なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロール

続けて聞くようになるまで

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承諾誘導のルール

人間には「承諾を誘導させるルール」があると言われています。有能なセールスマンや、宗教の勧誘などの説得の実践現場にみられる、これらのルールを用いると、説得や要請に承諾する確率が高くなる、と言われています。

親鸞会のサークルに声をかけられ、最初に足を運んでも、講師部員や先輩たちは、自分たちが親鸞会の会員であることを隠していますので、このサークルが「浄土真宗親鸞会」だということも知らなければ、もちろん「親鸞会に入会したい」との思いも、全くありません。

では、なぜ、何気なく足を運んでいるうちに、結果的に親鸞会に入会し、親鸞会の活動に没頭するようになるのでしょうか。そこには、様々な要因が考えられます。

返報性のルール

破壊的カルトの勧誘は、一般にやさしくて非常に親切である。親身に相談にも応じてくれる。「楽しい」場や、「ためになる」イベントや集いに招待してくれる。また彼らの勧誘は、真剣で真面目で一生懸命であり、誠意を尽くしてくれる。ターゲットにされた被勧誘者は、こうした誘いに対して、返報性のルールをはたらかせて、話しくらい聞いてもいいのではないか、断るのは一度だけ参加してからにしよう、という気持ちになりやすい。

(『マインドコントロールとは何か』P93)

人は、誰かからやさしくされると、「お返しをしなければならない」と思うものです。

親鸞会の講師部員や先輩たちは、非常に親切です。それは、もちろん一人ひとりの性格にもよりますが、「なんとか目の前の新入生に、親鸞会の教えを分かってもらいたい」という気持ちを、講師や先輩たちはもっていますので、「新入生が喜んでくれるなら、続けて足を運んでくれるなら、できる限りのことをしよう」と思っている人がほとんどです。

実際、私もそうでした。新入生のために授業の時間割を組んであげたり、過去問や過去のレポートをあげたり、安い自転車を探してあげたりしました。また、新入生がなくした物を、夜遅くまで探し回ってあげるような先輩もいました。逆に、先輩が新入生を不快にさせるような言動をとると、「なぜそんなことをしたのだ」と厳しく注意されたものでした。

このように親身になってもらうと、人間は「返報性のルール」といって、「価値のあるものを受け取ったら、それ相当のお返しをしなければならない」と、自動的に思うものです。つまり「先輩たちに、ここまでしてもらって申し訳ない」といった気持ちになり、先輩からの要請を断りにくくなるのです。

実際にやめた人たちに聞くと、「最後は親鸞会の教義には関心はなかったが、先輩たちに申し訳ないと思い、やめにくくなり、しばらく続けることになった」と言う人が少なくありません。「返報性のルール」によって、その影響を受けているのです。

親鸞会のサークルでは、先輩たちの中には「我々のサークルは、新入生の面倒見のよさは大学一だ」と言う人も多くいました。実際に、面倒見はいいと思いますし、やさしい人が多いです。一方、サークルの外では、あまり親近感が湧きにくい大学の友人や、非常に厳しいバイト先や就職活動での人間関係といった環境があります。そのため、「親鸞会のサークルは居心地がいいなぁ」と依存度が高まってくる人も少なくないでしょう。「今までの人生で、これほどやさしくしてもらったことがない」という人もありました。

これは親鸞会のサークルの良い面だと思います。しかし、その影響で、サークルのメンバー以外の人たちと人間関係を築けない学生もありました。(もちろん、一番の原因は本人にありますが)そうなると、大学では親鸞会のサークルにしか、友人がいなくなります。すると、親鸞会のサークル以外に、行く場所がなくなり、いざ、親鸞会の教義や組織に対して疑問が湧いても、なかなかそこを出ようとは思えなくなります。このような、親鸞会への依存度が高まることが、親鸞会をやめにくい理由の一つになっていると思います。

私は親鸞会会員の友人だけでなく、親鸞会のことを批判する人や、親鸞会には関心がない友人もいたほうがいいと思います。そのような友人がいる人は、会員の中では、比較的少数だと思います。私の周りには、あまりいませんでした。

