なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集

何でも御縁と言って、何も知らない新入生に嘘(あえて嘘と言わせてもらいます)をついて(宗教じゃないと言って)勧誘することには反対です

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現在大学3年生で、大学1年生の4月から9月まで親鸞会に関わった者です。

入学式前に書類を取りに行ったときから誘われて、たった半年だけれど、真剣に活動を行っていたと思っています。

同学年の中でも先頭をきって7月には会員になっていました。

4月から6月までは、ちょっと普通とは違うけれど、仏法のお話しは大変に奥深いし、先輩とも仲良くなったし、居心地良いし、他に信頼出来る人はいないし…という理由から、楽しく活動していたと思います。(活動と言っても私の場合は先輩に連れられて講師の方やビデオ・合宿・富山での説法をほぼ毎日のように聞くということなのですが。)

事実、初めての一人暮らしで、仲の良い友達も出来ず、空回りしていた4月当初、先輩達だけが、頼りになる存在でした。

7月後半、ある事件をきっかけに、親鸞会を辞めようと思ったことがありました。

うちのアパートにはおばあちゃんが持って行きなといってくれたお札が本棚の上に立てかけてあったのですが、以前に先輩からそういうものはしまった方が良いと言われたので、ずっと伏せてありました。

しかし、うちに不審者が入り、心配した母が駆けつけてくれたことがあったのです。ひと段落して雑談をしてた時、母が、「あ、神様が倒れてるよー。」って言って、そのお札を立て直してくれたんです。

母が帰った後に、私はそのお札をもう一度伏せることがいやでいやでたまりませんでした。なんでお母さんの気持ちを踏みにじらなくちゃいけないんだろうって、気持ちでいっぱいでした。

また、母が来たとか、不審者が入ったとか、何でわざわざ全部を先輩に話さなくちゃならないんだろうって、思ったのです。

私は、親鸞会に入った理由は主に、一人ぼっちの大学生活を恐れてた気持ちが強かったのですが、思い切って辞めたいということを先輩に伝えました。

そのときに、先輩がうちに来て、説得をしてくれました。

その内容は、主に、死後の恐怖についてでした。その話が怖くて怖くて、泣いてしまいました。自分は今まで全然わかってなかったんだと、思いました。

そして、その事件以降も続けることにしたのです。

しかし、7月後半から辞めるまでの約2ヶ月間は本当に辛いものでした。

死の恐怖も辛かったけれど、何が一番辛いって、自分を責め続けることが一番辛かったです。

今まで自分のことがどちらかと言えば好きだったのに、人間の悪の部分の話を自分に当てはめたり、良い事をしても、自分には下心があるんだって考えたり。。。自分を責め続けて、いつも心を痛めてました。普通にふるまっていても、なんとなくいつも怯えているような感じでした。

自分に親切にしてくれる人にも、この人は自分の悪に気付いていないだけだと考える自分も嫌だったし、なんとなく、他人(親鸞会に入っていない人たち)のことを素直に見れない自分がいました。もちろん、そんな自分はやっぱり悪だと思うことがすごく辛かったです。

そして、9月、私の退会を決定付けることがありました。

それまでも、納得いかないことや疑問・不安に思うことがたくさんありました。

・なんで早起きは善なのかという疑問に先輩の返答が一瞬止まったこと。

・御報謝と御法礼の違いを先輩に聞いたときに答えてくれなかったこと。

・はじめは特に何も言われなかったビデオ御法話、ゲスト講師の御法話にも財施を施すようになったこと。

・部室での講師の御法話に先輩たちが財施してる雰囲気がうかがえたこと。

・自分専用のアニメビデオを先輩達は持っているということがなんとなくわかったこと。

・富山での御法話も同じお話を何度も聞くようになったこと。

・新しい子が聞きにきているとき、自分は先輩に特に何も言われていないけれど、仏法的なことを喋ってはいけないというような雰囲気だったこと。

・将来自分が好きになった人が他宗教のときはどうすれば良いなか。

・自分を好きになってくれる人はいるのか。(正直、宗教をやっているということにうしろめたさを持っていました。それでも、それすらうしろめたく思わないようにしようと努力しようとしていたのですが。)

・他の人をなんとなくばかにしている発言が感じられたから。

・○○さんに彼氏がいるという情報や、△△君の嫌いな食べ物の情報などが、紙に書かれて先輩達全員はそれを把握しているらしいということを同級生の子に聞いた。

それから、何度も何度も先輩に、私は教えを、信心決定を信じることが出来ないという相談をしていました。

信じたいけど、信じられたら気持ちが楽になると思うのだけれど、信じ切ることが出来ないです。と、相談していました。

先輩は優しい方だったので、それは信心決定出来るまでは、だれでも、そんな不安はあるんだよ。と、こんな私でも阿弥陀仏は救ってくださるのだろうかっていう不安はあるんだよ。と、お話してくれました。

