なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集

『 なぜ私は親鸞会をやめたのかを読んで』を製作された方へ 2006/5/16]

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2006年5月6日に、『なぜ私は親鸞会をやめたのかを読んで』の管理人様からメールを頂きました。

それについて当方が5月16日に返信したメールを掲載致します。

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「『なぜ私は親鸞会をやめたのか』を読んで」の管理人様


お返事ありがとうございました。読ませて頂きました。

> 「10年聞法した幹部」と言われる貴方の文章に、あまりにも仏法に対する初歩的な誤解、勘違いが多いので、それを指摘し、正していただきたいと願ってサイトを立ち上げ、今もこうしてやり取りをしています。

有難うございます。私の文章に疑問を感じられ、20以上もの質問を下さっているのですよね。私もあなたとやり取りをし続け、あなたにお尋ねしたい疑問がますます増えてきました。これからもお互い意見交換をしっかりおこなってゆきましょう。

> 気の毒なお方とは思いますが、貴方を見下すつもりはまったくありません。
>
> 謗法の報いが案じられ、貴方の今後の人生を心配する気持ちからです。

心配をして下さり、有り難うございます。
私も親鸞会の未来を心配しています。


> >> 貴方は、そんな本願寺の僧侶と手を組んで、まじめな親鸞会会員に親鸞会をやめるよう
> >> にそそのかしているではありませんか。
> >
> >> また貴方自身が、そんな本願寺末寺の身内ではありませんか。
>
> >> ところが貴方は、その「本願寺なぜ答えぬ」の内容を非難している。貴方のサイト
> >> 「親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか」ですが、内容は、「ひどい」の一語。
> >> だれも相手にしないのも、当然でしょう。
>
> 上記は、すべて根拠の有ることです。
>
> そんなに必死に否定されるのですから、よほど認めたくないのでしょう。

本当に申し訳ないのですが、いつ私が「本願寺の僧侶と手を組んで、まじめな親鸞会会員に親鸞会をやめるようにそそのかした」のでしょうか?

あなたは完全に勘違いと思い込みをなされています。それは一体誰のことを言われているのでしょうか?根拠があるとのことですから、楽しみです。

あなたは私のことを「思い込みが激しい」と言われていますが、あなたが大事に隠しているその根拠が、私にまったく当てはまらないものだと私はハッキリいたしました。

必死に否定するも何も、してもいないことを言われるので困ったものです。
認めたくないというか、認める認めない以前の問題です。
あなたは必死に私が会員をそそのかしたと、認めたいのでしょうね。

あなたはおそらく私のことを誰かと勘違いなされているようですので、よかったら、その根拠とやらを、教えて下さい。私がやったことなら素直に答えます。しかし、まったく身に覚えがないことばかりです。


> しかし、心当たりは十分あるようですね。

あなたの期待を裏切るようで申し訳ないのですが、心当たりは全くありません。
なぜ、「心当たりが十分ある」と思っておられるのか、不思議でなりません。


> いずれ別な形で、あなた方の正体は明らかにされるでしょう。
>
> それが私の本意ではありませんが、因果必然、蒔いた種は必ずはえる、ということです。

どうぞ、私の正体を明らかにして下さい。私もいずれは分かることだと思っています。
しかし、「私の本意ではない」とか、あたかも自分が関わっていないような言われ方ですね。

あなたが中心となって、親鸞会を批判するものを追い詰める為に、必死に根拠をかき集めておられるのでしょう。想像にかたくありません。好きにして下さい。
しかし、あなたが何をしようと勝手ですが、5ヶ月の沈黙をやぶって、せっかくメールのやり取りをする気になられたのですから、こちらの質問にもこれからしっかりお答え下さいね。期待しています。


> それから、私のサイトも、このメールも、すべて私個人で書いているものです。
> 親鸞会の公式見解ではありませんし、「親鸞会はこうだ」と決め付けられても困ります。
>
> 思い込みの激しい方のようですから、念のため、確認します。

そうでしたか。あなたのこの文章を読んで、親鸞会発行の『本願寺なぜ答えぬ』のP40に、
『「オレは、本願寺の代弁者ではない」の強調に、思わず、ニヤリと、させられた。(中略)万が一、己の記述で、累を、恩義ある本願寺に、及ぼさないための、配慮かと、カングルほかない。』と書かれているのを思い出し、私も思わずニヤリとさせられました。

文中の「本願寺」を「親鸞会」にかえたら、まさしく今のあなたそのものです。


> さて、今回は質問に答えていただきました。
>
> (1)
> 「信心決定という世界はまちがいなくある。ユートピアではない」
> ということだと確認しました。
>
> 貴方の言いたい事に、「ユートピア」という言葉は適切ではありません。
> 何度もいいますが、貴方はもっと言葉の勉強が必要でしょう。

私がユートピアとの表現を使っているのは、親鸞会の講師部員や幹部の中で、信心決定して、信後の喜びを語っている人など一人もいないと思われるからです。

だから、親鸞会で聴聞を続けて本当に信心決定できるのか、ということが疑問なのです。親鸞会の講師部員や幹部会員、そして会員の方々をみていると、手にすることのできない信心決定というものを夢見て、ただただ追い求める人間の姿が垣間見えるから、私は親鸞会の会員の人たちを、「ユートピアを求める人たち」と表現しているのです。

「親鸞会の講師部員や幹部会員で、信心決定したと喜びを語っている人に、10年以上活動しても出会った事がなかった。それならば、信心決定という体験があるのだとしても、果たして親鸞会でそれが出来るのか、はなはだ疑問だ」という私の主張も分かって頂けましたでしょうか。


>> (2)「親鸞会の教義」と何度も繰返されますが、「親鸞会で教えられていること」
>> と「親鸞聖人の教え」とは、どこか違いが有るのですか?
>
> 貴方は、親鸞聖人の教えを親鸞会以外では学んだことがないと言われましたので、違いをお尋ねしても、無理でしたね。
> 教義的な内容も、もっともっと勉強が必要だと思います。

「親鸞会の教義」が「親鸞聖人の教え」だと万人に理解されるように、これからも頑張って下さい。たとえば、親鸞会の発行物には「華光会」を名指しで批判するような部分が見当たらないように思いますが、高森会長が在籍していた「華光会」に対しても、しっかり名指しで批判して下さい。名指しで批判できないのは何か理由があるのでしょうか?

