なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロール

情報の管理

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外部からの情報の遮断

破壊的カルトのマインドコントロールでは、操作者はメンバーに届けられる外部からの情報を遮断する。メンバーは自分のビリーフを誤りと証明する情報の獲得機会が減少し、逆に正しいことを証明する情報の獲得機会が増大する。それに加えて、その情報は常に集団メンバーによる多数の合意性や上司、ないし教祖の権威性によって強化され、ビリーフはより強固なものとなろう。

(『マインドコントロールとは何か』P178)

親鸞会学友部のマニュアルにもあるように、会が組織的に行っている「引き離し対策」や「親対策」「兼部カット」といった行為によって、新入生には、親鸞会に批判的な情報はあまり入ってこなくなります。そして、毎日行なわれる昼部会や夕部会に参加するため、同じ学科の友人と接する機会も少なくなり、日頃会って話しをするのは、大半が親鸞会会員である、講師部員やサークルの先輩たちだけとなります。そうなることで、親鸞会に否定的な情報は自然と入ってこなくなり、逆に、親鸞会に肯定的は情報ばかりが入ってくるようになります。

そして、ゴールデンウィークに行なわれる新勧合宿に参加すると、5、6日の間か、長ければ1週間以上、ほとんど、家族や親鸞会以外の友人と接することもなく、テレビや新聞を見る機会もほとんどないまま、外界の情報が遮断された状態の中で、朝から晩まで、親鸞会の講師や先輩たちと、寝食をともにし、毎日講義を聞き続けることになります。

もちろん、合宿の中には楽しいレクリエーションや、スポーツ大会もありますから、肉体的、精神的に疲れ果ててしまうようなことは少ないのでしょうが、周りは全員、親鸞会に肯定的な人ばかりであり、「親鸞会の教義こそ大宇宙の真理だ」と思っている人ばかりですから、先にのべた「多数者の影響」をはじめ、様々な影響を受けて、「親鸞会こそ真実伝える唯一の団体」との信念が、新入生の心の中に、次第に芽生えてくるでしょう。新勧合宿に参加することによる、親鸞会を受け入れる心理状態になる影響は、相当なものがあると思います。

講師の人たちも、新勧合宿をすすめきれなかった新入生に対しては、「彼はかけがえのないご縁を失ってしまった」「地元で同じご縁を求めることは、ほとんど不可能に近い」とも言っていました。

閉鎖集団

彼らの生活は忙しく、通常の情報収集活動をする暇など、与えられない。自らの集団内部で広報している新聞や雑誌以外は読まないように指導している場合もある。

(『マインドコントロールとは何か』P179)

親鸞会の活動にのめり込むようになると、確かに忙しくなります。先輩になると、週に数回行なわれる朝会合、毎日の昼部会、夕部会、そしてその他様々な会合が、夜遅くまであります。また、何よりも後輩の面倒をみたり、新しい人を勧誘する活動が増え、それらの活動による肉体的、精神的負担は相当なものです。私も幹部であった頃は、多くの後輩を担当していましたので、一人でいる時も、「彼(彼女)の仏縁を守るためには、自分は何をすればいいか」と四六時中考えていました。

ですから、会の活動以外の、大学の勉強やアルバイトなどとの両立は、大変厳しく、肉体的、精神的にかなり疲れきっていたようにも思います。本当な昔から、沢山本を読んで勉強し、何にでも好奇心を示すほうでしたが、疲れてくると、そのようなことをする気持ちが起きず、ただただ、親鸞会の活動に没頭してゆきました。

たしかに、本や新聞、テレビを見る時間が、ないかといえば、嘘になりますが、そんなことに時間を使うくらいなら、大学の勉強もしたいし、会の活動でしなければならないことが沢山ありましたので、なかなか世間一般の情報を収集することは、時間的にも困難ですし、またそのようなことをする気があまり起きないほど、疲れていることが少なくなかったように思います。

また、読書については、親鸞会では、世間一般の僧侶や仏教の学者が書いたものは、あまり読まないほうがいい、と指導されていました。もし、部室でそのような本を読んでいると、必ず先輩が一言釘をさしていました。私の知っている人で、「大沼法竜」の書いた本や、「七祖聖教」を読んでいた人が、講師部員に厳しく指摘されることもありました。それらの本を取り上げられた人もいたようです。

自由の拘束

いくつかの破壊的カルトのメンバーは、自分の家を離れて共同生活する。その際、メンバーのそれまでの職業や学業を捨てさせられ、フルタイムでの活動を余儀なくさせられる。彼らは、許可なく親や知人などに会いにいくことも許されない場合が多い。

