なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロール

行動の管理

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自己知覚

破壊的カルトのメンバーは、自集団の思想について、まだ全部理解していないという認知があり、常により深い理解をしようとする。そのために一番良いのは、その集団でのさまざまな活動に奔走することであると指示される。また古参者は、新参者に対して「今は分からなくても、やっているうちに理解してくる」などといったメッセージを与えるという。

(『マインドコントロールとは何か』P189,190)

親鸞会学友部のサークルに勧誘され、続けて話しを聞いてゆく人の中で、「因果の道理は、本当に大宇宙の真理なのか」といった疑問をもつ人は、少なくないと思います。すると、講師部や先輩が「それは、実践しないと分からないことだ。だから、頭であれこれ考えているヒマがあったら、体を動かして、教えの通り実行してみよう。実際に、体にかけて実践しないと何も知らされないから」と言います。
 
また、親鸞会の教義の中にも、「信仰が進む」(専門用語で、「宿善が厚くなる」と言います)こととして、聴聞(仏教の話しを聞く)、勤行(正信偈を拝読する)の次に、「善の実践」をあげています。つまり、「教えに従い、善いことを実行しよう」ということです。中でも勧められるのが、「法施」(仏法を伝える)と「財施」(お金や物、労働力などを施す)です。これらの活動を熱心に勧められるようになります。

生理的剥奪と生活の管理

生理的なストレスを与えることが、マインドコントロールを助長するのではないかと考えられる。ストレス状況とは、生理的に喚起された状態ともいえ、それが人間の情報処理に影響を及ぼしている。また、ストレス状況の連続にともなう心身の疲労も、個人を取り囲む状況の変化に対する感受性を低下させることになると思われる。要するに、注意が散漫になってゆく。

(『マインドコントロールとは何か』P192)

破壊的カルトの日常生活は、パターン化され単調であるという。各メンバーは、毎日の細かいスケジュールが上司によって決められ、食事さえも決められていることもある。そんな状態に加えて、メンバーは常に上司に相談し、指示を与えられることが多いために、解決方法の未知な問題には遭遇しにくくなり、意思決定に迷うことなく、自動的に対処するようになる。

(『マインドコントロールとは何か』P193)

かつては学生に「行動予定表」を提出させるということもあったようですが、現在、学生や社会人である一般の会員の日常生活が単調であり、細かいスケジュールが上司によって、決められるといったことは、あまりないように思います。これは、どちらかというと、親鸞会の中の講師部養成機関である「顕真学院」に当てはまるように思います。

顕真学院は、講師部を目指す人たちが入学しなければならない、講師を養成する為の学校です。福井県のあわら市にあり、顕真学院の生徒(学院生と言います)たちは、学院担当の教授たちとともに共同生活を行ない、朝から晩まで、様々な細かい指導を受けています。その細かな指導は際立っており、将来、講師部となり、激しい活動に耐えながら、高森会長や、講師部の上司に無条件服従するための強い信念を育成するための機関として働いています。

なお、顕真学院については、別のサイトを立ち上げて、詳しくその様子や問題点を述べてみたいと思います。

異性感情の抑制

破壊的カルトのメンバーは、異性への思慕や性的欲求などを極端に抑制することを求められることが多い。ただし、一部の幹部や集団トップには例外的に許されている場合が多い。

(『マインドコントロールとは何か』P193)

学友部では基本的に、男女交際を禁止しています。学友部の男女が、公然と交際をしていることなど、ほとんどありません。あったとしても、それは隠れて行なわれています。もし、発覚すれば、いろいろと問題になりますし、講師部員も、交際している男女があることを知っても、できるだけ、他の学友部員には知られてほしくないようです。

男女交際が禁止されているのは、おそらく、異性同士が恋愛感情をもつと、教えへの関心や、会の活動に対する気持ちが弱くなり、活動を休みがちになって、2人だけの行動をとることが多くなると、親鸞会の講師の人たちは考えているからではないか、と思われます。親鸞会学友部では、このような男女の問題を通称「男女問題」と言っています。

この「男女問題」を指摘するためか、ある地区で学友部の責任者の人が、かつてこのような話をしてました。「八大地獄の中で、七番目の大焦熱地獄とは、『比丘尼を犯した比丘が堕ちる地獄』だ。これは、仏法を求める女性に対して、己の欲を満たすために淫らな行為をおこなった者が堕ちる地獄だ。仏法を求める為に集まった男女が、色欲のとりこになって邪淫の罪を犯すのは、大変恐ろしい罪なのだ。」

もちろん、中には行き過ぎた関係もあるのかもしれませんが、私は、10代後半から20代前半の男女が、お互い恋愛感情を持つのは、極めて常識的であり、一般的なことだと思います。男女の交際を禁じるという親鸞会のこれらの行為は、非常に問題があるのではないか、と思います。