それ以外にも「親鸞会の教義は、本当に親鸞聖人の教えと言えるのか?」と疑問を投げかける人たちは数多くいるように思います。これらの人たちに対して、これからも親鸞会にとっての破邪顕正を頑張って下さい。


> >> (3)「反証不能な因果の道理が、なぜ真理といえるか」というナンセンスな質問を
> >> 繰返していますが、貴方は「反証可能なものでなければ、真理ではない」と思って
> >> おられるのですか?

> > 私が言いたかったのは、「親鸞会の説く因果の道理が、なぜ大宇宙の真理だと言えるのか?
> > そんな明確な根拠などないのでは?」ということです。
>
> 因果の道理は仏説です。それを信じるかどうかは、貴方のご自由です。
>
> その仏説に対して、「反証不能なのに、真理といえるのか」という問い自体がナンセンスなのです。

分かりました。サイトでも述べてきたことですが、私は「親鸞会の説く三世を貫く因果の道理が、大宇宙の真理だ」となぜ言えるのか、その理由が分かりません。「親鸞会の説く因果の道理」は、あくまで宗教的な信念の一つであって、大宇宙の真理という明確な根拠は無い、という事でよろしいですね。


> >> (4)科学的な真理のすべては「反証可能な仮説である」ということは、少しでも
> >> 科学を勉強した人にとっては常識ですが、貴方はご存知ですか?
> >
> > 知っていますよ。
>
> それはよかった。勉強されましたね。
>
> それなら、(3)の意味も分かるでしょう。

「親鸞会の説く因果の道理は大宇宙の真理である」という絶対的な根拠は無く、「親鸞会の説く因果の道理も、他の宗教の教義も、絶対に反証は出来ないという点においては同じものなのだ」と分かりました。いかがでしょうか。


> >> (5)「因果の道理は錯誤相関」と述べておられますが、因果の道理を根幹として
> >> 説かれた仏説を、貴方は否定するのですか?
> >
> > 「親鸞会の説く因果の道理が真実であると思い込む過程」を「錯誤相関」と言ったのです。
>
> 支離滅裂です。
>
> 「錯誤相関」の意味が正しく理解できていますか。もう一度、よく勉強してください。

以下は『マインドコントロールとは何か』(西田公昭・著)の引用です。

「錯誤相関」という現象がある。それは、実際には存在しない関係を認知したり、あるいは実際の関係以上に強い関係を認知することである。人はランダムに起きている事象についても、すでにもっている信念を確認するデータとして誤って認知する。つまり、二つの事象に相関する関係があると信じるならば、その関係が誤りである証拠を確認する以上に、その関係が正しい証拠に気づき、記憶してしまう。
(『マインドコントロールとは何か』P159,160)

> われわれが思い込むとか、思い込まないに関係なく、「因果の道理は真理だ」と、釈尊がおっしゃっているのです。

ですから、「なぜ、親鸞会の説く因果の道理が大宇宙の真理だ、と言えるのか」と聞いているのですよ。親鸞会と出会うまでは、そのようなことを信じていなかったあなたが、このように信じるようになったのは、その道程がある訳です。その過程で、あなたは「親鸞会の説く因果の道理は大宇宙の真理なのでは…」と次第に信じるようになり、この世の全ての現象をこの道理に当てはめて理解するようになったのではないでしょうか?

そして、説明できないようなことでも、親鸞会の説く因果の道理は、きわめて定義が曖昧な部分がありますから、過去世を持ち出してくれば、何でも説明できてしまいます。そのような理解の仕方によって、今のあなたの信念が形成されているのですよ。その現象を「錯誤相関」と言っているのです。


> >> (6)キリスト教社会では、生まれた子供に親が洗礼を受けさせ、教会に通わせ、神の
> >> 存在、善悪の価値判断、歴史の目的、罪の起源と贖罪等、これらを宗教とも言わずに
> >> 教え込み、信じるか信じないかの判断力さえない子供に信じ込ませています。
> >> 彼らは、天地創造や原罪、処女降誕、キリストの昇天や復活など、およそ今日の科学と
> >> 相容れない教義を、自然科学的法則や歴史的事実のように語り、クリスチャンは普遍的
> >> 真理として受け入れています。だから、その後自らの力で、教え込まれた知識体系に
> >> 客観的に反駁することができないのです。
> >
> >> このことは、ユダヤ教でも、イスラム教でも同様です。
> >> 死んだら天国、神の国へいけると狂信して、自爆テロまでするものが、後を絶ちません。
> >> 「青春を返せ」どころか、「人生を返せ」ではありませんか。
> >
> >> さて、これは内心の自由に不当な影響力を行使する、許されない行為では
> >> ないでしょうか。
> >> あなたの論法からすれば、これらの社会は、巨大なマインドコントロールをしている
> >> ことになるのではないでしょうか。

> > 私のどの論法からすれば、こういう結論になるのですか?
>
> 貴方の引用した文章に基づいてのことです。
> 何の飛躍もありません。よく読めば、分かっていただけるでしょう。

申し訳ありませんが、よく読んでも分かりませんでした。具体的に私のどの文章に基づいてそのような結論を下されたのか、教えて下さい。よろしくお願いします。


> 仏壇の前で、念仏を唱えていたおばあちゃんに、お孫さんが「ばあちゃん、何で念仏唱えているの?」と尋ねると、「こうして念仏唱えておれば、死んだら極楽へいけるんじゃから」と答えたというのです。
>
> 「信心為本」「唯信独達」(他力の信心一つで、人生の目的が達成できる)という親鸞聖人の教えが、まったく伝えられていないのが、現在の本願寺の実態です。
> と本願寺に対する怒りをあらわにされたのは、貴方がたではありませんか。
>
> 自分の述べたことを、忘れないでください。
>
> いまさら遠慮されずに、本願寺の誤り、ふがいなさ、親鸞聖人の教えを破壊する大罪を、ともに正していこうではありませんか。