人生の価値観は、親鸞会だけで築くものではないのですから、親鸞会のサークル以外の友人をもつことも、親鸞会を客観的にみるためには、非常に大切だと思います。そうでないと、いざ、親鸞会に疑問をもっても、親鸞会への批判的な情報がほとんど入ってこなくなり、結局、親鸞会をやめることができないからです。

コミットメントと一貫性

コミットメントとは、社会心理学ではときどき用いられる用語だが、それは自分の立場を明白にする、立場に責任をもつ、といったような意味の概念である。

(『マインドコントロールとは何か』P94)

ある破壊的カルトの勧誘では、何度も次の訪問を約束させ、電話や手紙で念には念を入れる。そして、彼らは、一度、訪問したら、その帰り際には、必ず次の訪問の約束をとりつける。多くの被勧誘者が集まっている状況では、めいめいに継続して参加する決意表明を、他者の面前でさせるという。

彼らの勧誘は、このようなコミットメントをとりながら、まずは、立ち止まらせる、次に雑談をする、一度だけ訪問させる、勧誘話を聞かせる、臨時メンバーにならせる、そして正規のメンバーにさせる、といった具合に、小さな要請から、大きな要請へと段階的に攻撃してくる。

ターゲットにされた被勧誘者は、自己に誠実であろうとして、また、人に悪い印象を与えたくない心理がはたらき、一貫した行動をとろうとする。その結果、被勧誘者は強引な強制を感じることなく、操作者がもくろむ方向へと一歩ずつ、引き寄せられてゆく。

(『マインドコントロールとは何か』P98)

新入生が一度サークルの集まりに足を運ぶと、必ず次の約束を取らされます。そして、もう一度足を運ぶと、先輩たちは、また次回の約束をとってきます。とにかく、「明日また来てみないか」と次回の約束をとられます。

親鸞会のサークルでは、特に4月は毎日のように活動があるのですが、入部当初から、明確に「活動は毎日ある」という大学はほとんどないように思います。また、年間計画や月間行事などは、あまり発表されませんし、発表されたとしても、本当に大まかなものに過ぎません。

「活動は毎日あるので、休まないでほしい」というのが、新入生に対する先輩たちの本音ですが、あまり言うと、新入生から「そんなに厳しいのならいいです」とか「まだ、ここに入ると正式に決めた訳では、ありませんから」とでも言われるからか、しっかりそのような意志を伝えることは、少ないように思います。

新入生から「このサークルは、週にどれくらい活動があるのですか?」と聞かれても、たとえば「大体週に3回くらいだけど、来たい人がいるので、毎日でも行なっているよ」というように、非常に曖昧に答えます。一応、ウソではない訳です。(私は非常にいやらしいやり方だと思っていましたが)

こうして、一番最初の頃は、新入生はとにかく次回の約束をとられるのです。私はある先輩から 「とにかく次の約束をとろう。新入生に、『また来たい』と思わせられれば、ずっと、来させることができるのだから」と聞きました。そして、後輩にもそのように言っていました。私は幹部として、新入生と接していたとき、「この方法はうまいやり方だなぁ」と思っていました。とにかく仲良くなってしまえば、次回の約束をとるくらいなら、それほど難しくもありません。

最初に、サークルの年間計画や、月間予定、また、4月には毎日活動があることが、詳細に発表され、そして、新入生はそれらに参加するかどうかを判断する、というよりは、とにかく「次もまた来ないか」と約束をとることで、結果的に新入生は、毎日、続けてサークルに顔を出すようになるのです。

何度かそのような状態を続けていると、いつしか、参加するのが当たり前となり、来る約束ではなく、休む許可を得なければならない、といった状況になります。また、大学によっては、「入部」という明確な手続きもとられないまま、「いつのまにかサークルの一員になっていた」ということもあります。

あと、先ほども少し書きましたが、親鸞会のサークルでは、最初は「宗教法人 浄土真宗親鸞会」の名前はまったく出てきません。講師の人も先輩たちも、自分たちが「親鸞会の会員」だということは、一切言いません。(ごく一部、大学側の反対が非常に厳しいところでは、講師部員は「浄土真宗の講師」だと名乗っている大学もあります)ですから、新入生は毎日足を運んでいる部室が、まさか「宗教法人の名義」だとは、知りませんし、「親鸞会」の存在など、全く分かりません。つまり、最初は「親鸞会」の存在は一切、隠されているのです。
 
