なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロール

なぜ批判を受け入れられないのか

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帰属感・正義感

破壊的カルトのメンバーが、どのような心理状態になるのかについて、その代表的なものをまとめてみる。まず、集団への帰属感・正義感である。自らの組織への強い忠誠心と、帰属意識やそこでの活動の正当性などを抱き、集団への好意的な評価を下している。次に、自集団の思想の高度性・優越性である。彼らは自らの組織の思想が高度であり、自分の理解をより深いものにしようと努め、その思想であるビリーフによって、身の回りに生じている現象を解釈しようとしたりする。そして、そのカルトのメンバーであることに、特別の使命感をもったり、名誉や誇りを抱いている。また、脱会を余儀なくされたり、反逆的な思考をもつことの罪意識と罰への恐怖をも抱いている。さらには、自分たちの集団に批判的な人々への反発ないし、敵意を強く抱き、自集団への批判が根拠のない中傷であると信じているのである。

(『マインドコントロールとは何か』P177,178)

ここは特に、親鸞会にあてはまる部分が非常に多い表現だと感じました。 

「まず、集団への帰属感・正義感である。自らの組織への強い忠誠心と、帰属意識やそこでの活動の正当性などを抱き、集団への好意的な評価を下している。」とありますが、親鸞会で真面目に活動するようになると、「自分たちしか真実知らされた者はいない。真実知らない世間の人たちは不幸な人々であり、この真実を一人でも多くの人に、一刻も早く伝えなければ」という正義感、使命感にか たてられます。

そして、講師や幹部は、いかに会長の指示に無条件で従っているか、その忠誠心を競い合っています。その為、会を批判している人を密告することが奨励されています。講師の人の中には、「講師部の和を乱す情報を得た者は、その提供者と、情報と、その日時を直ちに報告すること」と、文章化までされて、批判する者も、批判を見逃した者も、処罰されます。

「次に、自集団の思想の高度性・優越性である。彼らは自らの組織の思想が高度であり、自分の理解をより深いものにしようと努め、その思想であるビリーフによって、身の回りに生じている現象を解釈しようとしたりする。」とあります。親鸞会会員は、「親鸞会以外の他の宗教団体、思想、哲学、学問は取るに足らないもの」と過小評価するようになると思います。自分たちの教義に非常に自信をもっており、その高度性、優越性を誇りとしています。しかし、実際にしゃべらせてみると、案外、質問に答えられなかったりして、教義に対する自信は単なる強い思い込みからくる会員の人もあるようです。

また、「身の回りに生じている現象を解釈しようとしたりする」とありますが、親鸞会会員は「因果の道理は大宇宙の真理である」と心から信じていますので、この世の中で起きる全てのことは、因果の道理に従って生じていると思っています。身の回りで起こることを、常に因果の道理に当てはまることとして、解釈します。

因果の道理には、「自因自果」といって、「自分の運命の全ては、自分のまいたタネが生み出したものだ」という教えがあります。たとえば、「ある赤ん坊が通り魔の犠牲になった」としても、次のように解釈されるのです。

赤ん坊に全く無関係なことが、赤ん坊におきる筈がありません。必ず、赤ん坊自身に殺される原因があったのです。通り魔に殺されるという結果は、その時、その場へ通り合わせたことが、根本原因なのです。それは、子ども自身の過去世の宿業に違いありません。

(高森会長・著『こんなことが知りたいA』P8 こんなことも前世の宿業か)

親鸞会の説く因果の道理は、「結果がいつ返ってくるか」「具体的に、どういう行いに対してどういう結果が返ってくるのか」といったことがハッキリ説かれておらず、非常に曖昧な部分が多いために、どんなことに対しても、いくらでも解釈できるようになっています。そのような理論によって、会員の人たちは、上記のようなことも含め、ありとあらゆることを、「因果の道理に反しない、当然の結果である」と解釈します。