分かりました。本願寺のふがいなさは、確かに以前も言ったように感じています。

親鸞会がより多くの人に喜ばれる団体になれば、本願寺の誤りを正し、多くの人に親鸞聖人のみ教えをお伝えすることになるのでしょう。ですから、親鸞会の問題点が改善されるように、私はその問題点について意見を発信しています。これからも、お互いしっかり意見交換し、多くの人に発信してゆけるよう、努めましょう。


> >> (9)貴方のサイトを見た、何人もの退会した方から、「私は、あんな恩知らずに
> >> なりたくない」とか「親鸞聖人の教えは、今でも信じています。あんな卑劣な人間と
> >> 一緒にしないでください」というメールを数多くいただいています。貴方は、これを
> >> どう思いますか。
> >> つまり、貴方は、いろいろな事情で退会された方々の気持ちまで踏みにじり、傷つけ、
> >> 新たな被害者を生み出していることになるのですが、このことを人間としてどう思われ
> >> ますか?
> >
> > もし、そのように思われた方が本当におられるのなら、私としても大変に心苦しい事です。
>
>
> 尊い反省です。忘れないでください。

分かりました。
ところで、前回のメールで以下のようにお尋ねしたのですが、いかがでしょうか?

> それらの方々がどのような事を感じ、どのように仰っておられたのか、是非そのメールを
> 公開して頂けませんか?私たちが「反響集」で公開しているように。

本当にそのように感じられた方々がおられるのならば、それらの方々の声を聞きたいと思っています。生の声を聞かせて頂いたほうが、より具体的に反省できると思います。

私がサイトに寄せられたメールを、「反響集」で多々公開したので、あなたは「反響集を読んで」に、「親鸞会の正されるべき点は、今後正されることでしょう」との反省意見を述べられたのですよね?ですから、実際に数多くのメールが寄せられているのなら、公開して頂けるとありがたいです。私にとってより具体的な反省材料になるかと思います。それとも、数多くの声が寄せられているというのは、嘘でしょうか?


> >> (10)この世でハッキリ救われるという「平生業成」の教えが、親鸞聖人の教え
> >> 以外にありましたか?
> >> お得意のネットで調べてみて、結果はどうでしたか?
> >> 人生の目的が、親鸞聖人の教え以外に見つかりましたか?
> >
> > すみませんが、私は別にネットは得意ではないですよ。
>
> 貴方がたのお仲間に、お得意な人物がいるということです。
> このようなサイトを制作して管理する人ですから、ずいぶん得意なはずですよ。
> 上記、まだでしたら、ぜひお調べください。
>
> 「この世で完全に救われる」平生業成の教えが、親鸞聖人の教え以外に存在するかどうか。
> 親鸞聖人の教え以外に、人生の目的があるかどうか。
> よくよく調べて、人生を選択されたらいいと思います。

私が親鸞会の問題として問うているのは、「親鸞会で人生の目的達成出来るのか?」ですよ。「この世で完全に救われる」という平生業成の教えで、親鸞会の幹部や講師部員で救われた人が存在するのかどうか、それが甚だ疑問なのです。本当におられるのなら教えてほしいと言っているのです。その事を一貫して問うているのですが、なぜ今に至っても答えて頂けないのでしょうか?これは、私だけでなく、会員の多くの人も疑問に思っていることです。そのような人がいないのに、「親鸞会で信心決定できる」と夢見て、求め続ける人ばかりだから、それを「ユートピアを追い求める人のようだ」と表現しているのです。

ちなみにあなたは会員暦何年でしょうか?もう信心決定されましたか?教えて下さい。
ただ私は、別にあなたが20年も30年も親鸞会で聴聞を続けていながら、信心決定されていない人だとしても、馬鹿にしたり、あなたの求める姿勢がおかしい、というつもりは全くありません。ただ、講師部員や幹部の中に、信心決定している人が本当にいるのならいると、いないのならいないと、親鸞会に表明してほしいのです。それは、あなたについても同じです。


> >> (11)『顕正新聞』には、大学生の子供から仏法を聞いた両親の喜びの声が、
> >> しばしば掲載されています。「親には言うな」というような指導が本当になされて
> >> いるのなら、こんな事実はどうなるのでしょう。
> >> また、祖父母や親戚、友人と一緒に聞法、という話もよく聞きます。
> >> 「ご恩のある人、大切な人に、仏法を伝えよう」という気持ちの表れではないで
> >> しょうか。
> >> 事実、一人の大学生から親へ、祖父母へ、お世話になった人たちへと、どんどん法の
> >> 輪がひろがっている事例が、いくつも報じられています。
> >>
> >> 「マニュアルどおりのことが組織的体系的に行われている」という貴方の主張と、
> >> まったく反しているこれらの事実を、貴方はご存知なのですか?
> >
> > まず、子どもから親へ親鸞会の教えが伝えられている事実は私も知っています。
>
> しかもその数は、最近どんどん増えています。
>
> 数や比率など知る由もありませんが、つまり、「親には言うな」などという「マニュアルどおりのことが行われている」というのは、まったく事実に反することなのです。

前回のメールで、以下のようにお尋ねしましたが、あなたはこれらの方々に聞いてみられましたか?

> ただ、親対策といった行為が親鸞会幹部の作成したマニュアルに書かれていることも
> 事実です。「親鸞会必殺育成法」の最初のページにも書かれているように、
> 児玉氏、針谷氏、伊藤氏が関わって作成されたものです。
> あなた方なら、それらの方にすぐにでも連絡がとれるでしょうから、本人に直接、
> お尋ねになってはいかがでしょうか?