しかし、その存在は次第に、明らかにされてゆきます。

部会の中で、講師部員の口から「親鸞会」という名前がさらりと紹介され、しばらくして、親鸞会の高森会長についても紹介があり、その会長の法話に参詣しよう、という話が出て、いつも話をしてくれる「仏教に詳しい先輩」と思っていた人が実は、親鸞会の講師部員であり、そして、「親鸞会に入会しよう」と入会の勧めがなされるのです。

このようなことが、4月の入部から、毎日の部会、ゴールデンウィークに行なわれる新勧合宿、そして、5月、6月と進むにつれて、行なわれるのです。つまり、サークルの活動が徐々に小出しにされ、少しずつ受け入れてゆくことによって、多くのハードルを越えてゆくことになるのです。

家族や友人にとっては、「なぜ、休日にわざわざ富山まで話を聞きにゆくのか」と、信じられないのですが、本人はそれほど「強制された」と感じることもなく、最初は存在さえ知らなかった「親鸞会」ですが、こうして「高森会長の法話への参詣」を繰り返し続け、「親鸞会会員」となってゆくのです。

また、上記の引用文に『多くの被勧誘者が集まっている状況では、めいめいに継続して参加する決意表明を、他者の面前でさせるという』とありましたが、たとえば、学友部で毎年、ゴールデンウィークに「新勧合宿」というものが行なわれています。その合宿への参加を新入生にすすめる時、ある大学では、新入生歓迎行事の席は、一つのテーブルが6人がけになっており、事前に打ち合わせがなされ、必ず先輩と新入生がそれぞれ隣り合わせになるように座ります。

そして、そのテーブルには先輩3名と、新入生3名がいるのですが、新入生3名のうち、2名が新勧合宿の参加を申し込むと、残り1人の新入生の前で、申し込んだ2名の紹介を、わざと大げさに行ない、その場の雰囲気を盛り上げて、最後の一人も「みんな申し込んだのか…自分だけ申し込まないのも…」という思いにさせ、申し込みを無言で促すのです。強要している訳ではなく、非常にうまいやり方だなぁ、と横で聞いていて思ったものでした。

親鸞会学友部の活動の中には、このような手法は、毎日の活動のいたるところにちりばめられており、新勧の歴史が長い大学ほど、洗練されており、先輩から後輩に指導がなされています。ですから、新入生の立場としては、それほど、強制されたという気持ちも残らず、いつのまにか、先輩の導く方向へついて行くことになるのです。

そして、新入生が帰った後で、先輩たちの間で、今日一日の活動を反省する「反省会合」が行なわれます。そこでは「今日の、あの言い方は非常に良かった」「あのやり方はまずかった」などと、おたがいの工夫点、改善点を話し合い、多くの新入生が、先輩の思うように導かれてゆくのです。

新入生には全く分からないのですが、先輩同士の間では、綿密な打ち合わせが行なわれています。普通は、新入生が来ないであろう、朝早く、もしくは夜遅くに部室で行なわれていることが多いように思います。「どの新入生に対して、誰が相手をするか」や、「どの新入生には、今日はどこまで話しをして、何をすすめるべきか(合宿の参加や何かの納金など)」といったことを、事前に打ち合せた上で、実行されています。

新入生の中には「なぜ、いつも同じ先輩が僕に話をするのか」と疑問に思う人もいますが、それは、一人の新入生に対して、担当の先輩が決まっているからです。各新入生の理解度、家庭環境、金銭状況などが、なにげない会話の中で聞き出され、こまかく把握されています。そして、各新入生に対して、適切な対応を適宜とる為に、一人ひとりの新入生に対して、担当の先輩が決まっているのです。

私は講師の人から、よくこんな話しを聞かされました。

「高森光晴布教局長が、昔、青年部長をされていた頃、高森先生が、『担当の会員を顕正しようと思ったら、まず、会員一人ひとりの、職業や家族構成、おいたち、考え方、好きな物、嫌いな物など、何でも知り尽くしていなければならない。』と教えて下さったそうだ。だから、私たちもしっかり新入生の状況を把握しよう。」このような指導を受け、新入生に対して、組織的にきめ細かい把握がなされています。

