なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集

私が親鸞会を辞めた理由

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信心決定してないのに他の人間を勧誘していること。

しかも、私を勧誘した会員は、「自分は親鸞会で実際に絶対の幸福になったし、他にもここで聴聞して、実際に信心決定した人はいっぱいいる」と言った。

ところが後になって、「ああ、あれはそう言わないと、君がついて来ないと思ったから。方便だよ」・・・だと!!!(怒)あったりめえだよ!実際にそんな信心決定という体験があるのかどうか、こっちが知りたいのはそれ一つじゃないか!「信じる」という曖昧なものでなく、疑いようのない体験があり、事実なんだ、っていうそこが肝心なんだろうが!信心決定したって言うから今まで聞いてきたんじゃないか!それを、嘘だった、だと?

「これであなたの病気は絶対に治ります。私もこの薬で治ったんです。他にも実際に治った人が大勢います。」って薬を売りつけておいて、「ああ、自分が治ったっていうのは嘘だよ。他の人のこともよくわからないんだけど・・・。だってそうでも言わなきゃ買わなかったでしょ?」っていうのと全く同じだ。治った人が実際にいるって自信マンマンにいうから買ったに決まってるじゃないか!

勧誘してる個人は善意のつもりでも、いや、善意だけにますます恐ろしい。悪質極まりない。いくら人間的には誠実な人が多くても、やってることは詐欺だ。よくもそんなことができるもんだ、と、心底怖くなった。

はじめは「絶対だ!間違いない!」と勢い良くて、嘘だとわかると、急にしんみりと語りだす。「でもさ・・・どうせならさ、必ず治るって言ってるものに懸けたいじゃないか・・・」な〜んだ、、、最初とずい分温度が違うことで。そんなレベルだったのかよ!

信心決定に魅力を感じないこと

信心決定すれば、人は死ねば無間地獄に落ちて未来永劫苦しみ続けることが推測ではなく、疑いようのない現実として「わかる」のだそうな。もし、そんな地獄絵が自分の目の前に現実として腹の底まで見えるようになったら、それこそが自分は永遠の地獄に落ちたってことさ。

自分が信心決定したら、他の信心決定していない無数の人間たちが、これ以上なく苦しみ続けるサマを永遠に見続けることになるんだよ。

食事どきに悲惨なニュース見るだけでも不幸な思いになるのに、ブラウン管も通さず、食事中も寝ている間も、マンガ読んでても好きな人とセックスしてても、その地獄絵を腹の心でまざまざと絶え間なく見るんだよ。

自分だけは大海を貝殻で干すより、地球を持ち上げるより難しい確率で助かった、ラッキーな人間だ。ああ幸せ幸せ、これ以上ない幸せ〜♪なんて感じられるのが幸福の境地なんかね。そんな境地に何の憧れもないね。

自分が信心決定して、「この地獄絵は現実本当なんだ、助かる道は親鸞会で、たった今、絶対の幸福になる道だけだ!」とわかったなら、幸福なんて感じるゆとりなんかないよ。

自分の目の前の地獄絵の人を救うには、今、地獄絵の無数の人々を信心決定させなきゃならないんだから。

寝てる場合じゃない、幸福だの平和だの喜びを感じる余裕はない、一瞬の心の休まる間も笑うゆとりもない、食事も電車に乗るのも歩くのもとんでもない!たった今、信心決定させなければならないんだから。そして、今、無数の人間が信心決定していない。

この現実は、「信心決定は私にとっては幸福ではない」っていうことの何よりの証明なのさ。

信心決定したら「生活」なんて悠長なことできないのさ。生きてなんかいられないさ。信心決定した途端、全身から血を噴きだして狂いねじれておっ死んじまうさ。

「あなたの理屈ではそうかもしれないが、絶対の幸福というものは、そんなものではないのです。あなた如き愚か極まりない凡人がどんなに考えあぐねたところで、信心決定の境地ははかり知れないのです。」っていう現会員がいる。

はあそうかいそうかい。で、あんたは信心決定しなさったのか?フフン、やっぱりな。

愚か極まりない凡人のあんたが、親鸞会を聞けば必ず信心決定できるって、根拠もなく信じ込んでるだけだろ?そんな愚か極まりない妄想、何万回聞かされようが、な〜んの説得力もないのさ。

あんたもどうせ、勢いこんでそうは言ったものの、しんみりと語り出すんだろう。

「親鸞会に背を向けたって、死ぬのが怖いのは本当だし、どうせ人生は苦しいことの連続、諸行無常の現実なんだ。それなら、どうせならそれを絶対に解決してみせる!その道がここにただ一つある!っていうほうがいいじゃないか・・・」

それだけだろ?「絶対解決、その道はここ一つ!」なんて言ってる宗教は、他にもいくらでもある。親鸞会は、そんな中の小さな一つに過ぎない。

お前は愚か極まりない煩悩具足だから、お前如きの思考では説明のつかない、人智を超えたものに救済があるってことで、自分で考えることを停止させられるのも、同じやり方の宗教は他にいくらでもあるね。

親鸞会をやめる時、「死ぬのが怖くないのか!」と言われた。

はあ?親鸞会にいたら死ぬのが怖くなくなると思ってんのかね??

死ぬのを恐れることぐらい、自分に許してやったらどうなんだ。親鸞会の教義を信じていたら、自分が死んでいく時、自分が真剣に求道しなかったから、こんなに恐ろしいのだ、苦しいのだ、無限の地獄に落ちていくのだ、と、ただでさえ地獄の死を、自分でさらに首を締めながら、本当に無間地獄を作り上げて死ぬんだろうな。可哀想に・・・

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