私のサイトには、同じように「親に言うなと言われた」という人たちの声が沢山届いています。これらの人たちの声はみんな嘘なのでしょうか?最初の段階では、「誤解を与えるから親に言うな」といい、十分に時期が経ってから「親に言うように」と指導するのは、他の宗教団体と同じような気がします。

あと、前回のメールの以下の部分は読んで頂けましたでしょうか?
お答えお願いいたします。

> また、子供が親鸞会で聞いているからと、心配のあまり親鸞会に自らも聞きにいき、
> そして自分も親鸞会で聴聞をし、入会された。でも、やっぱりこの団体はおかしいと
> 感じられて、相談に見えた方も一人や二人ではありませんよ。
>
> ですから過去には子供さんがやめられるのと一緒に、子供さんと一緒に聞いていた
> 家族の方も全員がやめられるというケースもあったように思います。
>
> そして、もちろん自分の子供が問題のある団体に入って、人が変わったようになって
> しまったと、大変に苦しみ、心配なさっている親御さんは本当に数多くおられます。
> 貴方はご存知ありませんか?


> > > (12)「引き離し」「兼部カット」なども、仮にこれが事実としても「巧みな情報
> > > 操作」などという大げさなものでしょうか。熱心なサークルなら、どこでも「兼部する
> > > な」と言うし、それがいやなら、やめればいいだけの話です。「引き離し」など、
> > > みんなケータイのメール交換をして自由に連絡を取り合っている時代に、できるわけ
> > > がありません。
> > >
> > > それでも貴方は、「親鸞会ではマニュアルどおりのことが行われている」と強弁する
> > > つもりですか?

> > まず、そんな大げさなものでないのならば、あのマニュアルを公開することに、全く
> > 異論はないと思いますが、いかがでしょうか?何しろ、熱心なサークルなら、どこでも
> > この程度の事はあるのですよね?
>
> 論理のすりかえです。
>
> 「巧みな情報操作」ではないし、「だからマインドコントロールだ」などと主張する貴方の論法はかなり変ですよ、と言っているのです。

論理のすりかえではありません。
あなたは「必殺育成法」などのマニュアルの内容は、巧みな情報操作ではなく、一般社会で行われている事だと認識されています。しかし、あなたの言われる通りなら、なぜ、親鸞会の弘宣部長がわざわざ「著作権侵害」というクレームをつけてまで、削除しようとするのでしょうか?
そのことを考えて頂きたいと思い、あのように申し上げたのです。

「必殺育成法」は、間違いなく親鸞会で作成されたものです。それは、親鸞会の渡部弘宣部長が「著作権侵害」を訴えていることでハッキリしています。
では、なぜあのようなマニュアルが作成されたのか、それはあのような指導が実際に行われていたからです。

あなたは、「必殺育成法」に書かれていることは、現在の親鸞会学友部とは、まったく関係ないことかように主張されていますが、あのマニュアルはまぎれもなく、親鸞会の幹部が作成したものであり、非常に問題のある内容だと思われます。

まず、あなたはそれをお認めになりますか?


> >> (13)あたかも仏説の全てを、「人間の智恵で、全て理解できる」と誤解を与えかね
> >> ない表現を使っている、とのことですが、そんな誤解をするのは、貴方くらいでは
> >> ないですか。
> >> 「絶対の世界が、相対の人間の智恵で完全に理解できるはずがない」というのは、
> >> 大学生程度の知性があれば、普通は常識です。また、そのように何度も言われたはず
> >> です。
> >>
> >> 親鸞聖人も、弥陀の誓願を「難思の弘誓」「超世の悲願」「弥陀の誓願不思議」と
> >> 言われ、救われた絶対の境地を「不可称不可説不可思議の信楽」と喜んでおられる
> >> とおりです。
> >>
> >> 「仏説のすべてを、人間の智恵で理解できる」などとは、普通、誰も思いもしませんが、
> >> 貴方は思われたのですか?

> > 私は、親鸞会のサークルに入る時に、「このサークルの話は聞けば必ず理解出来る、
> > 聞けば必ず納得のゆく話、納得のゆかない話は一つもないから」と聞きましたし、
> > 今でもそのように言われているという事実は、現役学友部の方々の証言によって、
> > すでに確認できています。
>
> 「絶対の世界は、体験しないと分からない」という話は、だれでも納得できるでしょう。当然のことですから。
> だから、「納得のゆく話」というのは、そのとおりではないですか。
> 「絶対の世界が、体験しなくても頭で納得できる」などとは、だれも言わないでしょう。

それならば、言い方を考えた方が良いでしょう。
現役の学友部幹部の方が、以下のように指摘しておられる通りです。
「ただし、このような言い方は「仏説のすべてを人間の智恵で理解できるかのような誤解」を与えかねないので、個人的には別のもっといい表現はないかと考えています。」


> >> (14)貴方が展開しているような、「マインドコントロール論による入信の説明」を、
> >> 専門家は不毛と断じ、「宗教社会学の議論からは認めることができない」と批判して
> >> いますが、それでも貴方は、「親鸞会はマインドコントロールしている」と言い張る
> >> のでしょうか。

> > 専門家とは、北海道大学の櫻井教授のことでしょうか?
>
> 貴方が引用された文中で、ハッキリ断言しています。
> 落ち着いて、もう一度よく読んでみてください。
>
> 統一教会が、それをどう悪用したか知りませんが、親鸞会とは、何の関係もありません。
>
> 何の根拠もなく、霊感商法などの反社会的な行為を繰返す統一教会と同一視する貴方の論法は、ただの言いがかりです。

ですから櫻井教授に、「私たちは統一教会と同じように、宗教団体である事を隠しての勧誘などを繰り返している宗教団体ですが、問題ありませんよね。」と聞いてみて下さい。
私に聞くよりも、余程はっきりと答えて下さると思います。

「何の根拠も無い」「言いがかりだ」と言われたくないのなら、少なくとも統一教会と酷似した勧誘を行ない、統一教会と同じ批判を受けて、統一教会と同じ根拠を使って、統一教会と同じ主張で反論しないほうがよいのではないでしょうか?

あなたが「親鸞会と統一教会は、何の関係もない!」と一生懸命に否定しても、あなたの主張自体が「親鸞会と統一教会との類似性」を強調する結果となっているように感じます。

「主張が同じであれば、同一人物か、代弁者とみなされてもしかたないでしょうね。」と言われたのは、他ならぬ、あなたの言葉ですが、いかがでしょうか?


