なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロール

最初の接触

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マインドコントロールについて

皆さんに、マインドコントロールといわれるものについて、よく知って頂きたいと思います。 そこで、これからは『マインドコントロールとは何か』(西田公昭・著)からの引用をもとに、マインドコントロールと言われているものと、親鸞会の中で私が経験したことや、感じたことを述べてみたいと思います。

西田公昭著『マインドコントロールとは何か』とは、社会心理学を専門とする著者が、オウム真理教が地下鉄で神経ガスを散布する等の事件を引き起こした1995年に、マインド・コントロールについて一般読者向けに分かりやすく解説したものです。裁判の参考資料として提出されたこともある資料も含み、マインドコントロールのことを知る上で重要な参考文献とされています。

はじめに断っておきますが、私は「親鸞会の全てがおかしい」とか、「親鸞会には早くつぶれてもらいたい」などとは思っていません。また、「親鸞会が『マインドコントロール』といわれる手法を研究して、信者獲得や資金調達のために、多くの学生をだましている」とも思いません。親鸞会の講師の人たちや、親鸞会の会員である先輩たちは、純粋に100%の善意で活動をおこなっていると思います。悪意はまったくありません。

私自身も親鸞会で幹部として活動しているときは、「自分は一人でも多くの人を幸せに導くために、素晴らしいことをしている」と自覚して、活動を行なっていました。また、周りの講師部員や幹部の人たちも、みなそのような信念で、必死に活動していました。講師や先輩から、「破邪顕正(間違った教えを正し、正しい教えを明らかにすること)は人間の出来る最も崇高な行為であり、世界最高の生き方だ」と教えられたものでした。

また、親鸞会では統一教会やオウム真理教が批判されているような、「霊感商法」「殺人」「拉致監禁」といった反社会的な部分は、私の知る限り、現在のところはないように思います。

しかし私が驚いたのは、以下に引用している『マインドコントロールとは何か』に紹介されている、「破壊的カルト」と呼ばれる者たちのとる手法と、私が実際に、親鸞会で幹部として、長年活動してきたことに、多々、類似性がみられることです。「なぜ、こんなにも類似している部分が多いのか」と不思議に思いました。私はこのような類似性があることだけで、「親鸞会はマインドコントロールを行なっている」と結論づけるつもりはありませんが、このような多々類似性がみられることから、「親鸞会では、マインドコントロールが行なわれている」という批判があるのかもしれません。

何度も言いますが、親鸞会の講師部員や、先輩たちに悪意はありません。相手をだましてやろう、などとはまったく思っていません。ですから、「親鸞会でマインドコントロールが行なわれているのでは」というよりも、「親鸞会の活動と破壊的カルトのマインドコントロールの手法とは非常に似ているのでは」と言ったほうがいいのかもしれません。少なくとも言えるのは、親鸞会の講師部員や先輩たちが、「マインドコントロールを行なっている」という自覚は全くないということです。

しかし私は、彼らのその悪意のなさが、非常に危険なのでは、と思います。親鸞会の活動により、様々な影響を与えている側も、その影響を受けている側も、まったく自覚がないということです。『マインドコントロールとは何か』の中にも、以下のように書かれています。

マインドコントロールは操作者が何らかの結論を用意して、強引にそれに導く意思決定をさせるといった強制的な方法をとらない。常に、行為者が『自ら考えたように感じさせる』のである。『選択の自由があるかのごとく思わせる』のである。

つまり、操作者は意思決定の過程において、実際には、たくさん存在する「道具」と「材料」の中から、選んでほしい特定のものをたくみに仕組んで選ばせてしまう。だから、もしマインドコントロールされているとしたら、自らが気づくことは困難である。

しかも、もし自分や周囲の誰かが、ここで説明したような状況におかれているとしたら、たぶん、それはマインドコントロールされていると客観視すべきである。

(『マインドコントロールとは何か』P197)

では、マインドコントロールとは一体どのような手法で行なわれるのか、『マインドコントロールとは何か』を引用し、そして、実際に私が長年にわたって、親鸞会で幹部として活動し、経験してきたこと、感じたことを述べてみたいと思います。

第一接触のパターン

被勧誘者が相手の話を聞くようになるのはどのようなときであろうか。彼らの組織についての話しが、被勧誘者にとって、必ずすぐにも興味をひくものなのであろうか。

社会心理学では、被勧誘者が話しの内容にすぐには興味がわかない場合でも、相手の話を何となく聞いてしまう可能性が、他者からの操作によって高められることを明らかにしてきた。

