なぜ私は親鸞会をやめたのか

高森顕徹氏と伊藤康善氏の著書の類似点(3)

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伊藤康善著『安心調べ』P311
それは本願疑惑心である。定散自力心である。雑行雑修の心である。不了仏智である。自力迷情である。化土往生人もこの疑惑心がある間は12大劫の間、疑城胎宮に留まらねばならぬ。三世諸仏もこの自力心ある間は華光出仏の仏とは成れぬ。弥勒菩薩もこの迷情ある間は展転五道の衆生である。大心海化現の善導大師もこの無明心ある間は曠劫流転の機たるを免れぬ。吾等もこの自力迷情ある間は如来本願の敵であり、断じて生死出離は望まれぬ。

高森顕徹著『会報第二集』
これこそ古来「猶お隔つ一重の関」といわれる本願疑惑心であり、定散自力心であり、雑行雑修自力の心であり、不了仏智であり、自力の迷情である。化土往生人も、この疑心ある間は十二大劫の間、疑城胎宮に金鎖をもってつながれねばならぬ。三世の諸仏もこの自力心ある間は成仏は出来ぬ。弥勒菩薩もこの迷情ある間は展転五道の衆生である。大心海化現の善導大師も、この無明心ある間は昿劫流転の機たるを免れぬ。勿論吾らもこの自力の迷情ある間は必堕無間は断じてのがれることは出来ないのだ。

伊藤康善著『安心調べ』P314
今日果たして真宗の布教使にして、誰が願成就の仏智の一念を喧しく言う者があるか。自他力廃立、信疑廃立を説く者があるか。寝ぼけ面に親不孝の声を張りあげて、念仏のお助けだの、親様の慈悲だのと観経安心を説く者は多いが、誰が「改邪鈔」に示されたような廃立のすっきりとした、一念の水際の立った願成就の信一念を示す者があるか。示す人のないのは、その体験がないからだ。これじゃ百年河清を待つも真宗の興隆は望むべからず。形ばかり千万の門信徒を誇るとも浄土は易往而無人である。

高森顕徹著『会報第五集』
今日、果して真宗の僧侶にして誰がこの願成就の仏智の一念を水際たてゝ説く者があろうか、自他力廃立、真仮廃立を説く者があるか。ねぼけ面に親不孝の声を張りあげて念仏のお助けだの、親さまのお慈悲だのと観経安心や、阿弥陀経安心を説く者は多いが誰が廃立のすっきりした一念の信心を示す者があるか。示す人のないのは、その体験がないからだ。これでは百年河清を待つも真宗の興隆は望むべからず、形ばかり千万の門信徒を誇るとも浄土は易往而無人である。

伊藤康善著『安心調べ』P315
破邪なくして顕正なく、突撃せずして勝利はない!信仰は群敵の中へ廃立の利剣にて斬り込む白兵戦だ。寸刻の猶予もなく微塵の妥協も許されぬ。断じて行えば鬼神も道を拓く。

高森顕徹著『白道燃ゆ』
しかし、破邪なくして顕正なく、突撃なくして勝利はない。
真実の信心は、群敵の中へ単身、廃立の利剣を持って斬り込む白兵戦である。
寸刻の猶予も微塵の妥協も許されぬ。断じて行えば鬼神も道を開く。

伊藤康善著『仏敵』P22
「正直で来いというのが神様です。善人になって来いという
のが諸仏です。悪人目掛けて救うぞよと呼びかけるのはただ阿弥陀様だけです。こ
んな仏様が法界広しといえどもどこにおられますか?」

高森顕徹著『こんなことが知りたい(2)』
正直になってこいというのが神です。善人になってこいというのが諸仏です。
極悪人めあてに救うぞというのは阿弥陀仏だけです。こんな仏は法界広しと雖も絶対にありません。

伊藤康善著『死を凝視して』P24〜P25
求道の動機が何であろうと、仏法の話を聞いても本を読んでも、それは他人事として聞かずに、自己のうえに照らして聞くことです。そうして、自分の心の動きに注意していれば、だんだんと自己の姿が見えてきます。一日の中に、何回もチェッと不足に思う心が起きましょう。その心の動きを見ていくのです。自分を掘り下げていくのです。

高森顕徹著『こんなことが知りたい(4)』
仏法をきいても本を読んでも他人事として聞かず、自己の上に照らしてきくことです。そして自分の心の動きに注意してゆくのです。
一日の中に何回も「ちぇっ」と不足に思う心がおきましょう。
その心の動きを凝視し自分を掘り下げて行くのです。

伊藤康善著『死を凝視して』P45
こう示すと先生は、なにも他力本願の教えだから、そんなに信心の安心のと難しいことはない。慈悲な仏様は、足らぬところは足して、なんとか都合よく救って下さるだろうという希望がありましょう。……。自力疑心の逃げ場所は、最後の牙城をそこに求める。その城を破るのが難しいのです。

高森顕徹著『こんなことが知りたい(2)』
このように申しますと貴方の心の隅に、「だがお慈悲な阿弥陀さまだから、そこのところを足らぬところは足してでも、なんとかして助けて下さるだろう」という望みがあるでしょう。
自力疑心の逃げ場所は最後の牙城をそこに求めるのです。その牙城を破らなくては真実の弥陀の救いには遇えません。

伊藤康善著『死を凝視して』P49
いつまでもぐずぐずと考えていられるような余裕ある人生と思われるのですか。……。三千世界の火の中も、踏み破って来いと仰せられる仏説がわかりませんか。

