なぜ私は親鸞会をやめたのか

高森顕徹氏と大沼法竜氏の著書の類似点(3)

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大沼法竜著 「法界」 P80
第十九願の桁にいる邪定聚の機類の往生は雙樹林下往生とて、釈尊入涅槃の時のような淋しい分かれをしなければならない化土往生である。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P60上段
雙樹林下往生というのは第十九願の邪定聚の人達の往生である。釈尊が八十才で雙樹林下で涅槃に入られた時のような淋しい分れをしなければならぬ化土往生である。

大沼法竜著 「法界」 P80
第二十願の桁にいる不定聚の機類の往生は、難思往生とて第十九願よりは一歩進んだ往生であるけれども、第十八願の難思議往生には及ばないので議の一字が省かれてあるのだ。第二十願の行者も化土往生である。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P60上段
難思往生は第二十願の不定聚の人達の往生で第十九願よりは尊いが第十八願の難思議往生よりは劣るので議の一字をとるのである。これも化土往生である。

大沼法竜著 「法界」 P80
化土はそんなに沢山あるのかと言えば化土巻に「良に化の仏土の業因千差なれば土も復応に千差なるべし」と仰せられたように、各自の顔容が違うように、心が全部違うから、日々の生活の業因がまちまちだからその結果は千差万別である。疑城胎宮、懈慢辺地、七宝宮殿、胎生、胎宮、此の人生に生れても、同じ人間でありながら果報が全部違うように化土に往生しても其人其人の修因に応じて感果を得ているのである。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P60中段
一口に化土といっても懈慢、辺地とか七宝宮殿、疑城胎宮とか胎生、胎宮といわれているように非常に多い。『教行信証』真仏土巻には「良に化の仏土の業因千差なれば、土もまた応に千差なるべし」と仰せられているように、業因がいずれも自力各別であれば、その結果も又各別になるのも当然至極であろう。

大沼法竜著 「法界」 P12
浄土真宗の特徴は
1、山上の宗教を山下の宗教とし
2、僧侶の宗教を俗人の宗教とし
3、貴族の宗教を庶民の宗教とし
4、賢者の宗教を愚者の宗教とし
5、自力の宗教を他力の宗教とし
6、修行の宗教を仰信の宗教とし
7、祈祷の宗教を無祷の宗教とし
8、禁欲の宗教を自然の儘の宗教とし
9、方便権仮の宗教を真実深妙の宗教に転化した
処に真宗の特徴が有る。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P86上段
山上の仏教を山下の仏教にし、
禁欲の仏教を自然のままの仏教とし、
僧侶の仏教を俗人の仏教とし、
聖者の仏教を凡愚の仏教とし、
貴族の仏教を庶民の仏教とし、
自力の仏教を他力の仏教とし、
祈祷の仏教を無祈祷の仏教にせられた等、
親鸞聖人の開顕なされた浄土真宗の特徴は多々あるが

大沼法竜著 「法界」 P22
信仰の一段となれば妥協を許さぬ秋霜烈日の尊厳さを具現されていたに違いない。聖人の特徴の中の特徴は信仰の三大論争によって発揮されてあるが、いかに信仰が熾烈であったか、親切であったか、無遠慮であったか、妥協を許さなかったか、これが美点であると共に欠点でもあった。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P86下段
それは寸刻の猶予も微塵の妥協も許さぬ秋霜烈日の尊厳さをあらわしている。如何にそれは熾烈であったか、如何に無遠慮であったか、如何に妥協を許さなかったか、如何にきびしかったか、如何に親切であったか、真仮廃立に全生命をかけられた聖人のはげしさが三大じょう論に鮮明に発揮なされている。

大沼法竜著 「法界」 P44〜45
6、第三体失不体失の論争
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、念仏のお徳によって死後極楽往生さして頂く事が有難いと善慧房の喜んでおられるのを聞いていた聖人が、善慧房様、死んで極楽往生がそんなに有難うございますか、私は生きている間に往生が決まったとは猶有難う御座います。
何を仰有る善信房、聖道門は此土入証、浄土門は彼土得証、死んで極楽参りをさして頂くから往生浄土と言うではありませんか。
それは結果ではありませんか、その原因は今信楽開発して心の往生の出来た人が死後の往生が決まるのですから現在で約束が決まらなければなりません。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P87中段
善慧房証空が「念仏のお徳によって死後極楽往生させて頂けるのが阿弥陀仏の御本願の有難さである」と得意満面で大衆に説法していた。
  
高森顕徹著 「会報 第5集」 P87下段
「只今貴師は、弥陀の本願は死後(体失)でなければ助けて(往生)下さらぬと仰有ったが、この親鸞は只今往生させて頂いたことを喜ばずにおれません。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P88上段
「何を親鸞殿は言われるか、聖道門は此土入証だが、わが浄土門は彼土得証、死んだ後で極楽参りさせて頂くからこそ往生浄土と言うのではありませんか、

