なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロール

勧誘活動における問題点

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永続的マインドコントロールの実際

こうして、親鸞会学友部のサークルに勧誘された新入生が「サークルで話しを聞いてみよう」「親鸞会に入会しよう」「親鸞会で聴聞や活動を続けよう」と、「自分で判断して」親鸞会の活動に専念するようになるには、様々な周りの環境の影響を受けます。

では、実際にどのような過程を経て、親鸞会の活動にのめり込んでゆくのか、ここでは紹介してみたいと思います。

誠実で魅力的な勧誘者

たいていの場合の破壊的カルトでは、勧誘することは、末端メンバーにとっての大事な「修行」であるなどの理由づけが与えられ、当人のためにも奔走したほうがよいことと位置づけられている。

しかし、末端のメンバーは、自分の属する集団の活動のすべてを把握していない場合が多い。彼らが理解しているのは、集団の掲げる崇高な理想や目標、それにむかって邁進している清き仲間たちなのである。したがって彼らには、人を欺こうなどという動機はなく、100%の善意で説得してくる。それが説得力となる。

破壊的カルトのメンバーであった多くの人々が、口をそろえて「あんなに優しく、大切に扱われたことはなかった」と証言している。このような勧誘者の手厚い対応は、対人魅力を獲得し、被勧誘者を「うれしい」、あるいは「気分がよい」といった情緒状態へ導く。その結果、被勧誘者は、勧誘者に対する関心が高まり、好奇心を生じさせ、また情報の源として好意的に評価することになる。それが、身体的にも魅力のある人であると、さらに効果が高まる。

(『マインドコントロールとは何か』P149、150)

親鸞会の活動でも、勧誘活動(顕正活動と言われています)は、勧誘する本人の為になることだと、強調されています。「信心決定していない者には、破邪顕正(勧誘活動)は仏縁となる」という高森会長の言葉もありますし、親鸞会の教えの中に、「信仰が進む(宿善が厚くなる)こと」として、以下の行為がすすめられています。

問(28) 「宿善」が厚くなる順から三つあげよ。

答(28) (1)熱心な聞法
     (2)五正行の実践
     (3)六度万行の実践

(親鸞会発行 教学聖典5号より)

親鸞会では、上記のように「仏法を聞くこと(聞法)」「おつとめ(五正行、仏前で正信偈を拝読すること)」「善(六度万行)の実践」の順に、信仰が進むこととして、すすめられます。そして、実践すべき善の中でもすすめられるのが、「布施(施し)」であり、中でも「法施(仏法を伝える)」が最もすすめられています。

「破邪顕正は、この世で人間の出来る最も崇高な行為であり、世界最高の生き方である(高森会長)」といった言葉をはじめ、破邪顕正(勧誘活動)をすすめた高森会長の言葉は、山のようにあり、講師部員や幹部会員には、それらの言葉は珠玉の言葉であり、自身の中で勧誘活動の推進力となっています。
                              
逆に、以下に示した「仏法を伝えようとしない(破邪顕正しない)者は、仏弟子ではない」との、お釈迦様の言葉などによって、「自分が聞いているだけで、人に仏法を伝えようとしない者は、本当の仏弟子とは言えない」などと指摘されます。

問(22) 破邪顕正せざる者は仏弟子ではない根拠を『涅槃経』のお言葉で示せ。

答(22) 僧にして、法を壊つ者あるを視ながら、これを黙視し、更に呵責駆遣せざる者は、この僧は、これ仏法中の怨なり。若し、よく駆遣呵責せば、これ我が真仏弟子なり。

(親鸞会発行 教学聖典6号より)

このようにして、親鸞会では勧誘活動がさかんに勧められ、勧誘活動をすることが自分自身のためになる、と位置づけられています。

親鸞会の教えを受け入れ、勧誘活動に必死になる講師部員や幹部の先輩たちは、上記の『マインドコントロールとは何か』の引用にもあるように、「人を欺こうなどという動機はなく、100%の善意」で接してきます。ですから、非常に親切であり、親身になって相談にのってくれますし、自分の時間やお金、労力をいとわず、接してくれます。

私も幹部として活動していたときには、「自分は世界で最も素晴らしいことを行なっている」「相手を本当の幸せに導くことが出来る集まりは、親鸞会以外にこの世に存在しない」と、まったく疑いもなく、そのように思っていましたし、その信念に基づいて、少しでも相手に喜んでもらえるなら、と新入生や後輩に精一杯の優しさで接していました。

ですから、そのような優しい先輩や講師部員に囲まれた新入生にとっては、本当に居心地がいいですし、「先輩たちのような人間に、自分もなりたい」と思う人もあるでしょう。親鸞会のサークルに足を運ぶ最初のきっかけが、教義に対する関心よりも、むしろ、やさしい先輩たちに惹かれた、という人も少なくないのでは、と思います。