> > こうした誤解や拡大解釈が生じないように、静岡県立大学の西田公昭助教授は、「破壊的
> > カルトのマインドコントロール」とあえて定義し、その事例を事細かに説明しています。
> > 私はそうした「破壊的カルト」の事例と親鸞会の勧誘が似ていると指摘している訳ですが、
> > その類似性については全く反論出来ないようですね。
>
> 無意味な内容のくり返しですね。
> もう、この程度の反論しかできないのでしょう。
> 「破壊的カルト」は、そういう事実があるから、そう言われるのです。
> 親鸞会には、50年間、「破壊的カルト」と言われるような事実は、まったくありません。

あなたのように、無意味な内容と思う人もいれば、そうではない受け止め方をされている方々も、多々おられるようです。多くの方の反響を頂いていますのでよく分かります。

もしあなたが断固、親鸞会の正当性を主張したいのならば、過去長年にわたって批判され続けている、「親鸞会」という名前を隠した勧誘を、今後、二度と親鸞会がやらない事が必要だと思われます。

破壊的カルトと言われるような事実が全くない、素晴らしい団体が親鸞会ならば、その団体名を隠す理由など、何一つ無いように思いますが、いかがでしょうか?なぜいまだに、親鸞会学友部は、勧誘のときに「宗教法人浄土真宗親鸞会」と名乗らないのでしょうか?名乗れない理由が何かあるのですか?

自信があるなら、正々堂々と胸を張って言えばいいのです。たとえば講師の人なら、「私は、浄土真宗親鸞会の講師部員です。皆さんに親鸞聖人の教えをお伝えしたいと思い、こうしてこのキャンパスでお話しさせて頂いています。親鸞聖人の教えに関心はありませんか?」と。

つい最近も、ある宗教団体の人に駅前で勧誘されたのですが、「私は○○教会の○○と言います。イエス・キリストの救いについてお話させて頂けませんか?」と言っていました。親鸞会よりよほど透明性があると感じました。私自身は、キリスト教を信ずる気はありませんが、親鸞会の正体を隠す勧誘と比べれば、彼らの態度は余程立派だと思いました。なぜ同じ事を親鸞会は出来ないのでしょうか?


> >> (15)親鸞会のように、過去50年間、反社会的な問題がまったくなく、地域の
> >> 皆さんとも良好な関係を保ち、学生たちにしても、「酒もタバコもやらず、ギャンブル
> >> や乱れた異性関係などもない、親鸞聖人の教えを学ぶ、まじめな集り」に対して、
> >> 「マインドコントロール」などという言葉自体が、そもそも不適切と思われますが、
> >> どうでしょうか。
> >
> > 統一教会やエホバの証人の学生も、酒やタバコをやっていないそうですが、それとマインド
> > コントロールと何か関係があるのでしょうか?

> 「統一教会」や「エホバの証人」のような反社会的団体でもないし、「オウム」のような「破壊的カルト」でもない親鸞会に対して、「マインドコントロール」という言葉が不適切なのです。
>
> 大学でどのようなことがあるか知りませんが、若者が活発に活動すれば、いろいろなことがあるでしょう。
>
> > あなたの言われるように、「どんな団体でもマインドコントロールしていることに
> > できる」のなら、なぜ、とりわけ親鸞会の活動が、各地で問題視され、マインド
> > コントロールだと指摘する人が絶えないのでしょうか?
>
> 本願寺の僧侶など、ごく一部の人が、悪意を持って撒き散らしているから、誤解する人が絶えないのだと思っています。

親鸞会会員として、親鸞会を擁護したいお気持ちはよく分かります。

ただ、あなたのこの言葉を聞いて、ある破壊的カルトの教祖が「反社会的な行為は弟子が勝手にやった事だし、我々の団体がマスコミからバッシングされるのは国際ユダヤ組織の陰謀だ」と言っていたのを思い出しました。

是非、文中の「弟子」を「若者」、「国際ユダや組織」を「本願寺」に置き換えて読んでみて下さい。

親鸞会が「マインドコントロールを行っているのでは…」との疑いを持たれたり、そのように批判されたりする理由は、本願寺の悪意のある一部の人が言っていることだけに起因するのではないように思います。

高森会長の因果の道理の説法に、「自分に良い結果が返ってきた時には『自因自果』と思えるが、自分に悪い結果が帰って来た時には『他因自果』としか思えない。しかし、そんな都合によってコロコロ変わるようでは、大宇宙の真理とは言えない。『他因自果』ということは、万に一つ、億に一つもあり得ないのだ。」という内容がありました。

大きな正本堂が立った事は「親鸞会は世界に二つとない、素晴らしい集まりだから」と自画自賛し、批判を受けた時は「本願寺の僧侶などごく一部の人が悪意を持ってまき散らしているから」では、とても因果の道理を分かっているとは言えないように思うのですが、いかがでしょうか?

たしかに親鸞会に悪意をもって、いろんな事を言う人もいるのかもしれません。しかし、親鸞会が批判されているのは、それだけではないと思います。むしろ、親鸞会の活動、親鸞会会員の行為に主たる問題があるのでしょう。また、親鸞会に悪意をもつ人がいるのも、もとはといえば、親鸞会に原因があるのかもしれません。

それでもなお、あなたが「親鸞会が批判されるのは、悪意をもつ本願寺の一部の僧侶の仕業だ」と言われるのなら、それは「縄をウラム泥棒」ではないでしょうか?もしかしたら、あなたはこれでもまだ、「論理のすりかえだ」などと言われるのかもしれませんが、あなたのご意見を聞かせて頂くと、そのようにしか思えません。

失礼ですが、「お前は仏法が分かっていない」と見下す割に、あなたの理解はいかがでしょうか?