私は、先輩はその救ってくださるのかどうかに疑問があるのではく、その教え自体が本当であるかどうかに疑問を持ってしまう自分がいる、と、更に相談しました。先輩は教え自体が本当だというのは信じていますか、と聞いたら、それは本当だと信じている(言える)。と言っていました。どうしたら、そうなれますか、と聞いたら、それは話を聞いたら、これは嘘じゃないなって思えるよ、と答えました。

だから、こんなに先輩にもお世話になったし、いつか信じることが出来るなら、こうなったら聞いていこう…と決めていたのです。。。が、

後期の勧誘について話していたときに、どう言ったら初めについてきてくれるかなあという話し合いを先輩方がしてました。

私は、「私は、『ゼミの説明って何かもう聞いた?』って声掛けられましたよ〜。」って答えました。そしたら、先輩が、「ああ、それは新入生って初めのときって何も知らないから、知らないことを聞くと、それ何ですか!?ってなるんだよね〜。だから今の時期は使えないかな。」みたいな感じで答えられました。その時、私は、辞めようと決めました。なんでも嘘も方便で過ごそうとしていることが信じられませんでした。

また、家に帰り、親鸞会の反対サイトを見つけて、もちろんすべてが本当とは限りません、嘘もあるかもしれませんが、自分の経験とぴったりのことが多々書かれてあったので、それも弾みにして、勢いで辞めることにしました。

もちろん、その後も先輩が話をしにアパートにも着たのですが、今はやりたくない、他のことを楽しみたい、自分のことを責めて毎日を過ごすのはいやだ、という旨を伝えました。もっと歳を取ったらやるかもしれない、でも、今こんなふうに過ごすのはいやだ、というような感じで伝えました。もちろん先輩からは、死はいつかやって来るものなのに、その解決をしなくて良いのかということも聞かれました。それでも、かたくなに断りました。

その後、私はすぐに気持ちが晴れたわけではありません。半年〜1年くらいはずっと心が死や悪のことで重くて辛かったです。もちろん、覚悟の上だったけれど、頼れる人は誰もいなく、学校が始まってはじめの2日くらいは泣いてばかりいました。

そんな私を救ってくれたのは家族です。金曜日は授業を取っておらず、月曜日も午後から授業だったので、週末は帰っておいで、と言ってくれたのです。片道約8000円くらいかけて、毎週実家に帰っていました。お金がかかって本当に申し訳なかったのですが、何も言わずに迎え入れてくれて、本当に嬉しかったです。週3日は実家にいれたので、他の日もがんばれました。

また、他学科の友達と週1回同じ授業を取ったり、学科の友達にも少しずつ話しかけるようにして、凄い、というわけではないけれど、少しずつ友達が出来ていきました。

実家に帰る回数も2週間に一度、とか、だんだん減らしていきました。

2年生になってキャンパスが変わり、すごく悩んだけれど、色んな人に相談して、励ましてもらって、あるスポーツのサークルに入りました。

今、そのサークルをすごく楽しんでいます。あのとき勇気をくれた皆に感謝です。

友達も、そんなに多くはいないけれど、信頼出来る友達が出来、今では実家にもほとんど帰らず、充実しています。

信仰の自由は否定しないし、自分が携わっていたことにより宗教に対する偏見は無くなったし、信仰する人を否定することには反対です。

ただ、何でも御縁と言って、何も知らない新入生に嘘(あえて嘘と言わせてもらいます)をついて(宗教じゃないと言って)勧誘することには反対です。

死とか、悪とか、簡単に出して良いものだとは思えないんです。

必死に救おうという気持ちがあるのはもちろんわかっているのですが、そのことを知らない方が良かったって思う人も必ずいるんです。(私はそうです。話を聞かなかった頃に戻りたい、何も知らなかったころに戻りたいって良く思っていました。)

だから、だんだん小出しにする方法や、新入生同士を近づけないことや、サークルに縛り付けることなどを止めて頂きたいと思っています。

今日は、急に思い立って検索してみたらここにたどりついたのですが、こうして振り返ってみると、私はまだまだだなーってことにたくさん気付きました。真剣なつもりでも、疑問や、感情がたくさんあったんだな、と思いました。

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