なぜ私は親鸞会をやめたのか

高森顕徹氏と大沼法竜氏の著書の類似点(4)

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大沼法竜著 「法界」 P30
お師匠様、あなたのお弟子は380余人おられますが、現当二世の幸福を得て、未来永劫平等の真証を得らるる方が何人位いいられますでしょうか。善信房よ、人間の信仰と言うものは表面から見たのでは判断は出来ないだろう。それなら私に調べさして頂けないでしょうか。
やって見るもよかろうと

高森顕徹著 「会報 第5集」 P97中段
「お師匠さま。親鸞は、どんな不思議な宿縁がございましてか、お師匠さまに遇わせて頂きその上、380余人もの、法友に恵まれ、
(略)
この世だけの友達では情けのうございます。あまたある法友の中で真に現当二益の絶対の幸福を得て未来永遠に平等の真証を得らるる方が何人位あるだろうかと案じられてなりません。」
「親鸞、そなたもそのことを考え煩っていたのか。この法然も常に案じていたことだ。しかし、信心は心の問題だから仲々表面だけでは判断が難しいが、どのようにして確かめようとするのじゃ」と尋ねられた時、わが聖人は、さも満足そうに「私に一つの名案がございます。私にまかせて頂けましょうか」「結構なことだ。それこそ本当の親切というもの。そなたの思う通りにやってみられるがよかろう」

大沼法竜著 「法界」 P31
本日は信の座と行の座とを分別する事になりましたから各々その座にお就きを願います。詳しく説明すれば行不退、信不退、行不退とは行前信後、信不退とは信前行後、不退とは成就の文の即得往生住不退転の意味で信仰を獲たと同時に往生を得て、あとずさりしない仲間入りが出来る、再び流転しない仲間入りが出来たと言う、自覚、決定心を得た位である。行とは名号一行、勝易の二徳の有る名号を称えたので往生が決まるのか、名号を信じた徳で往生が決まるのかと言う問題である。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P99中段
「本日は御師、法然上人の認可を頂き皆さんに是非お尋ねしたきことがございます。ごらんの通り今ここに、行不退の座と信不退の座を設置致しました。いずれなりとも各自の信念にもとづかれてお入り願いたい」と言われたのである。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P99下段
詳しく説明すれば、不退とは『本願成就文』の「即得往生住不退転」の意味であり、往生を得て、絶対の幸福を得た位のことである。その絶対の幸福になるには行でなれるのか、はた又、信でなれるのかという問いが行不退か、信不退かということでなのである。
行は念仏一行のことであり勝易の二徳のある念仏を称えさえしておれば往生が決定し絶対の幸福になれるのか、破闇満願の徳のある名号六字を信じた徳で往生が決定し、絶対の幸福になれるのか。 

大沼法竜著 「法界」 P32
聖覚法印、信空上人に次いで熊谷蓮生房が信不退の座に就き、其他は去就に迷い判断に苦しみ、曖昧な信仰でうろついていたから聖人自明を記し、最後に法然上人も信不退の座に就くべしと仰せられたとすれば、大勢至菩薩の化身と仰ぐ法然上人、阿弥陀仏の来現と慕う親鸞聖人の御二人を除いては380余人の中で信不退の座に就いたのは僅かに3人ではないか。此の御二人を師匠と仰ぎ法友として親しみながら、しかも仕事片手の俗人ではなく身心を捧げた僧侶ではないか。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P101下段
果してその実、決然として信不退の座に就いた者は聖覚法印と信空上人の二人しかいなかった。ややあって遅参した熊谷蓮生房は、ただならぬ有様を見て驚き「親鸞殿、何ごとがござったのか」と尋ねた時、聖人はことの次第を説明なさると、即座に「然らばこの蓮生房、信不退の座に入れて頂きます」と漸く信の座は三人になったが、その他の380余人は、その去就に迷い、判断に苦しみ「更に一言をのぶる人なし」と『御伝抄』にはある。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P103中段
やがて聖人も自名を記して信不退の座に進まれたのは当然である。かくて最後に380余人注視の中に「源空も信不退の座につくべし」と法然上人もまた信不退の座につかれた。

大沼法竜著 「法界」 P36
祖師が法然の教団の隆盛を念ずるの余り、両座を判別した事が、師匠の前で侮辱を与えた事になるので御伝抄には「そのとき門葉あるひは屈敬の気をあらわし、あるひは鬱悔のいろをふくめり」と書いてあるが、後悔した事は、自分の信仰の不徹底さを懺悔して真剣に求道しようと発憤したのではない。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P103下段
「その時、門葉あるひは屈敬の気をあらわし、あるひは鬱悔のいろをふくめり」(御伝抄)とあるように、一応は驚いてへり下りはしたがそれは自分の信心の不徹底さを懺悔してのことではなく、