唯一の救いは、あなたの意見が「あなた個人のもの」であって、「親鸞会の公式見解」ではないということかもしれません。親鸞会もその点では、まだ自浄能力を残した団体なのかもしれません。あなたの意見が正当なものかどうか、誰か同じ親鸞会の人に聞いてみたら良いのではないでしょか。出来れば、親鸞会の講師部員や職員ではなく、一般の会員さんが良いでしょう。

そして、あなたが何度も言われているように、「大学でどのような事があるのか分からない」と言われるのでしたら、、今すぐ学友部の活動に参加する事をおすすめします。さらに、親鸞会学友部が反対を受けている大学の学生課に行って「私は浄土真宗親鸞会の○○といいます。私たちが批判されているのは、本願寺の僧侶などごく一部の者が悪意をもって批判しているからです…」という持論を、力一杯展開して来て下さい。もう二度と同じ事は書けなくなるのでは、と思われます。いかがでしょうか。


> > また、地元の人の信頼を得ていると言われますが、果たしてそうでしょうか。
>
> 本当です。
> 貴方の体験こそ、私にはとても事実とは思えません。
>
> もちろん、他宗教の方が、心でどう思っておられるかは別として、少なくとも、「親鸞会さんは約束をしっかり守る」「いつ行っても、会館の周辺がしっかり整備されていて、実にきれいだ」そして、「中は、驚くほど立派で荘厳」「みなさんの挨拶も気持ちがいい」と、一様に感心しておられます。

あなたの言われることが、全くの嘘ではないと思います。親鸞会会員の言動を見られて、感心される方もおられるでしょう。
ただ、たとえば親鸞会と取引のある業者ならば、親鸞会の事を悪く言うようなことはあまりないように思います。(もっとも、あるホテルの方は、親鸞会さんは実にキャンセルや変更が多くて、本当に困る、と言っていましたが…)
わざわざ会館に見学に来られるような方も同様でしょう。

ですから、これらの限られた人たちが感心しておられたことが、地元の信頼を得ているという根拠であるならば、サンプルの見直しが必要だと思います。

ちなみに、私の体験は本当です。
何度かありましたが、報恩講の時に、所属している地区が参詣目標に満たないとの事で、目標達成のために小杉の町に参詣のお誘いに行きました。

全く見ず知らずの人に、一生懸命仏法の話をしました。そこまでは聞いてくれるのですが、「親鸞会館に行きましょう」と言った途端に、相手の方の顔色が変わったり、それまで好意的だった人ががらっと変わったりするのを、私は沢山見てきました。中には露骨に親鸞会の悪口を言われる方もありました。

あの時は、「会館に一歩でも入れば参詣者としてカウントされる」という連絡が流れ、バスの運転手さんを会館内のレストランに必死に誘って、コーヒーをごちそうして、参詣目標を達成するなど、今思えばなんとおかしな事をしていたのだろうかと思います。こんな事ばかりしていたから、信頼を失ったのかもしれません。


> >> (16)「整理整頓」「お世話になっている人に感謝しよう」「時間を守ろう」
> >> 「あいさつしよう」などなど、人間として当たり前のことが、親鸞会ではいつも
> >> 勧められています。
> >> 因果の道理に基づいて、このような善をすすめることが、マインドコントロールに
> >> なるのでしょうか。
> >
> > 私がいつ、そんなことがマインドコントロールだと書いたでしょうか?
>
> 了解しました。
> 「因果の道理に基づいて、善をすすめることがマインドコントロールだ」などとは、とても言えませんね。

私は「親鸞会は因果の道理に基づいて善をすすめているから、マインドコントロールを行っていると言える」と主張したつもりはありません。


> >> (17)人生の目的・信心決定に向かって、親鸞聖人の教えの根基「三願転入」を
> >> 説ききる親鸞会を、「マインドコントロールだ」などと、貴方は本当に思っているの
> >> ですか?
> >
> > 私がいつ、「三願転入を説く親鸞会はマインドコントロールだ」と言ったでしょうか?
>
> 了解しました。
> 「三願転入を説く親鸞会はマインドコントロールだ」などとは、とても言えるはずがありませんね。

私は「親鸞会は三願転入の教えを説いているから、マインドコントロールを行っている」と主張した覚えはありません。「親鸞会はマインドコントロールを行なっているのでは」と疑問を投げかけている理由は、もっと別のところにあります。

それを「なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについて」に書いたのです。
もう一度、読まれることをおすすめいたします。


> 同じ手法を使っても、よい方向に導けば、教育、善導といわれるし、悪の道を勧めれば、洗脳、マインドコントロールと言われるのです。

かつて、あなたと同じ事を、上祐という人がテレビで言っていました。
おそらく、あの人たちも「自分たちのしている事は教育であり、善導だ」と強く思い込んでいたと思います。
統一教会の人も、「自分は真実のキリストの教えにマインドコントロールされ、文先生という真実の先生に巡り会えた幸せ者だ」と言っていました。

宗教団体であることを隠して勧誘する事も、大学の決まりを破って勧誘する事も、講師部員が身分を詐称する事も、信心決定してもいない学生や講師が、あたかも信心決定したかのように新入生に誤解を与える表現を使うことも、あなた方にとっては、教育であり善導なのでしょうか。


> 「仏法でいう真理は、自然科学的な法則とはちがう」ということはお分かりですね。
>
> そして、「親鸞会は、仏法でいう真理を、自然科学的な法則とはっきり区別して説いている」ということも、分かっていただけましたか。

分かりますが、親鸞会が誤解を生じかねない表現を新入生に対して使っていることは、「反響集」にも掲載されている現役学友部幹部の方が指摘されている通りです。

あと、渡部隆志という親鸞会の弘宣部長をされている方がおられますが、ご存知でしょうか?この方が自著『キリスト教文明の崩壊と仏教の時代』に、以下のような事を書かれています。

「さて、仏教である。因果律に基づく仏説は、科学そのものといっていい。」
「『般若心経』の「色即是空、空即是色」が、現代物理学の先端をいくアインシュタインの相対性理論に現れる式、E=mc2(Eはエネルギー、mは物質の質量、cは光速度)と同じ意味であるとは、多くの物理学者が指摘するところ。」
「仏教の世界観が真理であることは、現象学が論理的に証明した後、量子力学、素粒子物理学などで実証されている。」


高森会長の著書『会報』にもこのような事が書いてありました。

「仏教は因果の道理にもとづき徹底的にかかる宇宙創造説を否定し宇宙の万有は因果の道理に順った生物の自己創造で万有は変化流転して止まず、何ら支配的な神は認めない。これは立派に科学的に証明し得るというより、寧ろ科学そのものというべきであろう。」


これらの表現を読むと、あなたの言われる「親鸞会は、仏法でいう真理を自然科学的な法則とはっきり区別して説いている」ということに、いささか疑問を感じてしまいますが、いかがでしょうか?

