なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集

『 なぜ私は親鸞会をやめたのかを読んで』を製作された方へ 相互リンクなど

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2006年4月6日に、『なぜ私は親鸞会をやめたのかを読んで』の管理人様からメールを頂きました。内容はこちら(『なぜ私は親鸞会をやめたのかを読んで』内のページ)に有るとおりです。

それについて当方が返信したメールを掲載致します。

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『「なぜ私は親鸞会をやめたのか」を読んで』の管理人様へ

メール有難うございました。

> 学生の活動についてのご質問でしたので、責任者でもない私には、答えることができませんし、
>その必要性もないでしょうと、前回申し上げたのです。分からないものが答えても、意味がない
>からです。それをなぜ誠意がないなどと言われるのか、理解に苦しみます。
>
> 私に聞かれても、おかどちがいというものです。
>
> そういうことは、親鸞会に直接質問すべきことでしょう。

もう一度、私のメールをよくお読み下さい。

私が聞いているのは、あなたが「反響集を読んで」に書かれた、
以下の部分についてのことです。

「正すべき点は、今後正されていくことと思います。
誰であろうが、違法行為や、他人に迷惑をかけるようなことをしてはならないのは、
当然のことですから。」

この部分についての質問ですので、これを書かれたあなたにお尋ねするしかないのです。
これについて、以下のように質問しているのです。

1、あなたが「今後正されてゆくことと思います」と書かれた「親鸞会の正すべき点」
とは、具体的にどのようなことを指しておられるのでしょうか?

2、また、私が挙げた以下の4項目は、「親鸞会で今後、正されるべき点」だと
思われますか?思われませんか?
よろしければ、その理由も書いて頂くと、よりあなた方の意見を正しく知ることが出来、
うれしく思います。


(1)、勧誘の際に、「浄土真宗親鸞会」という自分たちの立場を名乗らないこと。
また、声をかける最初の段階で「仏教を学ぶサークル」「親鸞聖人の教えを
学ぶサークル」と言わないこと。

(2)、「引き離し対策」「親対策」「兼部カット」といった行為をマニュアルまで作って、
組織的に行い、新入生の耳に、親鸞会への批判意見が入らないように巧みに
情報操作していること。

(3)、新入生に対して、先輩が「信心決定している」と偽ること。また、そのような
誤解を与えかねないような表現を平気で使い、あたかも信心決定が簡単に
出来るかのような誤解を与えていること。

(4)、「聞けば誰でも論理的に納得できる話だ」と言い、あたかも仏説の全てを、
「人間の智恵で、全て理解できる」と誤解を与えかねない表現を使っていること。


今までも、学友部の活動について、いろいろ書かれておられるあなたですし、
学友部の活動にも、何度も携わってこられたあなたでしょうから、
まさか、「学友部の活動など、まったく知らない」とは言えないでしょう。

私が質問した内容には、学友部の活動についてのものもありますが、
それは「学友部の責任者として、今後の活動をどのように改善してゆくのか」を
聞いているのではないのです。あなたの意見を聞いているのですよ。
読解力のあるあなたなら、私が何を聞いているかは、よくお分かりだと思っています。

あなたが書かれた文章について、疑問に思ったから質問しているのです。
ご自分で書かれた文章に責任をお持ちなら、お答えください。
いつまでもこちらの質問に答えて下さらなければ、何も進みません。
一方的に質問ばかりをされるのは、いかにも親鸞会会員らしいですね。

昨年から、何度、質問しても答えないのはあなた方なのですから、
まず、こちらの質問にお答え下さい。そうしなければ、何も進展しません。

よろしくお願い致します。


> それをしようとしないのは、本当に正したいという気があるのか、実際は、事実無根の
>いやがらせをしているだけではないのか、と疑われてもしかたないのではありませんか。
>
>まして、それを理由に「相互リンクをはらない」などというのは、おかしなことではありませんか。
>

相互リンクは、あなた方が貼られるはるか以前から、貼っていますよ。
「おかしなことではありませんか」とは、こちらのセリフです(笑)

あなた方こそ、お互いの意見を述べているのに、なぜ相互リンクを貼るだけの
作業がこれほど、遅れられたのでしょうか?

あなた方は、「親鸞会は実にオープンな団体だ」と思われているようですが、
過去、多くの人たちが指摘してこられたとおり、「親鸞会は批判意見を何とか必死に
隠したいのでは」と、思われても仕方がないかと思います。

リンクさえ貼ろうとしてこなかった、あなた方のそれらの行為により、
そのような批判を受け続けているのですよ。自業自得ではないでしょうか。


あと、この間送らせて頂いた質問は、まだあります。
以下の質問にも、すみやかにお答え下さることを願っております。

この質問の内容も、あなた方の書かれた文章についての質問です。
あまりに長い間、私のメールを無視してこられたので、
どれがどの文章か、分からなくなっているのではないでしょうか?