逆に、大学を卒業して社会人になり、学友部から支部へ移籍するようになると、一転して、会員同士の結婚をすすめられます。社会人になると、仕事の忙しさや、家族の反対で、会をやめてしまう人が少なくないからか、会員同士をくっつけて、やめないようにしようとする思惑があるのではないでしょうか。会員でない人と結婚した会員が、「なぜあの人は、会員でない世間の人と結婚してしまったのか」と言われている人もありました。

肉体疲労

破壊的カルトでは、メンバーに激しい活動を強いていることが多い。特に睡眠時間が少なく、食事も貧しかったり、回数が制限されているために、破壊的カルトでの生活は、相当疲れる。

ある破壊的カルトの例では、メンバーは日々に課題目標をたてて、その目標を決死の覚悟で達成すべく行動し、時間内で達しない場合は、時間を延長してでもおこなう。その課題は基本的に、新メンバーの獲得や資金調達に関わる肉体労働であることが多い。そして、それ以外の時間は、自分自身の修行であったり、教義の勉強にあてられている。目標は、新メンバー獲得ならば勧誘する人数であり、資金調達のための募金や販売ならば、収集した金額である。

ある破壊的カルトの元メンバーに、当時の睡眠時間を調査した。これによると、4時間から5時間睡眠という人が多い。こういった、短時間の睡眠時間が継続しながらの激しい活動は、かなり厳しいものと思われる。

(『マインドコントロールとは何か』P194,195)

講師部員や、学友部の幹部となると、親鸞会の活動が大変忙しい為、真面目に活動する人ほど、睡眠時間も少なくなるのでは、と思います。よく、学友部の幹部の間で、「電車の中で座ると眠ってしまい、降りる駅を寝過ごしてしまうので、電車の中ではなかなか座れないなぁ(笑)」と、話していたものです。また、ある講師の人に、「なぜ、講師の皆さんはタバコを吸わないのですか?」と尋ねたことがありますが、「タバコを吸うヒマがあったら、寝たい」と答えたのが印象的でした。

とにかく、講師部員や、幹部の多くは、クタクタに疲れるほど、朝から晩まで活動しています。それらの人たちの中には、多くの会員の前にいるときと、一人でいるときの様子が全然違う人もいます。ある学友部員の幹部は、みんなの前では大変元気なのに、大学で一人歩いている姿をみると、下を向き、肩をすぼめて、大変暗かったのを覚えています。また、ある講師の人は、学生の前では大変明るく元気なのに、一人駅の構内を歩いている姿を時々みかけた時は、同一人物とは思えないほど、表情が暗く、疲れきって、とぼとぼ歩いていました。相当、無理をしていたのでしょう。

親鸞会の活動には常に目標が掲げられ、その目標に向かって、みんな必死で活動しています。掲げられる目標は、決して楽に達成できるものではありませんので、目標達成に向けて活動する上で、精神的にも、肉体的にも大変、疲れることとなります。

また、講師部の人たちには「活動指令書」というものがあります。毎月、勧誘の人数、高森会長の法話への参詣人数、御報謝(財施)の金額などの目標がそれぞれ設定されており、各講師部員は自分の目標を達成する為に必死です。その「活動指令書」について、ある本部長の方(講師部の中でも、その本部の責任者にあたる人)が、「会長先生が、講師部員の活動があまりにも不甲斐ないから、設けて下されたものだ」と言われていました。ですから、いつも、講師の人たちは、クタクタになるまで活動し、そのような講師の指導を受け、幹部の学生も必死で活動しているという訳です。

昔と比べれば、今の学友部の活動はそれほど、激しくないのかもしれませんが、約10年ほど前、例年の3倍の目標が掲げられ、全国の大学で勧誘活動が激しく行なわれた年もありました。幹部の学生は、睡眠時間をけずり、使命感に燃え、朝から晩まで必死で活動していましたが、ある大学の幹部の学生が、疲労からか、心臓発作を起こし、部室で亡くなるという事件もありました。その学生の友人から聞いた話ですが、「A君は、毎日3、4時間ほどしか、寝ていなかったらしい・・・彼はいつも『僕は3時間睡眠が丁度いいんだ』と言っていた」そうです。もちろん、本人は正義感と使命感に燃えて、活動していたのでしょうが、悲しい結果に終わってしまった痛ましい事件でした。

(余談ですが、この事件のあと、彼が死の前に謹書したという高森会長の「お言葉」が学生に配られ、彼の死を無駄にするなと、さらなる活動の推進が叫ばれました。当時の学生本部長にそんな気は無かったと思いますが、彼の死が利用されたと感じた学生は少なくなかったと思います)