もし、よろしければ、これらの著述の内容を「こういう意味で言われているのであり、決して親鸞会は、仏法でいう真理と自然科学的な法則をごっちゃにしている訳ではなく、ハッキリ区別して説いているのだ」と説明して頂けないでしょうか?

ちなみに「「色即是空、空即是色」が、E=mc2と同じ意味」と指摘する「多くの物理学者」など、私はあまり聞いた事が無いのですが、あなたはそのような物理学者を知っていますか?あと、あなたはこの渡部氏の著書を読まれたことはありますか?


> >> (19)釈尊45年間の教えを、一度に新入生に伝え、理解してもらえる方法など
> >> あるのでしょうか。「小出しにして、いつのまにか本人の意志で納得して選んだ形を
> >> とる」のがいけないとするなら、およそ、人間同士の交渉は、すべて成り立たないと
> >> 思われますが、いかがでしょうか。
> >
> > 確認ですが、あなたは「だから、宗教団体だという事を隠して勧誘しても許される」
> > という事を言われたいのでしょうか?
>
> またまた、論理のすりかえです。

あなたの質問の意図がよく分かりませんでしたので、確認をさせて頂いています。人間同士の交渉といっても、色々あると思います。あなたの論理だと、キャッチセールスでさえ正当化されかねないようにも少し思います。

私の質問にお答え頂けますか?
確認ですが、あなたは「だから、宗教団体だという事を隠して勧誘しても許される」という事を言われたいのでしょうか?

私は親鸞会の勧誘マニュアルは、非常に問題のある内容だと認識しています。
「親鸞会が勧誘マニュアルに書いているような活動は、ごく普通の人間同士の交渉に過ぎず、正当性が認められる」という結論にされることは非常に問題があると思います。ですから「どこまでが『およそ人間同士の交渉』なのか」と確認しているのです。

けっして論理のすりかえではないと思いますが、いかがでしょうか?
私の質問の意図をご理解頂けたでしょうか?


> > 悪意があるかないかなど、非常に主観的なものであり、分からないのでは
> > ないでしょうか?私はそんな「悪意をこめて非難している」つもりはありません。
>
> 事実でもないことを事実であるかのように言いふらしたり、針小棒大に書きたてたり、誤解を与える事柄だけを取り上げて、何も知らない不特定多数の読者に、親鸞会に対する悪いイメージを植えつけたりするのは、悪意としか言いようがないでしょう。

何度も言いますが、だから「どこが事実ではないのか」と確認しているのです。
今までの指摘で出てきたのは、「親に言わない」というただ一点だけだと思います。
それすらもあなたの言われている事と、現実とでは随分違うように私は思っています。

再度、お尋ねします。「事実でもないことを事実であるかのように言いふらしている」部分とは、一体どこを指して言われているのでしょうか?「全てである」などと抽象的に言い放って、煙にまくのではなく、具体的にご指摘頂けたらと思います。よろしくお願いいたします。


> 因果の道理を信じられないところからくる愚痴が根本でしょうが、心の中が、かなり乱れておられるようです。
> 冷静になるためには、もっと時間が必要なのでしょう。

「親鸞会の説く因果の道理が信じられない」のは、あなたのご指摘どおりだと思っています。心が乱れているのか、冷静でないのかどうかは、分かりませんが。

もし、よろしければ、あなたも冷静になられて、「なぜ親鸞会がこれほどまでに批判されるのか」を、「親鸞会の説く因果の道理」の「自因自果」という言葉に当てはめて、よくよく考えて下さることを念じています。


> >> (20)結局、貴方の批判は「マインドコントロールとは何か」という本に書かれて
> >> いることに、事実かどうかも分からないようなことを、ただあてはめて、「だから
> >> マインドコントロールだ」と言っているにすぎません。
> >>
> >> こんな論法なら、どんな団体でもマインドコントロールしていることにできるのでは
> >> ないでしょうか。
>
> > 事実かどうかも分からないこととは、どの部分をさしておっしゃっているのでしょうか?
> > よく分かりませんので、具体的にご指摘下さい。
>
> ほとんど全部といっていいくらいです。

申し訳ありませんが、あなたのこの返答では、抽象的すぎて分かりません。
このような主張しかされないのであれば、「やはり具体的には指摘出来ないのでは…」と思ってしまいます。先ほども申し上げた通り、具体的にご指摘お願いいたします。改善の余地が有ると思えば、私も自分の文章をあらためたいと思っていますので。よろしくお願いいたします。


> >> (21)親鸞聖人の教えを学び、光に向かって人生を生きていくのなら、私は、
> >> 素晴らしいことだと思います。
> >> 貴方は、学生時代に仏縁を結び、社会に出て、いろいろな事情で仏縁が遠ざかった方に
> >> 対して、「マインドコントロールされていた、親鸞会の犠牲者だ」と思っているの
> >> ですか?
> >> そんな勝手な決めつけは、それらの方々に対して失礼であり、傷つける心無い言葉
> >> ではないでしょうか?
>
> > 実際に本人の口から「私は親鸞会の活動により苦しい思いをした」と
> > 言われている人がおられ、それらの人については、「親鸞会の活動により被害を受けた
> > 犠牲者ではないだろうか…」と思っているまでです。
>
>
> どんな活動でも、「苦しい思いをした」と言われる方はあるでしょう。
> それらの方々も、「決して、犠牲者などではない」と、私は申しあげています。
> それが光に向かっての苦しみであれば、すべてはムダではありません。
> 生かされる苦しみであり、報われる苦労です。
>
> 流した涙の一滴一滴が真珠の玉となって返ってくるときが、必ずきます、ということを知っていただきたいと思います。

「なぜ生きる」の1部8章の一節ですね。
確認したいのですが、あなたが、「流した涙の一滴一滴が真珠の玉となって返ってくるときが、必ずきます」と言われているのは、信後のことでしょうか?それとも信前のことでしょうか?もしくは、信前、信後に限らないことでしょうか?

