なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集

私のように思っている者がいることも、知って頂ければと思い、このような意見を述べさせて頂きました。

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私は現在、ある支部で聞法している者です。

このサイトの存在は、以前から知っていましたが、この度、少し述べさせて頂きたいことがあり、メールを送らせて頂きました。私は、これからも親鸞会で聞法するつもりであり、会を辞めるつもりはありませんが、管理人さんの言われたいこともよく分かります。

今回は、先日の御法話に参詣して、少し思ったことを述べさせて頂きます。よろしくお願いします。

先日2月5日の日曜日に、正本堂で行なわれた御法話で、高森先生がおっしゃったことについてです。五逆罪についてお話しをされている時、アシスタントの講師の方が、五逆罪を一つずつ黒板に書いてゆかれました。そして、5つ全部を書き終わったところで、先生は「これ、ここ(デジタルボードでしたか)には出るんか?」と聞かれました。しばらくして、デジタルボードに五逆罪が表示されました。すると、先生は操作をしている人に、「出るのなら、『出る』とか『出す』とか言えよ。」とおっしゃられ、直後に「これ、すぐに忘れてしまうんや」と笑いながら、言われました。

先生はご説法に真剣になっておられるからか、デジタルボードを活用されることまで気が回られないのかもしれませんし、それはむしろ、アシスタントの方がされることなのかもしれません。しかし私は、この時、先生がおっしゃったことが、心にひっかかり、なかなか忘れられませんでした。正直な気持ちを申しますと、憤りを感じてしまいました。

それは、デジタルボードをはじめ、根拠装置、映像・音響設備など、正本堂のすべては、多くの会員の皆さんの尊い御報謝によって、造られたものだからです。私も、「会長先生の御説法を、皆が一同で聞かせて頂きたい」との願いのもと、わずかな額ではありますが、精一杯、御報謝させて頂きました。

私が担当させて頂いている会員さんの中には、本当に必死で御報謝された方々が沢山おられます。わずかな年金から、節約に節約を重ねられ、御報謝された年配の方。経営していた会社が倒産にあい、自分ひとりが生きていくだけで精一杯なのに、その中、家族を養いながら、財施された方、などなど…。みていて、「本当に大丈夫だろうか…」と心配するくらい、必死で御報謝されていました。これらの多くの方々の、血と汗と涙の尊い浄財によって、建てられたのが正本堂だと思います。

その正本堂の設備の一つである、デジタルボードの活用について、先生御自らが、「すぐに忘れてしまうんや」とおっしゃられたことは、正直、私は大変なショックを受け、憤りを感じてしまいました。

おそれおおいことではありますが、会長先生が念仏谷十八番地で、貧しい生活の中、ご布教なさっておられた頃には、決して出てこない言葉ではなかろうか、と思ってしまいました。もちろん、先生がイバラの道を歩んでこられたご苦労に比べれば、私たち会員一人ひとりの努力など、全然足元にも及ばないものだということは、それはもう、よく分かります。

今回の御説法でも「弥陀は命をかけて約束しておられるのに、聞かせて頂く者が居眠り半分で聞いておって、火花が散るか!」とお叱り頂いたことは、忘れられません。自らの聞法姿勢を反省させられるとともに、弥陀の命がけのご苦労を、また命がけでお説き下さっている先生のご苦労を偲ばずにおれませんでした。

私のような者が、言えることではないのかもしれませんが、会員の皆さんは、先生のおっしゃる一言一言を、とても敏感に感じます。私のように思っている者がいることも、知って頂ければと思い、このような意見を述べさせて頂きました。では、失礼いたします。

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