大沼法竜著 「法界」 P13〜15
紫雲殿縁起に、聖人26歳の時、京都より叡山に帰る途中、赤山明神の玉垣より美しい女性が顕われて、善信房様、私は比叡の峰に登り度いと思いますがお連れ下さいませんか。
貴女は此の山の掟を御承知ないのですか、この山は結界の地と申しまして、五障の霞みに迷うている女人は登る事が出来ません、三従の谷深く破れている女人は行く事が出来ない規則です。
まあ伝教程の大学者が涅槃経の中の一切衆生悉有仏性の文字が読めなかったので御座いましょうか。それならお尋ね申しますが、結界の地には鳥も獣も雌はいないのですか、鳥や獣の雌が住んでいるのに人間の女人が何故登れないのですか。
聖人は一言の返辞が出来ない。
貴殿は末代の智者で御座います、この道理をよく弁えて下さい、いくら山上に水を湛えていても谷川に流れて田地を潤さなかったなら人々の利益にはなりません。
僧侶がいくら山上で修行して救われても、一般の人々が救われる宗教でなかったなら万機普益ではありません。何卒悪人、女人の救われる宗教を弘めて下さいませ。これはお逢いした記念に差上げますがこの玉は天の日が加わった時に光を放ちます、それは千日の後に思い当ることが有りましょう。千日とは三年の後、玉日の姫との結婚となり、

アニメ 世界の光 親鸞聖人 第1部解説書 P20
京都市街を離れ、比叡山のふもとの赤山明神の前を通りかかられた時である。(正しくは赤山禅院といい、比叡山延暦寺の別院である。現在の京都市左京区修学院)どこからともなく麗しい女性の声が響いてきた。「親鸞さま、親鸞さま」振り返ってみられると、そこには天女かと思えるような美しい女性が立っていた。
「私を呼ばれたのは、そなたですか」
「はい。私でございます。親鸞さまに、ぜひ、お願いがあって。どうかお許し下さい」
「この私に、たのみ?」
「はい、親鸞さま。今からどこへ行かれるのでしょうか」
「修行のために、山へ帰るところです」
「それならば、親鸞さま。私には、深い悩みがございます。どうか山にお連れください。この悩みを何とかしとうございます」
「それは無理です。あなたも御存知の通り、このお山は、伝教大師が開かれてより、女人禁制の山です。とても、お連れすることはできません」
「親鸞さま、親鸞さままで、そんな悲しいことを仰有るのですか。伝教大師ほどの方が、涅槃経を読まれたことがなかったのでしょうか」
「えっ、涅槃経?」
「はい、涅槃経の中には、『山川草木悉有仏性』と説かれていると聞いております。すべてのものに仏性があると、お釈迦さまは、仰有っているではありませんか。それなのに、このお山の仏教は、なぜ女を差別するのでしょうか」
「…」
「親鸞さま、女が汚れているから、と言われるのなら、汚れている、罪の重い者ほど、よけい憐れみたもうのが、仏さまの慈悲と聞いております。なぜ、このお山の仏教は女を見捨てられるのでしょうか」
聖人は、返す言葉もなく、ただ聞いておられるばかりであった。そこへ、止めを刺すように、
「親鸞さま。このお山には、鳥や獣のメスは、いないのでしょうか」
「そ、それは」
「汚れたメスが入ると山が汚れると言われるならば、すでに鳥や獣のメスで、この山は汚れています。鳥や獣のメスがいる山へ、なぜ人間のメスだけが、入ってはならないのでしょうか」
「…」
「親鸞さま。お願いでございます。どうか、いつの日か、すべての人の救われる真実の仏教を明らかにしてくださいませ。親鸞さま。お願いでございます」
女性は、包みから綺麗な玉手箱を出して、親鸞聖人に渡した。箱の中には、美しい宝玉が入っていた。聖人は、一礼して、山への道を進まれた

大沼法竜著 「法界」 P16〜17
昨日まで酒色に耽った平家の落人が、俄に頭を丸めたからとて精進潔斎の出来る筈がない、夜になれば徒とうを組んで遊女通いをするのを見せつけられた聖人が、自分一人なりとも仏道の真実に生きようと圧えれば圧える程煩悩の蜂は飛び立ち、殺そうと思えば思う程猛威を震う恐ろしさ、遊女通いをして酒池肉林の楽しみをしている他の僧侶と精進潔斎を誓うて煩悩を制し得るものと自惚れている自分とどちらが清僧なのだろうか。或時二人の僧侶が、女を見まい、物を言うまいと約束をして托鉢に出た、途中小川の丸木橋の上で美人に出会い、抱えて反対側に渡したら、今一人の僧侶の怒りは物凄く、帰るが早いか怒鳴りつけた、
朝の約束を忘れたか、
知っているよ、
知っているなら何故女を抱えて渡したのだ、
そんな事が有ったなあ、
白ばくれるな、
俺は邪魔物が有ったから抱えて除けただけだ、お前は今迄抱えていたか
と逆襲されたそうだが、実行する者と思い続けている者とどちらが罪は重いのだ。宗教は心の動きに重きを置くのではないか、それなら自分は色欲の虜となって思い通しに思うている恐ろしさ、