カムフラージュとタイミング

破壊的カルトの勧誘において、真の目的である「新メンバーの獲得」や宗教組織の名称をカムフラージュする方法をとるのである。ある調査によると、最初から団体名を名乗られたのは、わずか5.9%に過ぎない。また、67.8%の被勧誘者は、勧誘者から告げられるまで、組織の真の名前についても、どういった目的の活動組織であるとも気づかなかったという。

たとえば、ある宗教的破壊カルトは、勧誘者は「宗教団体か?」と聞かれた場合でも、それを否定するようにマニュアル化されている。

このように新メンバー獲得という目的を告げず、組織の名称もいつわることが、被勧誘者に説得されることを予期させず、それによって説得が効果的におこなわれることになると解釈できる。

特に宗教的な装いをした破壊的カルトの場合では、日本人の多くは宗教に対するイメージが必ずしもよくないため、こうしたカムフラージュで接近する場合も珍しくない。あるいは、彼らは集団の教義やイデオロギーを、冊子や本、さらには、マスメディアを通じて、前もって流布させておいて、拒否的態度を取り除くように計画されている場合もある。

(『マインドコントロールとは何か』P150、151)

私はこの「宗教組織の名称をカムフラージュする」といわれる部分が、親鸞会の活動の中で最も問題のあるところだと思っています。

最初にも書きましたが、全国の大学における親鸞会の勧誘活動では、宗教法人である「浄土真宗親鸞会」という名前は、最初はまったく出てきません。全国どこの大学でも、親鸞会のサークルは大学の一サークルとして、さまざまな名前がついて存在しています。

ですから、勧誘される新入生にとっては、まさか、このサークルが「宗教法人 浄土真宗親鸞会」のサークルだとは分かりませんし、親鸞会の存在を知らない人がほとんどですので、ほぼ100%気付くことはないと思われます。

しかし、今後の人生を大きく左右しかねない、信仰の問題の選択を迫るということにおいて、自分たちの「浄土真宗親鸞会」という宗教法人としての立場を意図的に隠して接してくることは、多くの人から批判されているように、大変大きな問題をかかえていると私は思います。

たとえば北海道大学大学院教授、櫻井義秀氏はこのように述べています。

宗教団体を秘匿して勧誘することは単なる欺罔に留まらないといいます。物事を良く知っているかどうかで判断力に差はあるとしても、事実に関わる事柄には、合理的・論理的に考えて誤りを指摘することができます。しかし、宗教的教義には自然科学的知識や社会科学的論理で答えることができない内容が含まれています。神の存在、善悪の価値判断、歴史の目的、罪の起源と贖罪等。これらを宗教として教えられれば、信じるか信じないかの判断をすればよい。しかし、教団がこれらをあたかも自然科学的法則や歴史的事実のように語り、信者が普遍的真理として受け入れてしまうと、その後自らの力で教え込まれた知識体系に客観的に反駁することが容易にできなくなります。個人の人生を大きく左右する宗教的知識・論理をカモフラージュして教えることは、内心の自由に不当な影響力を行使する、許されない行為であるとされたのです。

(新潟集会講演 2002/3/15「札幌『青春を返せ』訴訟にみるカルト問題の行方」)

もちろん、彼らには、これらの行為を行なうことに対する、正当化された理屈があります。それは、上記の引用にも書かれているように「日本人の多くは宗教に対するイメージが必ずしもよくないため、こうしたカムフラージュで接近する場合も珍しくない」とある通りです。

彼らは「一般の人がイメージしている『宗教』や『仏教』と、私たちが伝えようとしている『親鸞聖人の御教え』とは全く違うものだ。だから、いきなり『宗教です』とか『仏教を聞きませんか』と言ってみたり、『浄土真宗親鸞会です』と名乗ったところで、おかしなイメージを与え、誤解を生むだけなので、そのような言葉を使わないのである」と説明します。

また、それを彼らは「悪意をもって嘘をついているのではなく、相手の幸せを念じての『配慮』である」と言います。私も幹部として、活動していた時には、まったく疑いも悪意もなく、その理屈を受け入れて、そのようなことを行なっていました。縁の浅い学友部員の中には、「親鸞会」の名を明かさないことに対して、後ろめたい思いを持っている人もいるようですが、全体的には、心からの善意で、そのような行為をおこなっている、というのは、たしかにその通りだと思います。

しかし、本当にそのような行為は問題ないのでしょうか?大学のサークル活動とは少し異なりますが、たとえば、訪問販売においては、訪問販売をする社員は、訪問したときに、まず「自らの立場」と「訪問の目的」を告げなければ、「訪問販売法」に触れる違法行為となります。親鸞会の学友部員が、新入生を勧誘するということは、いわば「宗教法人 浄土真宗親鸞会」の商品である「親鸞会の教義」を紹介し、相手に売り込むのと同じようなものです。