破壊的カルトは、勧誘者と被勧誘者とが接触する「状況」に潜む、こうした力を駆使して、何度となく対話のできる状況へと誘導し、とにかく勧誘の話をする機会を獲得しようとすることが多いようである。

もちろん、勧誘の話そのものも、呈示の仕方によっては状況の強い拘束力を作り出す。つまり、操作者がある特定の対話状況を構築することが、人に意思決定のためのボトム・アップ情報を特定化させるはたらきをもつ。これが一時的マインドコントロールの原理である。

(『マインドコントロールとは何か』P84)

親鸞会の主張を一言でいうと「人間にとって一番大事な『人生の目的(=崩れない幸せ)』が、唯一親鸞聖人の教えにだけ説かれている。だから、親鸞会に入会して、その教えを聞き、『人生の目的』を果たそう(崩れない幸せを手に入れよう)」というものです。

しかし、現代の若者に、「人生について考えよう」とか、「人生の目的って大事だと思わないか」と声をかけたところで、「是非、その話しを聞きたい」と言ってくる学生は、大変少ないように思います。

そこで、一番最初に声をかける時には、「人生の目的」とも「親鸞聖人」とも、ましてや「親鸞会」とも、まったく言いません。では、どのように声をかけるかと言うと、たとえば、「大学生活を充実させるポイントを紹介するよ」などと、声をかけてきます。そして、勧誘部屋に連れて行かれると、そこであらためて、サークルの紹介をするためのバインダーを開いて、「人生とは・・・」と語り始めます。

(中には、声をかけた初日には、サークルの内容はまったく紹介せず、「新入生対象に先輩の有志があつまって、大学生活を紹介しているんだよ」と言い、大学生の一日のスケジュールや、大学構内の紹介、下宿生活の案内などだけ話しをして、新入生の連絡先を聞き出して次回の約束をとり、次にきてみると、サークルの紹介がなされ、実は「人生の目的」について、取り組むサークルだった、という勧誘を行なう大学もあります。)

参考までに、ある大学で合格発表や入学手続きの時に、実際に行なわれた勧誘の声のかけ方を親鸞会で作成されたプリントから、紹介いたしましょう。

<声かけトーク>

こんにちは。
新入生?どう、受かった?(もしくは、手続き終わった?)
これで晴れて、○○大生だね。おめでとう!どう、一安心って感じじゃない?
よかったね。

ところで、何学部?(学部に応じて、学部をほめる)
僕は○○学部の○回生の○○○○っていうんだけど、名前は?(しっかり覚える)
いい名前だね、よろしく〜。

そうそう、ちょうどよかった!
今、新入生の為に、毎年恒例の特別企画、合格祝賀会を兼ねたサークルの紹介を、学生会館でやってて、みんなに来てもらって、今年も大好評なんだね。

来ないともったいない、為になる・役に立つ・得をする
おかしやジュースもあるよ。○○大学といえばやっぱこれだよ。
まだ、来ていなかった?さっき来た○○君も来てよかったって言っていたよ。
10分か15分くらいだから、今日しかないよ、今がチャンス!

・・・・・・などなど。

○○君もせっかくここまできたんだし、一緒に行ってみよう!!
じゃあ、ここにいる○○先輩が案内してくれるから。
○○君、案内してあげて。

(ある大学の親鸞会のサークルの声かけ原稿)

このように、「人生とは何か」とか「人は何のために生きるのか」と、強烈に考えているような学生でなくても、初めての大学生活に不安を感じ、「少しでも大学の情報がほしい」と思ったり、「先輩たちもやさしいし、居心地がよさそう」との思いから、親鸞会のサークルに続けて足を運ぶ可能性は非常に高いと思います。実際、親鸞会の学友部員に聞いてみると、「サークルに出会う前から人生の目的について、真面目に考えていた」という人は、思ったより少ないように思います。このことから、どんな学生であっても、親鸞会のサークルに入ってしまう可能性はあります。

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 1.親鸞会学友部の活動について
 2.最初の接触
 3.続けて聞くようになるまで
 4.マインドコントロールに気づきにくい理由
 5.勧誘活動における問題点
 6.問題の提示と解決への道
 7.親鸞会の教義を受け入れるまで
 8.自己否定と無条件服従
 9.なぜ批判を受け入れられないのか
 10.情報の管理
 11.感情の管理
 12.行動の管理
 13.最後に

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