アニメ 世界の光 親鸞聖人 第1部シナリオ P31
ナレーター「この頃、源平の合戦に敗れた平家の落ち武者たちは、厳しい源氏の追及を逃れるため、にわか坊主になって治外法権の比叡山に潜んでいた。彼らは昼間こそ、殊勝そうにしているが、夜になるとかつての酒池肉林が忘れられず、山を抜け出しては、祇園や島原の遊女と戯れていたのであった」

アニメ 世界の光 親鸞聖人 第1部シナリオ P32
親鸞聖人「ああ、何たることか。人間の目はごまかせても、仏さまの目はごまかせないのだ。オレだけでも、戒律を守り抜いて見せるぞ」

アニメ 世界の光 親鸞聖人 第1部シナリオ P34
親鸞聖人「ああ、何たることか。オレは、体でこそ抱いてはいないが、こころでは抱き続けているではないか。それなのに、オレほど戒律を守っている者はないと自惚れて、彼らを見下している。心の通りにやっている彼らの方が、よほど私より正直者ではなかろうか」

大沼法竜著 「法界」 P41
20カ年の修行も百夜の祈願も外に向かって救いを求め、諸悪莫作衆善奉行と自力修繕に全霊を打込み、廃悪修善に魂を捧げ、定水止観に専注しても、散乱粗雑の心はやまず、見れば見る程、あせればあせる程深淵に沈む哀れな存在に悩む時、聖覚法印に逢い、あなたは顔色が勝れないが御病気ですか、
はい心の悩みで御座います。
その人生苦難の生死の苦海を渡す舟人は吉水の禅房の法然上人より他にありません、
それこそ観音のお告げなりと喜び、聖覚法印に伴われて禅房を尋ねられた時

アニメ 世界の光 親鸞聖人 第1部シナリオ P40
ナレーター「百日の祈願をなされたが、なおも、一大事の後生に苦しまれた聖人は、夢遊病者のように、京の町へと出てゆかれるのであった」

アニメ 世界の光 親鸞聖人 第1部シナリオ P41
聖覚法印「ありがとうございます。親鸞殿、少々お顔の色がすぐれられないようだが」
親鸞聖人「はい、聖覚殿。肉体はどこも悪くはありませんが、親鸞、心の病気で苦しんでおります。聖覚殿、あなたはこの魂の解決、どうなさいましたか」

アニメ 世界の光 親鸞聖人 第1部シナリオ P43
聖覚法印「親鸞殿。あなたのその苦しみは、必ず解決できます。ぜひ、法然上人に、お会いしてください」
親鸞聖人「聖覚殿。ぜひ、法然上人のもとへお連れください」
聖覚法印「いいですとも。さあ、行きましょう」

大沼法竜著 「法界」 P26
往生の望みが絶えた時が、出離の縁有ることなし、地獄は一定住家ぞかしと、切り堕とされたが先か、我能く汝を護らんの親の念力が貫いたが先か、他力廻向の念力が届いたが先か、自力機執の手を離したが先か、言亡慮絶、不可称不可説不可思議の信楽、無条件も無条件一分一厘増さず減さずの素地の儘、裁かず捨てず有りの儘地獄遁れただけでも大事だに52段の証りとは不思議の中の不思議で御座いますと法然上人の膝に泣き崩れた時、上人は善信房の肩をさすりながら五濁悪世の泥田の中に信楽開発の白蓮華、善信房でかしたぞ、五劫思惟の本願はそなた一人の為であったのだ、と誉め讃えられ、共に手を取り合って再び迷わぬ身にさして頂いた身の仕合せに感泣されたのであった。

アニメ 世界の光 親鸞聖人 第1部シナリオ  P49
「いずれの行も 及び難き 親鸞 地獄は一定 すみかぞかし」「弥陀五劫 思惟の願は ひとえに 親鸞一人が ためなり」
親鸞聖人「あー。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。あー、不思議なるかなや、不思議なるかなや。弥陀五劫思惟の願は、親鸞一人がためなり」

アニメ 世界の光 親鸞聖人 第1部シナリオ  P50
親鸞聖人「上人さま、ありがとうございました」
法然上人「よく聞き抜かれた、親鸞殿。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

大沼法竜著 「法界」 P382
光りに向いて進む者は栄え、闇に向いて走る者は亡ぶ

高森顕徹著 「光りに向かって 第1集」 『はじめに』
光りに向かって進むものは栄え、闇に向いて走るものは滅ぶ。

大沼法竜著 「法界」 P47
百年の後に知己を求めているのだ

御葉書 平成12年3月
百年の 知己を求めて ひとり往く

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 8.高森顕徹著『会報』に関する基礎知識

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