また、同様に宗教団体であることを隠して勧誘をしていた統一教会は、違法伝道訴訟で明確に違法判決を受けています。そうしたことを抜きにしても、新入生を勧誘するときに、「浄土真宗親鸞会」という自分たちの立場をまったく明かさないのは、あとで様々な問題が生じるように思います。

このような批判に対して、会員の中には、「サークルのメンバーの全員が会員という訳ではないので、あくまで大学の一サークルであり、それがイコール親鸞会ではない」と言う人もいます。果たしてそうでしょうか?彼らの言う「会員ではない者」とは、入会を勧めている途中の段階にいる新人であり、やがて会員となる人、もしくはサークルをやめていく人です。また、その割合はごく少数です。

そして、何よりも彼らの活動拠点である大学構外の部室は、「浄土真宗親鸞会」の名義で契約されており、その家賃は「親鸞会」という宗教法人の会計から出ています。中には、大学の反対を受け、「親鸞会」名義は都合が悪くなり、高森会長か、親鸞会の顧問の会計士の名義で、契約されているような大学もあったと聞いています。

講師部員から先輩に対して、「部室の家賃もすべて出して頂いている私たちは、この御恩にお応えしなければならない」「君らの出している会費だけで、部室の家賃をまかなえるとでも思っているのか」と、何度となく言われています。私も何度も言われましたし、後輩にもそのように話しをしていました。

結局、各大学のサークルと親鸞会学友部の組織は、全くといっていいほど同じであり、「直接、親鸞会とは関係ない」とか「イコールではない」とは、とても言えない密接なつながりをもっているのです。

組織においても、頂点に学友部長という親鸞会学友部の講師部員がおり、その下に学友部の担当講師がいて、その講師がそれぞれの大学を担当しています。各大学のサークルの部長(学生)は、担当講師の指示で動くのであり、部員についても、様々な行動について、担当講師の許可を逐一得て、行動しています。

たとえば、学生は「親にサークル活動を続けていることを反対されたが、どのように言って対応すればいいか」といった行動の多くを講師に伺い、その都度、細かい指示を受けて行動しています。ある学友部員の親御さんが、子どもに誘われるので、親鸞会の行事に参加されたところ、ある講師部員が「お母さん、よく来られました」と近づいてきて、いろいろ話しをしてきたそうです。その親御さんは「はじめて会ったはずなのに、家のことが何もかもつつぬけのようで、不気味に思いました」と、あとで言っておられました。

また、親鸞会学友部には、「必殺育成法」をはじめ、さまざまな勧誘のマニュアルがあります。そこに書かれている巧妙な手法により、新入生の家族構成や、経済状況などをうまく聞き出し、相手の性格なども把握して、うまく入会まで導きます。私は幹部であった頃、ある講師の人から、「新入生を育成するには、相手の家族構成、経済状況、長所や短所、性格など、あらゆることを把握していなければ、人ひとりを導くことなどできない」と言われました。人にもよりますが、講師部員や親鸞会学友部の幹部の学生たちは、相手と仲良くなり、相手の心をつかむ技術は、非常にたけていると思います。

このように、各大学のサークルでは、親鸞会の講師部員による細かい指導のもと、親鸞会の方針に従って、講師部員の指示によって活動を行なっているのですから、「『浄土真宗親鸞会』という宗教法人と各大学のサークルは別のものだ」などとは、決して言えないのではないでしょうか。

もし、「大学のサークル」とその中の「親鸞会会員の集まり」が明確に分かれているならば、「別の団体だ」と言えなくもないですが、その「組織」も「会計」も「活動」も、明確に分かれているものとは、とても言えません。少なくとも、外から見れば、まったく同じ集まりです。

私が幹部であるときも、大学当局や部員の親御さんから同じ指摘をうけましたが、なかなか反論できませんでした。それでも、親鸞会と名乗らず勧誘し続けていられたのは、「自分たちが行なっていることは、全人類を本当の幸せに導く、最も崇高な行為である」との信念が常にあったからです。

しかし、「親鸞会に入会させること」が、「本当の幸せに導く行為」かどうかは、まったく主観的なものであり、あくまで個人の判断にゆだねられるものです。自分たちにしか通用しない考えで正当性を主張し、全国の大学で活動をおし進めているのですから、多くの批判を受けるのは当然でしょう。

