高森顕徹氏と親鸞会の問題

5.なぜ隠すのか

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高森顕徹会長の「贅沢」

「高森顕徹会長は質素な生活をしておられる」と私は会内にいたときによく聞きました。実際に、高森顕徹会長の家は特別に立派だったり大きいわけではありません。しかし、本当のところはどうでしょうか。

高森顕徹会長の移動用には、改造した2台の高級外車と会長専属の運転手、さらに会長専用のバスもありました。さらに法話会場での控え室として使う、ベッドルームまで備えた2階建てバスがあり、更に会長の食事を作る料理人と専用の厨房車まで同行しました。

現在は地方の御法話はありませんが、あの多額の財施を募って建立された「正本堂」の7階は会長のフロア。豪華で広い車入れから、説法に立つ演壇、控え室、専用のエレベーター、さらには7階の会長のフロアまで全て一般の区画とは完全に隔たれています。会長の食事を作るための専用の大きな厨房があり、大勢の人達が会長の接待に携わっています。

そして高森顕徹会長が東の端にあるレストランに行くために、専用の渡り廊下まで、一般会員が通る通路とは別に作られています。本部の隣町にある親鸞会の「弘宣部ビル」でも、会長専用の玄関に会長専用のエレベータ、7階は会長のフロアになっています。

そして、これらの事実は一般の会員には、通常知らされることはありません。

他にも、今の「正本堂」を豪華や絵画や壺、レリーフで飾り立て、自分の著書を紅白の牛革で飾って記念品とし、その度に高額の財施を募るやりかたは、会員であった私から見ても理解しがたいものでした。それでもやはり「高森先生の深い御心だから、私には理解できなくて当然だ」と思っていましたが…。

私がカウンセリングをして救出した人々が入っていたいくつかのグループのリーダーは、「金銭のためにやっている」のではなく、私の見るところ自分の影響力に中毒になっている人間たちだった。多くの破壊的聖書カルトのリーダーは、目立った浪費家でもなく、神と聖書を自分より上の権威としているように見える。にもかかわらず、聖書と神意に関する彼らの解釈が、人々を操作しコントロールするのに使われているのである。

【スティーブ・ハッサン著 マインドコントロールの恐怖】

私も決して、高森顕徹会長が金銭欲のために親鸞会を立ち上げたとは思っていません。ただ、その生き方を垣間見るときに、「祖師は紙衣の九十年」とたたえられた親鸞聖人の質素な姿とは、どうしても重ね合わすことは出来ません。

そして、親鸞聖人を自分より上の権威としながらも、自らの解釈を絶対無二のものとし、一切の批判を禁じる姿にもまた、限りなき違和感を感じるのです。

華光会と高森顕徹会長

会員から「善知識」と崇め奉られる高森顕徹は一九二九年、浄土真宗本願寺の末寺に生まれた。四九年に得度するも、本願寺の現状に疑問を抱き、「浄土真宗華光会」の増井悟朗氏に師事したあと、五二年に徹信会を結成した。五八年に浄土真宗親鸞会に改称すると同時に、宗教法人格を取得する。

【米本和広著 教祖逮捕 p156】

榊原の呪縛が解けるきっかけは、四年前、増井悟朗という西本願寺僧が出演したNHKのテレビ番組『こころの時代』を見たことだった。僧の話は、罪悪感と無常観を乗り超え、目の覚めるような信心決定に達する喜びを語った内容だった。あまりにも親鸞会の教えと似ていると榊原は思った。

早速僧の書いた本を取り寄せて読むと、驚きはさらに増す。京都で「浄土真宗華光会」という宗教団体を主宰する会長であること、高森は昭和二十年代、華光会に所属し、同会で育ったこと。増井と高森には、華光会を創始した伊藤康善という共通の師匠が存在したことなど、知らなかった事実が次々と明らかになったのである。

榊原にとっては、唯一絶対の善知識であるはずの高森に師匠がいたという当たり前のことさえ新鮮な驚きだった。増井悟朗著『念仏の雄叫び』(法蔵館)には、龍谷大学時代の高森が信心決定したとき、「『おい、きみ、よかったなあ』と、手を取り合って法悦を喜びあいました」と、真剣な求道時代の体験談が書き記されている。

【別冊宝島 救いの正体より、『親鸞会はカルトか、伝統仏教か』】

最後に、高森顕徹会長と華光会との関連にふれておかなければなりません。

高森顕徹会長が若い頃、伊藤康善氏に師事したことはよく知られています。伊藤氏は華光会創始者であり、真宗興正寺派の学頭だった人です。そして、高森氏は華光会現代表の増井氏に伊藤師の主著「仏敵」を勧められ、まもなく信心決定したと、増井悟朗著『念仏の雄叫び』には記されています。

彼(高森顕徹氏)は、私から手渡されていた恩師(伊藤康善師)の入信体験記「仏敵」にかじりついて、無常観、罪悪観をつき進めて、ついに獲信したようでありました。後で知ったことですが、私を知るまでの彼は、本願寺の総会所の説教聴聞に熱心に通っていたようです。説教の後で講師室を訪ねては、「地獄、極楽はありますか」と質問を重ねていました。どの講師も即答する人がない。その応答ぶりで、その人の不信心がピンとくる。誰に尋ねるすべもなく、彼は、悶々をしていたというわけです。

【増井悟朗著 念仏の雄叫び】

このことが本当かどうかはわかりません。信心とはその人の心の問題であり、増井氏が著書で書いてあることが事実だととしても、「あの信心は間違いだった」と言われてしまえばそれまでだからです。

ただ、あれほどに「師主知識の恩」を説く高森顕徹会長が、自身を導いた「知識」には全くふれないこと。華光会で『化城を突破して』という本まで出版していながら、現在そうした過去は会員には一切知らされていない事。そして、本願寺や創価学会などを名指しで徹底的に批判している親鸞会が、一つだけ名前を出せないで批判しているのが「華光会」である、ということは事実です。

平成11年親鸞会は、『これが獲信か』というパンフレットを全会員に徹底しました。その内容は華光会を名指しせず、「京都に本拠地を置く浄土真宗本願寺布教使の某グループ」とし、伊藤氏を「I先生」、増井氏を「M先生」と書き、徹底的に非難攻撃しています。

その某グループ(華光会)からの書籍の引用とする体験談は、書籍名やページ数など一切なく、検証・確認することがまったく出来ません。そして、全く別の土蔵秘事(真宗の異端)の体験談を挿入するなど、故意に悪印象を狙っているとしか思えない部分もあります。

今まで親鸞会は、本願寺や創価学会に果敢に法論を挑み、双方の立場を明らかにした上で堂々と法論していました。しかしなぜか華光会に対してはそういった姿勢は全く見られません。

それは、まるで知られたくないことを隠していると言われても、仕方がないような批判の仕方なのです。

※華光会と高森顕徹会長の関係については、著書の類似という点から、「高森顕徹氏の獲信体験」「高森顕徹氏の盗作疑惑」にて更に掘り下げて論じています。是非ご覧下さい。

親鸞会の何が問題か   <<前  次>>

 1.親鸞会の集金システム
 2.法もまた財なり、財もまた法である
 3.高森顕徹会長と絶対無条件服従
 4.高森顕徹会長への礼賛
 5.なぜ隠すのか

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