あと、親鸞会の活動により苦しい思いをされている方や、今後される方に、あなたが接する機会がありましたら、どうか相手の心を閉ざすようなことをせず、相手の人たちの心をほぐして、なぜそんなことになってしまったのか、何を苦しく思っているのか、よくよく対話をしてほしいと思います。よろしくお願いいたします。

> >> (22)もし、それらの方々が、世の無常や自己の罪悪を知らされたことで苦しんで
> >> おられるのだとしたら、それこそ、仏教の結論であり、親鸞聖人が命がけで開顕された
> >> 「一向専念無量寿仏」を説ききるしか本当の救いはないと思われますが、
> >> いかがでしょうか。
> >
> > あなたが言われたいことはよく分かります。もし、あなたが本当にそのように思われる
> > のであれば、親鸞会の活動によって辛く苦しい思いをする人が、今後なるべく出ない
> > ように、最大限の努力をして頂きたいと、切に願っています。
>
>
> 本当に分かっていただけたのでしょうか。
> そうであれば、「苦しんでいる人は犠牲者」などという言葉は、絶対に出ないはずです。
> 仏の慈悲は、苦しんでいる人にこそ重くかかる、と言われます。
> 真実に向かった苦しみは、決して不幸ではありません。
> 最も、仏の慈悲に近い方です。
>
> あなた自身も、苦しいのでしょう。
> マインドコントロールされようと、されまいと、生老病死は、何人もさけられない人生の真実です。貴方の命も、刻々と死に向かっています。
>
> 「人生から気晴らしを除いたら、退屈と不安しか残らない。最後の幕は血で汚されている」とはパスカルの言葉です。
>
> 今の貴方の人生に、光はありますか。
> 「不思議な解放感」とやらは、今も続いていますか。

間違いなく続いています。これだけはハッキリ言えますよ。「本当に喜びは続いているのか?」と聞かれ、喜びが続いていないのに、「もちろん(続いていない)です」と答えるような、親鸞会学友部風の答え方ではありません。
不思議な解放感は、今も間違いなく続いています。その解放感は日増しに大きくなっているように感じています。


> 「気晴らし」は、所詮、「気晴らしにすぎない」ということが、まだ分かりませんか。
>
もしかしたら、親鸞会で聴聞を続けて、決して出来ない体験を死ぬまでもとめる行為こそ、「気晴らし」かもしれませんよ。

> 真実を謗り続ける貴方がたの人生は、果たして、どこに向かっているのでしょうか。
> 泣いても笑っても、真実の道は一本きりです。
> 私は親鸞学徒として、この真実の教えを一人でも多くの方にお伝えすることに、これからも努力を惜しまないつもりです。

あなたのお気持ちは分かりました。
親鸞会が、より多くの人に喜ばれ、問題点が改善されるように、あなたも努力を惜しまないで下さい。よろしくお願いいたします。


> そこで、貴方がたはいかがでしょう。
> 親鸞聖人の教えを信奉される方々なのでしょうか。
>
> もしそうなら、ぜひ聞法に足を運んでいただきたいものです。
> 二千畳で、親鸞聖人の教え「一実円満の真教」を聴聞しようではありませんか。
> 人生の目的どころではない。多生永劫の目的です。
>
> 過去の経緯など、どうでもいいではありませんか。
> 意地や我慢など、どうでもいいではありませんか。
> ちっぽけなプライドなど、どうでもいいではありませんか。

私もそう思います。親鸞会館に参詣させて頂く機会も、近々あるかもしれません。
その時は、過去の経緯や、意地や我慢、ちっぽけなプライドは捨てて、ともに方を並べて聴聞し、いろいろお話しをしたいですね。よろしくお願いします。


> さて、何回かにわたって、貴方がたとやりとりしてきましたが、貴方がたの非難を通して、親鸞聖人の教えに対する誤解を解き、少しでも仏縁になればという私の目的は、もう果たされました。
>
> 法友からも、
> 「どんな相手か、よく分かりました」
> 「因果の道理もまだ分からない方のようですから、時間がかかるかもしれませんね」
> という声も聞えています。
>
> もう、これで十分でしょう。
> 心ある皆さんには、お分かりいただけると思います。

あなたの目的が果たせたことは分かりました。私がやり取りさせて頂くことにより、何かのお役に立てたのなら、嬉しい限りです。

ただ、私はあなたから長文の質問を受け取り、ますます疑問に思うことがありますので、
毎日、非常に忙しいですが、これからも新たに沸き起こった疑問をお尋ねしてゆきます。
あなたの言葉に対する質問ですから、誠意ある方でしたら、私もここ何度か、あなたへの返答に励んできましたので、あなたも今度は私からの質問に逃げずに返答お願いいたします。

私は「『なぜ私は親鸞会をやめたのか』を読んで」の管理人である貴方に、大変感謝しています。あなたが反論サイトを立ち上げて下さったおかげで、私も自分の書いた文章を見直し、考察も深まり、新たなコンテンツを立ち上げてゆく事が出来ました。

また、あなたのサイトとの論争が話題になり、多くの現役会員の方や、元会員、会員の関係者、大学教授といった方からメールを頂き、執筆や投稿、サイト管理に協力して下さる方々もおられました。情報を提供して下さる現役会員の方々も数多くおられました。そして、私のサイトのアクセス数もかなり増え、多くのサイトからリンクもして頂きました。

おそらく、「『なぜ私は親鸞会をやめたのか』を読んで」の管理人であるあなたがおられなければ、私も「なぜ私は親鸞会をやめたのか」というたった一つのサイトを立ち上げるだけで、終わっていたことでしょう。

今まで、サイトの立ち上げやメールのやり取りで、多くの意見交換をさせて頂くことが出来、本当に有り難うございました。親鸞会をやめてからの自分の気持ちを整理することがかなり出来たと思っています。

今後とも、私のサイトに何かご意見がありましたら、いつでもメール下さい。お待ちしています。また、あなたへも時間を見つけて、お尋ねしたいことが沢山ありますので、これからも、どうぞよろしくお願いいたします。


「なぜ私は親鸞会をやめたのか」管理人

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