高森顕徹著 「会報 第5集」 P88中段
「そのことはこの親鸞もよく承知しているが貴師の仰有るのは結果でありましょう。誰でもが浄土往生が出来るのではありますまい。現在信楽開発して魂の解決、心の往生の出来た人のみのことではありませんか。現在往生出来ない者がどうして死後浄土へ往生出来ましょう。

大沼法竜著 「法界」 P37
5、第二信心一異のじょう論

大沼法竜著 「法界」 P39
伝絵上7段に「大師聖人源空の御前に、聖信房、勢観房、念仏房以下の人々おほかりし時、はかりなきじょう論をしはんべることありき。そのゆへは聖人の御信心と善信が信心と、いささかもかはることあるべからず、ただ一つ也」と満足し切った自分の信念を述べられた時、かの人々「君がいくら偉いか知らないが、善信房口が過ぎはしないかい、深智博覧、智慧第一の御師匠の信心と弟子のお前の信心と同一とは以てのほかだ。」

高森顕徹著 「会報 第5集」 P91上段
三大じょう論の第二は信心同異の法論である。「大師聖人源空(法然)の御前に、聖信房、勢観房、念仏房以下の人々おほかりし時、はかりなきじょう論をしはんべることありき。その故は聖人の御信心と善信(親鸞)が信心といささかも、かわることあるべからず、ただ一つ也」(御伝抄7段)とあるように、このじょう論は、親鸞聖人が満々たる自身を述べられたことから始まったのである。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P91下段
「親鸞殿、貴師は如何に秀れていられようとも、少し口が過ぎはせられぬか、深智博覧智慧第一のお師匠さまの信心と弟子である貴師の信心と同一とは驕慢至極であり、自惚れも甚しいではござらぬか」

大沼法竜著 「法界」 P41
聖道門を去って浄土門には帰しているけれども仏凡一体、機法一体の境地に到達せず、水と油を混ぜたような機法合体の信仰の者が多い、掻き混ぜた時は一体のようであっても、手を離せば直に水と油が分かれている。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P92上段
水と油を混ぜたように、かき混ぜた時は一体のようであっても暫くたてば直に水と油が分かれるように、一度は聖道門自力の仏教を去って、他力浄土門に帰してはいるが、未だ仏凡一体、機法一体の一味平等の他力の大信海に帰入しておれない彼らとしたら、

大沼法竜著 「法界」 P43
法然上人は泣き泣き法蔵に入って5回も7回も一切経を読破して自己の無能に驚き、極悪最下の機が極善最上の法に生かされた、宗教の極致に到達された方であり、

高森顕徹著 「会報 第5集」 P92中段
法然上人が泣き泣き報恩蔵に入って5回も一切経を読破して、自己の出離の縁なき相に驚き、極重の悪人が極善無上の妙法に生かされた一念の体験を話されても自分らには、そのような鮮やかな一念の体験がない。

大沼法竜著 「法界」 P39
処が聖人は私は智慧や学問が同一と言っているのではありません、弥陀より賜る他力の信心が同一と言っているのです。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P93上段
「皆さん、お聞き違い下さいますな、この親鸞は智慧や学問、才覚やお徳が御師匠さまと同じだと言っているのではありません。
 (略)
ただ、阿弥陀如来より賜った他力の信心一つは微塵も異ならぬと申したのでございます」 

大沼法竜著 「法界」 P40
平等の大慈悲の真如の月は、大海でも、琵琶湖でも、池でも、洗面器でも、盃でも水の有る処には平等に影を宿すのです。私等の智愚、貧富、老幼、貴賎、善悪、男女によって救済に左右、上下の区別の有る筈が有りません。他力より賜る信心ならば同一でなければ平等の証果が得られませんと断固として

高森顕徹著 「会報 第5集」 P94中段
平等の大慈悲の月は大海でも小さな池でも、盃の水へも、木の葉のツユにも、ドブ溜の中にでも、水のあるところには平等に影を宿すように、我らの智愚、貧富、老幼、貴賎、善悪、男女の差別によって救いを左右される阿弥陀仏ではない。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P94下段
同一の信心でなければ平等の証果は得られない。

大沼法竜著 「法界」 P42
聖人が御師匠の信心と私の信心とが唯一つだと大胆に言えたのは絶対の境地に立っておらるるからだ。

高森顕徹著 「会報 第5集」 P95上段
親鸞聖人がお師匠さまの信心と私の信心は全く同じだと大胆に不敵に無遠慮に喝破されたのは絶対不二の境地に立っておられたからである。

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 1.高森顕徹氏と伊藤康善氏の著書の類似点(1)
 2.高森顕徹氏と伊藤康善氏の著書の類似点(2)
 3.高森顕徹氏と伊藤康善氏の著書の類似点(3)
 4.高森顕徹氏と大沼法竜氏の著書の類似点(1)
 5.高森顕徹氏と大沼法竜氏の著書の類似点(2)
 6.高森顕徹氏と大沼法竜氏の著書の類似点(3)
 7.高森顕徹氏と大沼法竜氏の著書の類似点(4)
 8.高森顕徹著『会報』に関する基礎知識

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