詳しく知りたい方は、以下のサイトの「親鸞会必殺育成法 第6節『聞き出す』、第10節『金対策』」などを御覧下さい。

なぜ私は親鸞会をやめたのか 親鸞会資料室

特に4月は、親鸞会のサークルにとって、非常に大事な時期ですので、朝、先輩たちが部室に集まって、綿密な打ち合わせがなされています。1限目の授業が始まる前に、先輩たちが部室に集まって、それぞれ、今日、誰にどんな話しをするか、誰に何をすすめるのか、昨日来なかった新入生に誰が会いに行くか、今日の部会後の話しこみのポイントは何か、などをお互い確認し合っています。

ですから、4月の時期に、朝、部室に行くと、先輩たちがたくさんいます。私は新入生だった頃、何も知らず、朝、部室へ行ったことがあるのですが、思いのほか先輩が沢山集まっていたので、びっくりしたのを覚えています。先輩になってから、そのからくりが分かった訳です。

また、たとえば、最初の新入生の歓迎行事で、先輩が新入生の為に組んであげる時間割がありますが、これはコピーされている大学もあり、先輩が管理して、新入生がどの教室で、何の授業を受けているか、また、どの時間が空いているのかは、全て把握されています。それによって、その新入生が来なくなった時に、教室に会いに行くことができますし、新入生のあいている時間を細かく把握することで、あいている時間に部室によんで話をすることができ、新入生としては、「○○君は、○曜日の○時限目がたしかあいていたよね」と言われると、断りにくくなる訳です。

また、入部の際に氏名や住所、また自分のプロフィールを書く「入部用紙」にも、なにげなく、以下のようないくつかの質問が書かれています。

「この大学に、先輩や友人はいる?」
「親は?・・・・・・・・・1,放任、2,普通、3,過保護」
「パソコンは?・・・1,非常に得意、2,まあまあ、3,苦手」

これは、この新入生が今後、友人や親からどの程度、反対を受けるおそれがあるか、また、インターネットで「親鸞会に対する批判的なサイト」を見る可能性がどれほどあるのか、を把握する為のものです。

このように、様々な手法で、新入生の情報を把握しています。本当に見事なものです。

好意性の原理

個人は好意を示してくれる相手に対して、好意的な行動を示してしまう、というルールがある。好意を示してくれた相手に対しては、それ相当の価値あるものを返さなくてはならない、そうでないと相手に悪いという罪意識のような感情におちいってしまうから、それを避けるような形で、自動的に反応するようになっている。

(『マインドコントロールとは何か』P98)

破壊的カルトの勧誘でも、被勧誘者の意見、立場などの類似性の高い勧誘者を用いることが少なくないようだ。そして勧誘者は、場合によっては被勧誘者の話を聞きながら、「私も同じ悩みがあった」などと告げたり、大きくうなずいてみせたりといったことをするように、と勧誘マニュアルに載せられていたりする。

(『マインドコントロールとは何か』P99)

次に「近接性」である。破壊的カルトの人々は、電話に手紙、訪問と何度となく繰り返し、あるいは、パーティーや講演会に一緒に参加し、特に熱心に勧誘の話をするでもなく、何となくそばにいるという時間を長くするように心がけることが多い。彼らは、被勧誘者が心を開いて話を聞いてくれる状況になるまで、勧誘という真の目的を告げずに、ひたすら待っていることさえもあるようだ。

(『マインドコントロールとは何か』P100)

最後に「好意の相互性」である。破壊的カルトの勧誘でも、相手をほめるなどしてお世辞を多用するところがある。たとえば、彼らは被勧誘者に「あなたは良い人だ」「あなたは素敵な人だ」「あなたのように真面目に人生をみつめている人はめずらしい」などと、ほめちぎる。ある破壊的カルトの元メンバーに面接すると、多くの人々が「私はそれまでそんなに誉められることもなかったので、相手をとても良い人だと思った」と述懐している。

(『マインドコントロールとは何か』P101)

