なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集

『続・なぜ私は親鸞会をやめたのかを読んで』を製作された方へ その2

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2005年12月8日に『「なぜ私は親鸞会をやめたのか」を読んで』を製作した方に送ったメールについて、12月19日、先方からお返事を頂きました。

残念ながら「公開する必要はない」とのことでしたので、頂いたお返事についてはここで公開する事は出来ません。

簡単に先方の返信の内容を書くと、サイトデザインをまねた理由は「きれいに読みやすく作ろうとしたら、結果的にそうなってしまった」、本願寺の関係者や京都に根拠地を置く本願寺布教師の某グループと誤解していることについては「主張が同じなら仕方がない。誤解だというなら違うと言うことを証明して下さい」、また私のした質問については「答える必要性を感じない」とのことでした。

まるで誠意の感じられない文章であり、私としても大変残念に思います。

そこで、2005年12月26日こちらから更に、『「なぜ私は親鸞会をやめたのか」を読んで』を製作した方に返事をし、その内容を公開致しました。


お返事頂き、有難うございました。
返信が遅れて、申し訳ありません。

メール読ませて頂きました。

きれいに読みやすく作ろうとしたら、結果そうなってしまいました。
貴殿のサイトが、よくできているのだと思います。

そうですか、分かりました。

主張が同じであれば、同一人物か、代弁者とみなされてもしかたないでしょうね。
誤解だというなら、証明してください。

申し訳ありませんが、それはこちらのセリフです。単に主張のごく一部が似ているという程度で、何の根拠もなく、私の立場を誤って書かれることに、こちらは困っていますし、正直、不快な気分です。

あなたは今回、公開されたサイトで以下のように述べられています。

まさに、「マインド・コントロールといわれるものと類似点が多々ある」などという理由で親鸞会を非難しているこの人物に警告を発しているといえましょう。「類似点がある」ということなら、どんな集団でも、「類似点がある」のですから。

類似点があるといった、極めて曖昧な理由で、私のことを誤って認識され、そのように書かれることに、非常に迷惑していますし、また、不快な思いを感じています。

もし、あえて類似点があるといった理由だけで、私のことを認識されるなら、あなたが、今回発表したサイトの上記の部分は、あなた自身が行なっていることです。

親鸞会が「マインドコントロールを行なっている」と言われても、仕方のないことでしょう。あなた自身が私に対して行なっていることと同じです。

あらためて、申し上げます。

今回公開されたサイトで、そちらがいきなり一方的に、私のことを「本願寺の関係者」だとか、「京都に本拠地を置く布教使の某グループ」と言われているので、それらの部分を撤回して頂きたいと思います。

今後も、そのように書かれるなら、そちらこそ私が「本願寺の関係者」であることや、「京都に本拠地を置く布教使の某グループ」に所属していることを証明して頂きたいと思います。その根拠を教えて頂きたく思います。

ただ主張の一部が似ているといった、極めてあいまいな理由ではなく、たとえば、それらの団体の名簿に私の名前が明記されているとか、明確な理由をお願いいたします。

もし、事実であるなら、あなたがどのように書かれて、そしてそのことで私が不快な思いを感じても、それは事実なのですから、私のほうが忍耐しなければならないことかも知れません。ところが、まったく事実無根のことを言われて、本当にこちらも迷惑しており、不快な思いをしています。

そのようなことを分かって頂けないでしょうか?誠意ある方なら、どうぞよろしくお願いします。

貴殿からの質問には、答える必要性を感じないので、あしからず。

正直、不誠実なあなたの返答に失望しています。

質問の中には、以下の部分のように、あなたの作られたサイト自体に対する質問もありますが、なぜ答える必要性がないと感じられるのでしょうか?

私はそれらの論調を知った上で、西田公昭氏の著書を引用し、

「浄土真宗親鸞会」という宗教法人として認可された名前があり、部室の名義もほとんどは、その宗教法人名であり、部室の家賃なども、親鸞会が出資しているにもかかわらず、「親鸞会」という名前は、最初の勧誘では一切明かされないこと。

そして、「高森会長の説法を聴聞しに、富山県にある本部会館に毎月行く」ことや「財施と言って、献金をすすめられること」など、最初は一切説明されなかった自分たちの活動の中身を、新入生に対して、次々と小出しにしてゆき、いつのまにか、本人の意志で納得して選んだ形をとること。

と事例を挙げて、こうしたやり方は問題があると主張を致しました。

これらの批判についても、「きわめて日常的で、人間社会のどこにでもある内容ばかり」であり、 こうした手法を批判する事は「なにかしら恐怖感を与えるこの言葉を執拗に繰り返すことで、 親鸞会を貶めようとしている」と思っておられるのでしょうか?

○同様に勧誘マニュアルなどで明らかになっている、「引き離し対策」「親対策」。また、 「未成年者に対して、両親の同意を得ずに、合宿などの場で深夜まで宗教団体への入会をすすめる」 などの行為についても、「きわめて日常的で、人間社会のどこにでもある内容ばかり」であり、 これらへの批判も、「親鸞会を貶めようとしている」と思っておられるのでしょうか?

上記の表現に間違いがなければ、そのように理解して、今後、あなたのサイトへの意見を述べさせて頂きますので、他の質問はいいですが、上記の質問にはお答え頂きたいと思います。間違いがあれば、分かるように、遠慮なく言って頂いてけっこうです。

では、どうぞよろしくお願いいたします。


 

もし先方からお返事を頂き公開についても同意を頂けたならば、ここに掲載するつもりです。

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