返答よろしくお願いいたします。


貴方は識者の論文を引用した上で、マインドコントロールは「きわめて日常的で、人間社会の
どこにでもある内容ばかり」であり、「なにかしら恐怖感を与えるこの言葉を執拗に繰り返すことで、
親鸞会を貶めようとしている」と主張しておられました。

ところで当方が指摘した、親鸞会で行われている「宗教法人を明らかにしない勧誘」については、
なぜか貴方のサイトでは反論どころか一切触れられていませんでしたね。

そこで、いくつか情報を提供した上で、質問をさせて頂きます。

貴方は、

私の宗教社会学関連で言えば、「カルト」の定義、教団への入信をめぐる「マインド・コントロール
論争」はほとんど不毛であり、イデオロギー対立の次元を越えない。つまり、布教・教化における
本人の自己選択と組織による影響力の度合いは、基本的に程度問題であり、個人ごと、教団ごと
ケースバイケースである。100%の自由意志も100%の強制もない。

(平成17年8月23日 中外日報  櫻井義秀 「スペイン・国際カルト研究学会大会報告」 )

との北海道大学大学院教授、櫻井義秀氏の文章の引用の後、

>入信をめぐる「マインドコントロール論争」は、ほとんど不毛と、専門家も断じています。

と主張しておられます。

しかし櫻井氏は、こうした自身の「マインドコントロール論」批判を、
「統一教会やエホバの証人や一部のジャーナリストが、私の全く意図しない場面で使おうとしている」
と指摘し、いわゆる「青春を返せ訴訟」での証言について、

証言において、あろうことか、筆者の「マインド・コントロール論」批判の論文も引用されたが、
趣旨を取り違えていたように思われた。つまり、筆者は「マインド・コントロール論」による入信の
説明は、宗教社会学の議論からは認めることができないと年来主張してきたが、「マインド・コント
ロール」という社会的告発に相当する宗教集団がひきおこした社会問題が存在していることは認めて
きたし、そのような教団を批判する場合の方法に関して、「カルト」「マインド・コントロール」論
に代わる批判の論点を持つべきであるという議論を展開してきたつもりであった。それは宗教社会学を
専攻しているものとしてはごくありふれた学問的立場であるといえよう。しかしながら、筆者の意に
反して、筆者の1996年の論文は統一教会側が「マインド・コントロール論」を否定する際に、日本の
研究者による証拠資料として提出された。筆者は統一教会の入教・勧誘活動を是認するものでは
なかったし、「マインド・コントロール論」を批判することで、「青春を返せ訴訟」原告の論理を
うち砕こうという気など毛頭なかった。

(「マインド・コントロール」論争と裁判- 「強制的説得」と「不法行為責任」をめぐって)

と主張しています。

そして、その青春を返せ訴訟の判示における、統一協会による勧誘行為の違法性については、

・勧誘等の方法が、長年の組織的勧誘等の経験に基づいた手法に基づき、組織的体系的目的的に
行われているという点。

・被告協会の協会員は、上記のように、組織的体系的目的的に宗教団体である被告協会への加入を
勧誘などするに当たり、当初はこの点を厳に秘しているという点。

をあげた上で、こう説明しています。

宗教団体を秘匿して勧誘することは単なる欺罔に留まらないといいます。物事を良く知っているか
どうかで判断力に差はあるとしても、事実に関わる事柄には、合理的・論理的に考えて誤りを指摘
することができます。しかし、宗教的教義には自然科学的知識や社会科学的論理で答えることが
できない内容が含まれています。神の存在、善悪の価値判断、歴史の目的、罪の起源と贖罪等。
これらを宗教として教えられれば、信じるか信じないかの判断をすればよい。しかし、教団がこれらを
あたかも自然科学的法則や歴史的事実のように語り、信者が普遍的真理として受け入れてしまうと、
その後自らの力で教え込まれた知識体系に客観的に反駁することが容易にできなくなります。個人の
人生を大きく左右する宗教的知識・論理をカモフラージュして教えることは、内心の自由に不当な
影響力を行使する、許されない行為であるとされたのです。

(新潟集会講演 2002/3/15「札幌『青春を返せ』訴訟にみるカルト問題の行方」)

櫻井氏はこのように自身の「マインドコントロール批判」が不当に使われていると主張した上で、
論文や講演などで繰り返し「宗教団体の正体を明かさない勧誘の違法性」について触れています。


私はそれらの論調を知った上で、西田公昭氏の著書を引用し、

「浄土真宗親鸞会」という宗教法人として認可された名前があり、部室の名義もほとんどは、
その宗教法人名であり、部室の家賃なども、親鸞会が出資しているにもかかわらず、
「親鸞会」という名前は、最初の勧誘では一切明かされないこと。

そして、「高森会長の説法を聴聞しに、富山県にある本部会館に毎月行く」ことや「財施と言って、
献金をすすめられること」など、最初は一切説明されなかった自分たちの活動の中身を、新入生に
対して、次々と小出しにしてゆき、いつのまにか、本人の意志で納得して選んだ形をとること。

と事例を挙げて、こうしたやり方は問題があると主張を致しました。

これらの批判についても、「きわめて日常的で、人間社会のどこにでもある内容ばかり」であり、
こうした手法を批判する事は「なにかしら恐怖感を与えるこの言葉を執拗に繰り返すことで、
親鸞会を貶めようとしている」と思っておられるのでしょうか?

同様に勧誘マニュアルなどで明らかになっている、「引き離し対策」「親対策」。また、
「未成年者に対して、両親の同意を得ずに、合宿などの場で深夜まで宗教団体への入会をすすめる」
などの行為についても、「きわめて日常的で、人間社会のどこにでもある内容ばかり」であり、
これらへの批判も、「親鸞会を貶めようとしている」と思っておられるのでしょうか?

上記の表現に間違いがなければ、そのように理解して、今後、あなたのサイトへの意見を
述べさせて頂きますので、他の質問はいいですが、上記の質問にはお答え頂きたいと
思います。間違いがあれば、分かるように、遠慮なく言って頂いてけっこうです。

では、どうぞよろしくお願いいたします。

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