親鸞会の先輩たちは、新入生を勧誘する時は、とにかく明るくハイテンションです。講師部や幹部の学生は、後輩たちに、明るく元気に振舞うようにと、学生に指導しているからです。そして、新入生をことさらに誉めちぎります。誉められて嫌がる人はいませんので、新入生は気分がよくなる人が多いと思います。その誉め方についても指導が行なわれています。あまりにもいやらしい誉め方をすると、不自然で逆に気分を害する新入生もいますので、「わざとらしい誉め方ではなく、自然な誉め方をしよう」と指導がなされています。そのセリフにいたるまで、例をあげて練習が行なわれていることもありました。

以下、親鸞会学友部で作成されたプリントから、一部抜粋します。

<声かけ原稿>

合格おめで大会ってのやってるんだよ。
やっぱ人生、出会いでしょ。
けっこう為になるんだよ、うーん。
みんな来てるから、あはは、なんちゃって。
ゼミって知ってる?あっ、知らないんだ。ちょうどよかった、ちょっと行ってみよう!
ところで兄弟は?
そういえば、どこから来たの?
あっごめん、忘れてた。僕、○年の○○っていいます。よろしく〜。
ところで、お名前は?

それかわいいマフラーだね。
○○学部って、すごいね。
現役ってことは、集中力あるんだ
通学に1時間って、体だいじょうぶ?
そのセーター誰が選んだの?いいね。
寒いから、あったかいお茶でもどう?

<新入生勧誘における使えるフレーズ>

・まかせとけ、大丈夫!、ちょうどよかった!、よかったね〜
・みんな来ているよ、毎年恒例!、実際そう、ほんとにそう、
・じゃあ行ってみよう、ずっと待ってたよ〜
・今日しかないから!、来ないともったいない!、今がチャンス!!
・為になる、役に立つ、得をする
・みんな来てよかったって言ってるよ♪、休んでいってよ♪
・ここだけの話し!、君にだけポイントおしえちゃう!!

<ジェスチャーのポイント>

・手足を使う
・ともに喜ぶ
・握手する、拍手する
・うなづく
・直視しない
・真正面に立たない
・こちらのペースで
・足を止める
・ハイテンション
・少々強引でいい
・オーバーでいい
・自然に
・無言で近づかない
・沈黙しない
・ふる、ボケ、ツッコミ
・語尾をあげる
・明るい笑顔

<つなぎトーク>

・自宅か下宿か
・いい天気だね
・今日は誰ときたの?
・高校はどこ?
・どっから来たの?
・名前、学部、出身
・部活、趣味
・家族、兄弟
・同じ大学に入った友達はいるか
・試験どうだった
・なぜこの大学にきたの?
・昨日の過ごし方
・どんなテレビ見る?

(ある大学の親鸞会のサークルの勧誘原稿より)

また、たとえ誉めたり、話しをするのが苦手な先輩であっても、その場にいるだけで意味があるのだと、教えられます。上記の引用にある「近接性」と言われるものです。「特に熱心に勧誘の話をするでもなく、何となくそばにいるという時間を長くするように心がけることが多い」とありますが、話しができない先輩であっても、「熱心に話をしている先輩の横で、頷いているだけでいい、その時その場にいることが大事なのだ」と指導されます。

話しをする側としても、一人でもくもくと話しをするより、横で頷いてくれる人がいたほうが、話しはしやすくやる気も出ます。また、聞く側としても、横で頷いている人がいると、その影響を受けるように思います。このように、活動の中で、一つひとつの行動について、詳細に指導が行われています。私は幹部であったとき、これらのことを自らも実践し、後輩にも指導していましたが、実にうまい方法だと、感心したものです。

希少性の原理 

ある対象に対して、自由に選択の余地のない状況になると、自由度の広い状況よりも、魅力が高くなるという。破壊的カルトの勧誘者は、時間と場所の希少性をさかんに主張する。人が、ふと今の自分の現状や、何か人生を振り返ろうとしているとき、勧誘者はこのときとばかりに、「この出会いがあなたにとって幸せになる最後のチャンスなんだ」「今、決断しなれければ、あとで後悔しますよ」「他にはない素晴らしい教えです」というようなセリフで迫ってくるのである。被勧誘者は、それに好奇心を抱き、話しを聞いてみないと、ひょっとしたら後悔するかもしれない、と思うようになる。

