なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集

こんなことをいつまで続ければいいのだろう?

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数ヶ月前にこのサイトを知りました。

私は求道歴10年余の会員ですが、ここ数年、2つの理由により退会を考えておりました。

1つは管理人様と同じ「高森先生の説法の質が落ちてきたのではないか?」という疑問。もう1つがここ数年で激しくなってきた言論封殺に対する不審です。

私は体調や学業・仕事の関係から、学友部(当時は学生部でしたが)時代から平日の活動にはあまり参加できていなかったのですが、それでも聴聞だけは欠かさないように努めてきました。

しかしいつの頃からか、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」から進まなくなった本部ご法話、アシスタントへの指摘の繰り返しだけで時間が過ぎていく冗長な教学講義に、「こんなことをいつまで続ければいいのだろう?」という疑問を抱くようになりました。

しかし、私も「同じ話を聞かせていただくのが仏法」「信仰が進めば同じ話でも違うように聞こえるのだ」と叩き込まれていた為、このような疑問を抱くのも自分の信仰が浅い故だと、真剣に聞法しようと自分に言い聞かせてきました。

そんな中、私にとって衝撃的な事件がおきました。学生時代お世話になった先輩(講師部に進まれた方です)が除名処分を受けたのです。支部も違う私には当然詳細な経緯を知る術もありませんでしたが、大変なショックを受けました。

お世話になった先輩だから、という欲目もあるのでしょうが、「全人類が救われる唯一つの道といいながら、なぜその道を絶つようなことができるのか」「その方に聞き違えがあったというのなら、まず法施をするのがあるべき姿ではないのか」と激しい憤りを感じました。

思い返せば、その以前にも同様のことはありました。本部で正本堂建立についての話があった時のことだと思います。野次を飛ばした学友部員がいましたが、その人も除名処分になったと記憶しております。

聴聞に対して疑問を抱きはじめたところに加えて、「会に対する批判は許さない」という体質、唯一の真実といいながら真実を求めて入会した会員に対する除名という慈悲のかけらも感じられない処分……。遅まきながら会の独善的・独裁的な体質に気づき、不審は募っていきました。

人生の目的を求めたいという気持ちと、会に対する疑問の間で揺れていたときにこのサイトを見つけ、皆様の体験談を拝見した次第です。その後も聴聞や会員の人との話を通して色々と考え、この度退会を決意するに至りました。

親鸞会に対して疑問を抱いていても、なかなか口には出せないものです。逆に「私の宿善が薄いからだ」と自責の念に駆られることもあるでしょう。(私のような熱心に活動していたとはいえない者さえそうなのですから、一生懸命活動されている方はなおさらではないでしょうか)

このサイトで退会した方、現役会員の方の意見を伺うことができて、自分自身の本当の思いを客観的に見つめなおすきっかけを頂きました。管理人様には心より御礼申し上げます。

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