なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集

親鸞会以外に生きる選択肢が見出せなければ、疑念を押し殺してでも、わずかに残った「この教えこそが本物かも知れない」という可能性に向かって精進しようとするでしょう。

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たまたまサイトを拝見いたしました。

同世代の元幹部の方かと思うと懐かしくというか、思わずメールしました。

私はかつて阪大で活動していた者です。途中、ある大学の新規開拓にはサブリーダーからリーダーとなって活動し、会員を辞める時は遺弟メンバーでしたので、いわゆる幹部でした。

このサイトを見て最初に思ったことは「Wさんが弘宣部長か、Aさんは死んだのか?」です。(笑)そんなことは置いといて、大変に感銘を受けましたし、意を得るところが多かったです。(管理人注・Aさんは別部門で元気で活動しておられます)

「そんなことはあってほしくない」という思いから、親鸞会の教義や活動を、なんとか正当化しよう、という心理が自覚もないまま、常に働いていたと思います。

といった部分は講師部員を含め現会員にも少なからずあると思います。なぜなら本来「なぜ生きるのか」「生きる目的は何か」「死ねば手放す物のために必死に生きることはできない」とまじめに考え、悩む人間は、ノドから手が出るほど「人生の目的」に飢えています。

多少教義をおかしいと感じても、親鸞会以外に生きる選択肢が見出せなければ、自らの疑念を押し殺してでも、わずかに残った「この教えこそが本物かも知れない」という可能性に向かって精進しようとするでしょう。

私が辞めた理由も入会当初にあった教義への疑問の再燃と身体的経済的疲労の蓄積によるものです。再燃した疑問とは、阿弥陀如来が無始から救済をしているのなら、全員救済が完了しているはずである(例:百年に一人が信心決定したと仮定 1/100年×∞(無限年)=∞(全員救済完了)、というもの等です。

辞めて8年近く経ち、ようやく親鸞会に関する夢(睡眠中のもの、希望という意味ではない)も見なくなりました。まだ全国で辞めたけど立ち直れていない方、辞めようと悩んでいる方、たくさんいると思います。このサイトを作成された勇気に、尊敬の念を抱いております。これからも頑張ってください。

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