(『マインドコントロールとは何か』P102、103)

親鸞会は「希少性」を強調します。4月の勧誘時にも、「サークル紹介は今しかやっていないから」「今ならお得な情報がゲットできる」「この出会いが大切なんだ」などと、希少性を強調します。

また教義の面でも、「希少性」は強調されています。「人間はいつ死ぬか分からない。もしかしたら、今晩死ぬかもしれない。だから、仏法は今、聞かなければならないのだ」と訴えます。このように「希少性」強調されると、勧誘された新入生は「今、聞かなければならないのかな…」と関心を示すようになります。つまり、希少性を強調することで、魅力が高まるということです。

これは親鸞会の高森会長の著書である『なぜ生きる』の中にも、このように出てきます。

「一息つがざれば次の生である。永久にもどらぬ人生となる。ただ今、人生の目的を達成しなければ、いつするというのであろうか。いつできるというのだろうか。永遠のチャンスは今しかない。刻々と迫る無常を凝視して、決して後悔をのこさぬように」

(高森顕徹・著『なぜ生きる』P196)

親鸞会学友部の合宿では、講師部員や先輩たちによって、これらのことが繰り返し話され、希少性を強調します。4月の勧誘を目前にしたある合宿の中で、新勧にそなえ、新入生に対して、相手の目みて、しっかり話しが出来るようにと、以下の高森会長の言葉が黒板に書かれ、合宿参加者が、2人1組になって、面と向かって叫びあう、という行為も行なわれました。

「死ぬまで死ぬまいと思っている。
 臨終まで何とかなれると思っている。
 もうだめだ、となった時、はじめてうろたえるのです。
 それでは手遅れです。聞きぬこう」

(高森会長の言葉)

「今、聞かなければならないのだ」と希少性を強調するのは、親鸞会の特徴とも言えるでしょう。

そのような「希少性」を繰り返し聞かされ、そして後輩にも訴えている幹部や先輩となれば、「親鸞会の活動」が人生のやるべき事の中で、最優先課題となります。しかし、バランス感覚を欠いてしまい、大学の授業や、睡眠、食事、整理整頓といった日常生活がおろそかになり、授業を欠席しがちになったり、単位を落とし留年してしまう人や、体調を崩す人が実際に出ています。

その原因は、もちろん本人の管理能力の無さにもありますが、「今しかできないことだから」と強調する親鸞会の活動方針にも、問題があるように思われます。

権威性の原理

人は権威者がいるとき、その人の行動の責任をあずけて、命令に自動的に服従しやすくなる。

破壊的カルトの勧誘でもこれを用いる。たとえば、組織のメンバーには、有名大学や大学院の出身者や関係者である人がいると伝える。組織のトップや一部のメンバーは、世界中の著名人と親交が深いことを伝える。あるいは、政界や経済界、学術界の大物、権威ある機関や著名な人物が、自分たちの組織やその活動を高く評価していると吹聴する。まだ、何も組織のことを理解していない被勧誘者は、それらの評価に自動的に反応して、とりあえず足を向けてみようとする。

(『マインドコントロールとは何か』P104、106)

新入生が勧誘され、最初の頃に聞く部会の中には、トルストイ、芥川龍之介、またノーベル生理学賞を受賞した利根川進教授や、その他、歴史上有名な哲学者や科学者の有名な言葉が、数多く出てきます。親鸞会の講師の人たちは、新入生に対して話をするとき、これらの言葉を効果的に使っています。また、先輩たちは「サークルのOBは、医師や弁護士など、社会の第一線で活躍している人が多い」と紹介し、実際にそれらの人が来て、講演を行なうこともあります。これらの権威に触れた新入生にとっては、それが一つの魅力となり、親鸞会の教義や組織に関心を示すようになると思われます。

なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについて

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 1.親鸞会学友部の活動について
 2.最初の接触
 3.続けて聞くようになるまで
 4.マインドコントロールに気づきにくい理由
 5.勧誘活動における問題点
 6.問題の提示と解決への道
 7.親鸞会の教義を受け入れるまで
 8.自己否定と無条件服従
 9.なぜ批判を受け入れられないのか
 10.情報の管理
 11.感情の管理
 12.行動の管理
 13.最後に

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