そこまでいかなくても、過去、激しい活動や御報謝により、肉体的にも精神的にも、大変な疲労の為についてゆけず、やめてしまった幹部の学生も少なくないように思います。特に大学の部長など、責任ある立場になると、講師の人からは目標を達成せよと言われ、後輩たちは疲労の為か、活動の意欲を失い、動かなくなり、上からと下からの板ばさみになり、精神的な負担はより一層、重くのしかかるようです。そんな時に、「無理をしなくていい」「休んだほうがいい」と、適切に、優しく声をかけてくれる人がいればいいのですが。

また、学友部だけの活動ではないですが、親鸞会は「光法戦」というアニメの頒布活動を会をあげて行なっています。ここ数年は、それほど盛んに行なわれていないように思いますが、ほんの数年前までは、会をあげて活発に行なわれていました。全国の支部で、毎月何十本、何百本という目標が掲げられ、達成にむけて、激しい活動が行なわれていました。

このアニメは1本1万5千円、7本で10万円するものですので、少々戸別訪問を行なっても、そんな簡単に欲しいという人はいません。かつて私も、親鸞会で行なわれた光法戦に2週間ほど、参加したことがあり、来る日も来る日も歩き続けましたが、なかなか、販売することなどできませんでした。この光法戦は、肉体的にも楽な活動ではありませんでしたが、ここで私が言いたい問題は、むしろ、目標達成を押し付けられることにより、精神的な負担が生じることです。

過去、親鸞会の光法戦でかかげられてきた目標は、大変大きなものでした。その目標があまりにも大きく、とても達成できないようなことも少なくなかったのですが、どの支部でも担当講師からは、「何が何でも目標を達成するのだ。そうでなければ、目標を与えて下さった高森先生に申し訳ない」といったことが、幹部に向けて言われていました。

そして、なかなかアニメの販売本数が伸びない、しかし、だからといって、講師部員に「目標達成できません」とも言えない幹部の会員は、仕方がなく、自分でそのアニメを買い、自宅の押入れなどに抱え込むことになりました。ある会員さんの自宅の押入れをあけると、沢山のアニメが出てきたそうです。このあまりに悲惨な活動現場の状況は、改善されないでいたようですが、ついに、高森会長の耳に入り、会員が抱え込んでいたアニメを、会が買い取ったということがあったそうです。

親鸞会の活動では、目標をかかげて、それに向かって必死に活動することがよくなされています。もちろん、「何の目標ももたず、ただやみくもに活動するよりは、明確な目標をもって、活動するほうがいいに決まっている」というのが、親鸞会幹部の持論なのでしょうが、その目標達成が本来の意味からはずれ、とにかく数字をあわせることが大事なのだ、となってしまうと、様々な問題が起きるのだと、これまで親鸞会で行なわれてきた光法戦や、学友部の勧誘活動を通して、感じました。

親鸞会の会員数は、ここ数年減少傾向にあるようですが、今年は「2000畳の正本堂を会員で埋め尽くそう」と、大変な数の入会目標が掲げられているそうです。これまでと同じような悲劇が起こらないようにと、祈るばかりです。

切迫感

破壊的カルトのいくつかは、どんなに厳しい活動であっても、今こそ集団での活動に邁進していかなくてはならない状況にあることを強調されている。

破壊的カルトのメンバーは、このような切迫感によって、常に活発に活動することを余儀なくされるのである。切迫感は、メンバーにとって緊急事態ともいえる。緊急時における、人間の意思決定では、外界の情報を幅広く取り入れる能力が低下することが分かっている。

(『マインドコントロールとは何か』P196)

親鸞会では、真面目な人であればあるほど、必死で勧誘などの活動に励んでいます。それは、「後生の一大事(死後、地獄に堕ちる)の解決」の為であり、後生(死)はいつやってくるか分かりませんので、常に自分に切迫した問題となります。その為、指導する立場にある講師部員や、幹部も、「今宵の後生に間に合わなかったら、どうするのか?本当に今の程度の活動で、後悔はないか」と、聴聞や活動を必死ですすめます。「希少性」のところでも書いたとおり、親鸞会の教え自体に「今しか聞けない」「今しか求められない」という切迫感がある訳ですから、会員も真面目な人であればあるほど、切迫感をもって活動しています。

なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについて

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 1.親鸞会学友部の活動について
 2.最初の接触
 3.続けて聞くようになるまで
 4.マインドコントロールに気づきにくい理由
 5.勧誘活動における問題点
 6.問題の提示と解決への道
 7.親鸞会の教義を受け入れるまで
 8.自己否定と無条件服従
 9.なぜ批判を受け入れられないのか
 10.情報の管理
 11.感情の管理
 12.行動の管理
 13.最後に

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