高森顕徹著『こんなことが知りたい(2)』
三世の諸仏もアキレて逃げたのはその根性です。何時までもグズグズ考えている余裕はありません。
三千大千世界の火の中も踏み破ってこいと仰せられる仏説が分かりませんか。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

伊藤康善著『死を凝視して』P109
刻々と迫り来る死におののきながらも、食欲の蜂蜜を求むる。藤づるはもう寸断されているのに、まだこんなことを考えている。もしこんなあさましい根性を見抜いた弥陀がいなければ、私は今のきわになって、どんなに狼狽するであろう。
「正直で来いというのが神様です。善人になってこいというのが諸仏です。悪人めあてに救うぞというのはただ阿弥陀様だけです。こんな仏様が法界広しといえどもどこにおられますか」……。一呼吸一呼吸が死の影に襲われている自分だ。こんな衰残の身で何ができよう。

高森顕徹著『こんなことが知りたい(2)』
刻々と迫る死におののきながらも尚生きんとする意志の衝動に燃えて、五欲の蜂蜜を求めて走ってゆく。藤ヅルはすでに寸断されているのに、まだそんなつまらぬことを考えています。
阿弥陀仏は、その浅間しい貴方の根性を見ぬいて大悲の涙を流し給うているのです。正直になってこいというのが神です。善人になってこいというのが諸仏です。
極悪人めあてに救うぞというのは阿弥陀仏だけです。こんな仏は法界広しと雖も絶対にありません。
一息一息が死の影に襲われている貴方です。今更何ができましょう。

伊藤康善著『化生の世界』P2
アフリカの砂漠で、千古の沈黙を守るスフィンクスは、われわれに謎の質問を与えたといわれる。「初めは四本足で歩き、中ごろには二本足となり、終わりには三本足となる動物は何か?」彼は、道を通る人々に、この質問を投げて、答えられないものを食い殺した。つまり、人間に向かって「人間とは、何ぞや」と問うのである。スフィンクスは、ナイル河畔に奇怪な姿をあらわす、古代民族の神像ではない。彼は、たえずわれわれの生活に近づいて、「お前は、何か?」と、問うているのである。哲学も、宗教も、文芸も、科学も、この問いに対するわれわれの答えである。われわれは、ひとりひとり、この問いに答えなければならない。彼の前では、代弁も、受け売りの知識も認められない。

高森顕徹著『会報第一集』
アフリカの砂漠に千古の沈黙を守るスフィンクスは、「初めは四本足で歩き中頃二足となり、終りに三足となる動物は何か」と道を通る人々に、この謎の質問を投げて答え得ない者を喰い殺した。つまり人間に向かって人間とは何ぞやと問うのである。
スフィンクスはナイル河畔に奇怪な姿を現わす古代民族の神像ではない。彼はたえず我々の生活に接近して「お前は何か」と問うているのである。
哲学も文芸も科学も宗教も此の問に対する答である。
我々は一人々々此の問に答えなければならない。
彼の前には代弁も許されなければ受売りの知識も間に合わないのだ。

高森顕徹監修『なぜ生きる』
エジプトの砂漠に千古の沈黙をまもるスフィンクスは、
「始めは四本足で歩き、中ごろは二足となり、終わりに三足となる動物は何か」
と旅人に問いかけ、答えられない者を食い殺したという。
つまり、人間に向かって、「人間とはなんぞや」と問うのである。
政治も経済も科学も、医学、文学、哲学、宗教も、この問いに答えんとしている、といえよう。
一人一人がこの問いに、答えなければならない。
彼の前には、代弁もゆるされなければ、受け売りの知識も間にあわないのだ。

伊藤康善著『化生の世界』P25
また、私の知人で、ある銀行の重役をしている男がある。彼の兄は、私の小学生時代の友達であった。性質の善良な働き手であったが、仏教は全然聞かずに三十代で死んだ。その後十年たって、この重役の妻が、難産の恐れがあるので八ヵ月すぎた胎児を手術した。その朝、重役の枕辺に死んだはずの兄が飛びついて来て、「おれを殺す奴があるから、早く助けてくれ」と叫んだ。夢がさめて、すぐ自動車を病院へ飛ばしたが、すでに手術は済んだ後であった。アルコール漬けになった胎児を眺めると男の子であった。

高森顕徹著『白道燃ゆ』
ある銀行の重役の兄が、とても善良な人で世間から尊敬されていたが、少しも仏法を聞かずに死んだ。
その後、重役の妻君が難産の怖れがあるというので、八カ月すぎた胎児を堕胎した。
その朝、重役の枕辺に、死んだ筈の兄が飛びついてきて、「俺を殺す奴がいるから早く助けてくれ」と叫んだ。
夢がさめて、直ぐ自動車で病院へ行ったが、すでに手術の後だった。アルコール漬けになった胎児を眺めてガク然としたという話を聞いた。

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 1.高森顕徹氏と伊藤康善氏の著書の類似点(1)
 2.高森顕徹氏と伊藤康善氏の著書の類似点(2)
 3.高森顕徹氏と伊藤康善氏の著書の類似点(3)
 4.高森顕徹氏と大沼法竜氏の著書の類似点(1)
 5.高森顕徹氏と大沼法竜氏の著書の類似点(2)
 6.高森顕徹氏と大沼法竜氏の著書の類似点(3)
 7.高森顕徹氏と大沼法竜氏の著書の類似点(4)
 8.高森顕徹著『会報』に関する基礎知識

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