が悪い訳ではないんだ」と、救われることと思います。

また、何よりも講師部の幹部の人たちには、学友部の現役幹部の方が思っていることを知り、今後の活動のあり方を、よくよく考えて頂きたいものです。

では、以下に送られてきた文章を掲載させて頂きます。


関東の学友部の現役幹部です。

本サイトを含め、親鸞会に対する関連サイトを読ませて頂きました。

話題になっていることを私なりにまとめてみますと、教義面と布教面の2つに大きくわけられると思います。この2つについて、教義面に簡単に触れてから、私の信仰上の立場を明らかにし、その上で布教面(特に学友部)について、私の意見や感想を、以下のようにまとめ、申し上げたいと思います。

1.信仰上の立場
2. 学友部の勧誘における言動について

1.信仰上の立場

まず、教義に関して因果の道理は大宇宙の真理だと論理的に納得したのではなく、宗教的に信じているのだということですが、その通りだと私も思います。

第一印象として、長年、親鸞聖人の教えを聞いている人たちの中に、そのことを自覚していない人がいるんだなというのが正直な感想です。

お釈迦様は仏様ですから、仏様が教えられたことにわからないことがあるのは当然で、親鸞聖人でさえ「仏意測り難し」と仰られることもあります。猫に小判、豚に真珠で私たちに智恵がないからわからないのです。

ですから、私は三世因果の道理、真実の自己、そして、後生の一大事を説かれたお釈迦様のみ教えを信じ、その後生の一大事が平生の一念で解決できることを明らかにされた親鸞聖人のみ教えを信じ、さらに、それらの方々が教えられたことを正確に教えて下さる方が高森先生であると信じ、後生の解決を求めている親鸞学徒です。

2.学友部の勧誘における言動について

以上のことを踏まえた上で、特に学友部の勧誘方法

1.「聞けば必ず納得できる」という言い方について
2. 親鸞会であることを告げないことについて
3. バインダーについて

の3つについて話を進めていきたいと思います。

1.「聞けば必ず納得できる」という言い方について

まず、「聞けば必ず納得できる教え」という表現は、正確に言えば「親鸞聖人の教えを聞けば、必ず救われる教え」だとか「真実の仏教を聞けば必ずまことだったとハッキリ知らされる教え」だという意味で使っています。しかし、そのことを理解せずに使っているとしたら問題だと思います。

ただし、このような言い方は「仏説のすべてを人間の智恵で理解できるかのような誤解」を与えかねないので、個人的には別のもっといい表現はないかと考えています。

2.宗教法人浄土真宗親鸞会であることを最初に告げないということについて

これは私も問題だと思っています。

社会的モラルとしても、哲学サークルではなく、仏教(または親鸞聖人)から人生の目的を学ぶサークルだと言うべきだと思いますし、個人的には何のサークルかと聞かれたらそのように最近は答えています。

勧誘において少なくとも仏教を聞いているという自分たちの立場を明確にしないことを改善したいと思っています。どんな言い訳をしても仏教・親鸞聖人の教えと聞けば宗教というくくりになると思います。

宗教という言葉に悪いイメージがあるのならば、人生の目的があることを明らかにされた真実の宗教があることを伝えていかねばならないのが、親鸞学徒の使命だと思っています。

3.バインダーについて

バインダーも少々問題があると思います。他人から与えられた言葉で、しかも承認済みとなったら、新2年生や3年生の一部は、意味もわからずに言ってしまいます。話をするとき「お前の言っていることに根拠はあるのか」と、常に自分自身に問いただすことは重要なことだと思います。

やはり自分の言うことに責任を持つ意味でも、自分の言葉で話をするのがよいと思います。

以上、少々長くなりましたが、幹部として学友部で活動している経験から、私の意見を述べさせて頂きました。

勧誘方法や私たちの言動が問題となって、親鸞聖人の教えを聞くことができない人があったならば、それは大変残念なことです。難しい問題ではありますが、批判を受け止めて改善していくのが幹部の責任だと思います。

そのような努力をせずにいるのは、「楽に流されている」とか、「勇気がない」と取られても仕方がないように思います。

失礼しました。

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