親鸞会学友部の講師部員や先輩たちには、自分たちに向けられている多くの批判について、最初から「とるにたらない非難中傷」と目を背け、自分たちの利益追求にだけ突き進むことなく、親鸞会の活動により苦しい思いをしている人たちの声に耳を傾けてもらいたいと思います。そして、それらの批判を受け入れる度量がまだあるのなら、是非、全国の大学における勧誘活動において、「浄土真宗親鸞会」としっかり名乗って、「仏教や浄土真宗の教えを学ぶサークルだ」と公言してもらいたいと願っています。

このような意見が内部で全くおこらない、また、内部でおこっても、上からの力によってもみ消されてしまうようなら、組織として自浄能力を失った団体であるとみなされても、仕方がないと思います。

ニーズの操作とアピール

いくつかの破壊的カルトの場合には、ニーズが被勧誘者に低い場合には、扇動してニーズを高める操作を行なうことがある。つまり、不安や恐怖感を喚起しやすい社会問題を提示するとか、被勧誘者の弱点をうまく聞き出したり、調べたりしておいて、その点を攻撃する。

たとえば、戦争などの紛争、経済危機、環境汚染、伝染病、暴力事件やいじめ、不倫、子どもの非行など、現代社会に生きる誰もが頭を悩ますような、解決困難な危機的な情報をターゲットの関心にあわせて、いろいろ提供する。つまり、本人に問題の解決をせまり、答えの出せない状況へと追い込み、依存心を高めるのである。            

ニーズとメッセージの組み合わせは次のように分類できる。

(1)自己変革欲求

罪悪感、剥奪感、コンプレックスといった個人的な欠点や弱点を標的にして、具体的な心の支えを提供すると説くような、治療的ないし訓戒的メッセージを与える。たとえば、「もし学んだら、悩みが解決できますよ」「解決したければ、勉強すべきです」と言われる。

(2)自己高揚欲求

人生における有能感を与え、「生きがい」や社会貢献といった人生の目的を説明し、 …(略)…「あなたには、まだ未開発の隠された能力がある。それを引き出して変わることができる」「あなたの人生の目的がわかりますよ」などと言われる。  

(3)認知欲求

自分、世界、歴史、宇宙、霊界などの超自然についての理解に対する動機付けを高める。…(略)…歴史の法則性や世界の終末などについて、正しく認知しようと動機付けを高める。たとえば、「科学では解明されていない驚異の世界がある、勉強したら分かりますよ」「あなたが謎に思っている全てのことが分かるんですよ。知りたいと思いませんか。」と言われる。

(4)親和欲求

親密な仲間集団を求める動機が満たされていない状態にある者に、孤独感をいやし、真に心を開いて語り合う場所と人を提供する。たとえば、「同じような仲間がいるから、一緒に考えましょう」「唯一、真面目に真剣に人生を生きていける素晴らしい人たちが、あなたの友人になってくれますし、その仲間は親よりも素晴らしい」などと、アピールを繰り返してくるのである。

こうして被勧誘者は、彼らの主張を聞いてみるくらいはいいのではないか、と思うようになるのである。誰もが気付くとおり、ここに取り上げたことに関して、多くの人が悩んでいたり、あるいは高い関心を寄せている。

(『マインドコントロールとは何か』P153,154)

新入生が、「親鸞会の話しを聞いてみよう」と思う理由の中には、上記に分類されるような欲求があると思います。親鸞会学友部の人たちに、「親鸞会の教義の中で、どのような内容に魅力を感じましたか?」と尋ねると、「理系の学生は『因果の道理』、文科系の学生は『無常観』に感銘をおぼえたと答える人が多い」ようです。親鸞会が発行している機関紙「顕正新聞」に、かつて特集されていました。

「因果の道理について知りたい」という欲求は、上記の「認知欲求」にあたりますし、「人生の目的を知りたい」「人生について真面目に語り合いたい」という欲求は、「親和欲求」にあたるのではないでしょうか。

親鸞会に入会する学生の多くは「人は何のために生きているのか」とか「私たちの運命は、何によって決まるのか」といった、多くの人にとって、回答が困難な問題に対して、直接的な答えを求めたがるのだと思います。大変難しい問題ですが、この世界に存在する多くの複雑な問題に対して、単純な解決があるなどと信じてはならないようにも思います。個人の人生や、人間関係、経済や政治、国際問題などの複雑な問題に対して、他者が与えられる単純で明白な解決などあるのだろうか、と疑問に思う気持ちも大切だと、私は思います。

なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについて

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 1.親鸞会学友部の活動について
 2.最初の接触
 3.続けて聞くようになるまで
 4.マインドコントロールに気づきにくい理由
 5.勧誘活動における問題点
 6.問題の提示と解決への道
 7.親鸞会の教義を受け入れるまで
 8.自己否定と無条件服従
 9.なぜ批判を受け入れられないのか
 10.情報の管理
 11.感情の管理
 12.行動の管理
 13.最後に

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