また、「そして、そのカルトのメンバーであることに、特別の使命感をもったり、名誉や誇りを抱いている」とあります。親鸞会の講師の人たちや幹部の学生は、親鸞会会員であることに大変な使命感や名誉、誇りをいったものを持っています。そのような使命感から、時間やお金、体力を惜しむことなく、必死で新入生を勧誘するのです。高森会長から、学友部の勧誘活動に寄せられた以下のような言葉もあります。

合掌 

いよいよ顕正戦。君らこそ、現代社会における唯一の正統な仏法者であることの大自覚をもって戦いにのぞんで貰いたい。君らの青春の謳歌は破邪顕正戦に凱歌をあげることである。健闘を念ずる。

(親鸞会発行ロータスP5『会長先生からのお葉書』) 

親鸞会の会員の人たちは、自分たちだけが真実知らされたものであり、親鸞会の会員以外は、いまだ真実知らない人たちだ、と思っています。学友部では、高森会長からこのような言葉をもらい、講師も学生もより大きな使命感をもって、活動をしています。 

次に、「また、脱会を余儀なくされたり、反逆的な思考をもつことの罪意識と罰への恐怖をも抱いている」とあります。会員が、親鸞会の活動や教義に疑問をもっても、今までのべてきたように、なかなか会に対する批判的な意見を述べることはできない雰囲気になっています。そのような批判的な意見をもっても、「こんなことを考えてしまう自分が間違っているのでは…」という罪悪観が湧き起こってきます。

また、仏教の教えの中に、人間の造る罪の中で特に重いといわれるのが、「謗法罪」と「五逆罪」です。「謗法罪」とは、「仏法をそしる罪」であり、「五逆罪」とは「五つの大きな罪」ですが、その中には「和合僧を破る」という罪があります。これは「仏法を説く集まりの和を乱す罪」です。

つまり、会員にとっては真実を説く団体である親鸞会や、その会長や講師部員を批判したり、その指示に従わないことは、大変恐ろしい「謗法罪」であり、「五逆罪」になるのです。ですから、真面目な会員ほど、そのような批判的な思いや疑問が自分の心の中に生じても、「自分は今、大変恐ろしいことを思っているのでは…」という気持ちになるでしょう。

そして、「さらには、自分たちの集団に批判的な人々への反発ないし、敵意を強く抱き、自集団への批判が根拠のない中傷であると信じているのである。」とあります

会員の中には、親鸞会のことをあまりよく思わない家族や友人に対して、非常に嫌悪感を感じ、「なぜ、私がこれだけ一生懸命に話しをしているのに、分かってくれないのか」と、はげしい苛立ちを持つ人もいるようです。「自分たちは真実知らされた者」という意識が非常に強いですから、そんな自分たちが受け入れられないと、周囲の人たちと衝突するのでしょう。

親鸞会の会員が、他の宗教団体の人と議論をして、話しが平行線になり、終わることも多いのですが、そんな時、親鸞会の会員の中には「結局、彼らは全然、何も分かっていない。どうして、自分たちが間違っていることに気付かないのだろう」と思う人もいるようです。しかし、逆の立場からみれば、全く同じことを言われるでしょう。

親鸞会は今まで、多くの批判を受けていますが、自分たちが他の団体へ行なっているのは「正当な批判」であり、外から受ける批判は「根拠のない批判」や「悪辣な非難中傷」だと思っている会員も少なくないように思います。たしかに、親鸞会に対する批判の中には、口汚く罵るだけのものも、ありますが、それにしても、相手をそのような感情にさせる原因が、自分たちの過去の行いにある訳ですし、また、正鵠を得た批判も数多くあります。親鸞会は胸に手をあてて、静かに反省すべき時期にきているのでは、ないでしょうか。

なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについて

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 1.親鸞会学友部の活動について
 2.最初の接触
 3.続けて聞くようになるまで
 4.マインドコントロールに気づきにくい理由
 5.勧誘活動における問題点
 6.問題の提示と解決への道
 7.親鸞会の教義を受け入れるまで
 8.自己否定と無条件服従
 9.なぜ批判を受け入れられないのか
 10.情報の管理
 11.感情の管理
 12.行動の管理
 13.最後に

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