なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロール

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選択の自由があるかのごとく思わせる

これまで示してきたように、マインドコントロールは操作者が何らかの結論を用意して、強引にそれに導く意思決定をさせるといった強制的な方法をとらない。常に、行為者が『自ら考えたように感じさせる』のである。『選択の自由があるかのごとく思わせる』のである。

つまり、操作者は意思決定の過程において、実際には、たくさん存在する「道具」と「材料」の中から、選んでほしい特定のものをたくみに仕組んで選ばせてしまう。だから、もしマインドコントロールされているとしたら、自らが気づくことは困難である。

しかも、もし自分や周囲の誰かが、ここで説明したような状況におかれているとしたら、たぶん、それはマインドコントロールされていると客観視すべきである。

(『マインドコントロールとは何か』P197)

ここがマインドコントロールの最も恐ろしいところでしょう。「操作者が何らかの結論を用意している」訳でもなく、「強引にその結論に導く意思決定をさせるといった強制的な方法をとる」訳でもありませんので、マインドコントロールの影響を受けている人は、そんな影響を受けているという自覚はなく、「自ら、考え選択したように感じる」のです。つまり、後々、マインドコントロールから目覚めると、「なぜ、自分はあのような選択をしてしまったのか」と後悔の念に陥るのですが、「それは、あなた自身が選んだ道でしょう」と言われると、何も言えなくなってしまいます。

私は最初にも述べましたように、「親鸞会ではマインドコントロールが行なわれている」と断言している訳でもなく、「親鸞会など、早くつぶれてほしい」などとも、思っていません。親鸞会に出会って、喜んでおられる方々が沢山おられるのを知っていますし、そのような方々にとっては、親鸞会の存在も、大変意味のあるものであり、必要なものなのでは、と思っています。

親鸞会の講師や幹部の人たちの心にあるのは、決して「金儲け」や「人集め」といったことではなく、「全人類を本当の幸せに導く、唯一の教えである、親鸞聖人の御教えを、一人でも多くの方々にお伝えすること」なのです。彼らは100%の善意で、この行為を一生懸命行なっているのです。それは、長年、幹部として、親鸞会で活動してきた私は、その気持ちはよく分かります。 

新入生の前では善人ぶった顔をしながら、裏では私服を肥やし、私利私欲を貪っている、といった姿とは余程縁遠く、本当に、みんな真面目で一生懸命です。(一時、会の最高幹部の女性問題や横領などが非難されたこともありましたが、仮にこれらが事実だとしても、人間の集まりですから、そうしたこともあるだろうと思います)彼らの立場にたてば、「なぜ私たちが、こんな非難を受けねばならないのか」と、不思議で仕方ないかもしれません。

しかし、親鸞会との出会いを喜ぶ人たちがいるを一方で、親鸞会をやめた人の中には、「なぜ自分は、学生時代の貴重な時間やお金を、あのような活動に費やしてしまったのか」と後悔し、取り戻せない貴重な時間を振り返り、苦しい思いをしている人が少なくないように思います。

もちろん、自らの判断で選んだ道ですので、責任は自分にあるのかもしれませんが、そのような多くの人たちが、親鸞会を選択したことへの自責の念にかられ、苦しんでいる姿をみるにつけ、私は「なぜ、こんなことになってしまうのだろう」と思いながら、いろいろ悩みました。そして、マインドコントロールについて書かれた本を読みすすめてゆくうちに、多々考えさせられることがありました。

親鸞会への批判の一つに、「親鸞会ではマインドコントロールが行なわれている」という批判があります。その批判が正しいのかどうか、是非、みなさん一人ひとりに考えて頂きたいのですが、親鸞会の講師部員や幹部の皆さんには、親鸞会の活動により、苦しい思いをしている人たちがいることを知って頂き、それらの人たちの声を少しでも受け止めて、「自分たちには、改善すべき点はないのだろうか」と、胸に手を当てて、一度、心静かに考えて頂きたいと思います。

この世の中には、多くの人間が存在しています。そして、自分と違う考えをもった人たちがたくさんいます。当然、自分と全く正反対の意見を持った人も少なくないでしょう。

もし、全人類が親鸞会会員であり、「親鸞会の説く教えが大宇宙の真理だ」「高森会長の仰せには、無条件に従うべきだ」と思っている人ばかりなら、そんな人に対して、親鸞会が自らの価値観によってのみ動き、その正当性を主張しても、何の問題もないのかもしれません。しかし、親鸞会と出会い、喜びに満ち溢れた人生となった人がいる一方で、親鸞会の活動によって、苦しい思いをしている人も、同じくらいおられるかも知れません。

親鸞会の講師の方々や、幹部の人たちには、是非一度、自分たちに寄せられる批判に耳を傾けて、そして、「もしかしたら、自分たちにも改めるべき点があるのでは・・・」と考えて頂けたらと思っています。そして、親鸞会の会員の皆さんも、親鸞会を批判している人たちも、ただ感情的に罵りあい、お互いの正当性だけを主張して、相手の意見を「取るに足らないもの」と認めないのではなく、お互いの立場を理解し、その気持ちを分かち合うことで、親鸞会にめぐり合い、幸せを感じる人が増え、親鸞会の活動によって苦しむ人が減ってゆくのかも知れません。

私は10年数年もの間、親鸞会で活動し、親鸞会の幹部としてその裏も表もみてきました。自分が長年、所属していた団体には、是非よくなってもらいたい、との願いから、過去の経験をふまえて、このような場で意見を述べさせて頂きました。

親鸞会の講師部の人たちや、幹部の皆さんには、信仰という今後の人生において決して小さくない影響を与える問題を、10代後半の若者たちに突きつけることを、是非、慎重に行なって頂きたいと、切に願うばかりです。

<終わり>

なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについて

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 1.親鸞会学友部の活動について
 2.最初の接触
 3.続けて聞くようになるまで
 4.マインドコントロールに気づきにくい理由
 5.勧誘活動における問題点
 6.問題の提示と解決への道
 7.親鸞会の教義を受け入れるまで
 8.自己否定と無条件服従
 9.なぜ批判を受け入れられないのか
 10.情報の管理
 11.感情の管理
 12.行動の管理
 13.最後に

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