なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集

初めて、マインドコントロールの項を本当の意味で「読む」ことができるようになりました。

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数年前のことです。

教えは正しいと思っていて、後生の一大事も不安でしたが、自分の心がやりたくないと思うことを続けていくのは精神的に本当にきつく、心の中は、まともに求道しているとはとても言えない状態でした。

こういうときは講師の方に相談しなければならないと思いましたが、以前に真面目に相談したときに「楽がしたいだけだ」ときつく言われたショックがあり、結局相談には行けませんでした。

以下に、自分がなぜ「やりたくないと思う」かを何点か挙げます。

仏法を捨てたいとは思いませんでした。自分としては、幹部会合には参加せず、月に一回程度実家に帰るくらいの求め方で続けるのがいいと考えていました(もちろん相談して許可を得る必要はあると思います)。しかし、そういう求め方は学友部では実質的に不可能だと思いました。もしかしたら可能だったかもしれませんが、相談する勇気はありませんでした。

これらのことが、今までよりヒマな分だけ思い起こされて嫌な気持ちになっていました。趣味や学問は丸太や板切れだと自分に叩き込んできたので、やる気も出にくいです。これは今でもそうです。

その後、何度か御法話に参加するなど、色々あって時間が過ぎました。

数ヶ月前に就職活動で、ある会社の説明会に行きました。自由な社風を謳っていて、社員はみな明るく、やる気に満ちていました。皆が論理的に物事を考え、全社員が自由に意見を出し合っていると言われました。しかし、説明会の様子では、社長やその周りの人に意見できる空気ではなかったです。

会社のためにと、自発的に残業や休日の勉強をするような空気もありました。「宗教みたい」と言われるそうで、2ちゃんねるでも酷く叩かれていると言っていました。

これには、自分の頭で考えて行動しているから宗教とは違うと反論していました。最先端の仕事ができるからお金は問題でないと言い、なかなかかっこいいですが、しかし給料は他より高いことを示していました。

その説明会の場で、親鸞会にかなり似ていると感じ、真実の教えを説く団体と、この変わった会社が似ていることに少し驚きました。その当時は、少しだけ意外に思っただけです。今にして思えば、似た構造のマインドコントロールだと思います。もっとも、似ているのはこの点だけなのだと思います。あと、この会社は、別にどこかの新興宗教が噛んでるというわけではないと思います。

数日前の夜、上に書いた家族のことなどを考えてなかなか眠れないことがあり、それで、起きた後に久しぶりに誹謗サイトを見てみました。(自分の感覚からすると「誹謗サイト」という呼び方でした)

元々、誹謗サイトは大学2年のときに試しに見て嫌な気持ちになり、それ以来ずっと見ないことにしていました。見ない方がいいと言われていたのもありますが、当時は共感する意見が見つけられなかったというのが大きかったです。

家族に心配をかけることをするのは真実を伝えるためだし、凡夫の智慧にのらない仏法を、科学で証明できないのも当然です。教えが真実ならマインドコントロールと呼ばれてもいいと思いました。自分も仏法を聞きたくないと思っていましたが、誹謗サイトは親鸞会を叩くばかりで見るべき内容がないと感じていました。

しかし、この「なぜ私は親鸞会をやめたのか」のページをリンク先と共に読み進めたところ、親鸞会に入ってから今までの間で初めて「後生の一大事は確かにあり、親鸞会にいて助かるかどうかはともかくそれ以外では絶対に助からないから、親鸞会で仏法を聞くしかない」という考えが崩れました。本当にありがとうございます。

今までにも、教えが正しいか否かを真剣に考えたことは何度もありました。以下のような理由で、正しいと結論を出していました。やや感情が入っているかもしれません。

高森顕徹氏の獲信体験」の項目で少し驚いて、更に親鸞会の教えが親鸞聖人の教えの通りではないという今まで考えたこともなかった内容を読んでいきました。しばらく親鸞会の人と会っていなかったというのもあったと思います。

これで、親鸞会の教えが正しくないと仮定しても矛盾はないかもという気持ちになり、そこで初めて、マインドコントロールの項を本当の意味で「読む」ことができるようになりました。

おそらく、現会員でこのサイトの文章の意味がわかる人はとても少ないと思います。これだけわかりやすく書いてあるのにです。

以前の自分では、マインドコントロールの話を読んでも、「教えが真実だから問題にならない」「正確に一人でも多くの人に伝えるにはそうするのがいいと高森先生が判断されたのだからネット上の意見など気にする必要はない」などと考えたと思います。

目の前の景色が変わりました。

気持ちが楽になった面もある一方、今まで「仏法のための苦労は無駄にならない」と自分に納得させてきた、家族のことや過ぎ去った時間の長さを思う辛さが、少しだけ大きくなりました。

最後に。部室に行かなくなってから今までの心の変化だけを書いたつもりが、意外と長くなってしまいました。今までこういうことを言う場がなかったので、気持ちの整理をするいい機会になりました。感謝します。

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