そして、共同生活では、彼らは一人になれる空間はほとんどないという。また、彼らの生活では、スケジュールがつまっていて、起床から就寝まで、時間的自由が少ない。ある破壊的カルトの元メンバーの自由時間を調査したところ、一日のうち一時間以内と答えたものがほとんどであった。

また、自分の家に住むメンバーにしても、仕事や学校を終えたあと、勧誘や資金調達などの活動をしなくてはならず、時間や体力には余裕がない。

(『マインドコントロールとは何か』P179)

一般の学生や社会人の会員が、家を離れて共同生活するようなことは、ほとんどないように思いますし、あったとしても、親鸞会が組織的にすすめているという訳ではありません。学生の中には、親鸞会の部室に居住する人もいましたが、親鸞会としても、部室の管理責任などの問題もあり、誰でも住んでいい、という訳ではありませんでした。

ただ、講師部の人たちは、みな全国に担当が決められているので、家を離れて共同生活をして、活動しているようです。もちろん、講師となれば、それが職業なので、そうならざるを得ないのですが、実家近くの事務所に居住していた講師が、上司に無断で家族に会いに行ったり、家に帰ったりして、厳しく注意されている人もありました。このようなことを知ると、「許可なく親や知人などに会いに行くことも許されない」と言われても仕方がないように思います。

これを読まれた人の中には、「一般の会社でも、労働時間中に、仕事をやめて実家に行ったり、家族に会うのは、よくないことだろう」と言われる人もあるかもしれません。ですから、休日に実家に帰るのは、別にいいように思いますが、親鸞会の講師部員に関しては、土曜も日曜も祝日も、休日などありません。1年の中で、年末年始の数日を除いて、ほぼ365日、毎日任務に従事しています。ストレスがたまり、肉体的、また精神的に、余裕がなくなるのも当然といえるでしょう。

ゆがんだ情報処理

先入観や期待が、個人の記憶や判断などの思考過程をかなり支配する。私たちが社会に起こっている現象を理解しようとするときには、その目で見ているもの以上のことがたくさんある。つまり、私たちの視覚というのは、あるものがそのまま丸ごと見えるというのではなく、見たいもの、あるいは、見得るのではないか、と期待しているものが見えるのである。

人はひとたびは破壊的カルトのメンバーになると、その立場を守る方向で、情報を自動的に処理してしまいがちなのである。このような情報処理の性質が、彼らの親などの外部のものとの対話をすれちがいにさせる、主要な原因の一つとなっているといえよう。

また人は、一度ある情報を正しいと思い込んでしまうと、それが後になって誤りであることが分かっても、非合理ではあるのだが、その誤りであると分かった考えに影響されて行動してしまうことがある。

破壊的カルトのメンバーは自分のビリーフの誤りに気づいても、なかなか合理的に思考できない。もしも、誰かが誤りに気づかせても、彼らは「わかっている」と言いながらも、知らず知らずのうちに、そのビリーフにしたがって行動することもある。今までビリーフを支えていた根拠がなくなっても、人はひとたびビリーフを形成してしまうと、それに固執する傾向にあるということだ。

(『マインドコントロールとは何か』P182-185)

私は親鸞会の活動に、時間やお金、労力を費やせば費やすほど、「自分が今までしてきたことが、間違いであるはずがない、間違いであってほしくない」「自分が親鸞会に入会し、多くのお金や労力を費やしてきた選択は、間違っていなかったのだ」といった心理が働きました。そのような期待や先入観が常にあった為、身の回りにどんなことが起きても、常に「親鸞会が正しい」という合理的な解釈をしてきたように思います。

そうなると、少々どんな事態に直面しても、誰から何を言われても、「親鸞会は間違っている」という考えにはならないように思います。親鸞会の学友部員の中には、反対する両親と衝突する人が少なくないように思います。私も両親にはかなり反対されながら、活動を続けていましたが、結局、どんなことを言われても、自分の信念が弱まることはなく、逆に反対されればされるほど、言い返し、自分の信念は固まったものでした。

結局、自分を含めた親鸞会会員にしか通用しない理屈で、一歩もゆずることなく、主張し続けていましたので、親の立場からすれば、いつもすれ違いで終わっていたのだと思います。今振り返ると、両親には、本当に申し訳ないことをしてきてしまったと、反省しています。

親鸞会会員の皆さん、特に若い学生の皆さんには、家族の方々が反対されるのは、皆さんの為を思ってであり、なぜ、そこまでして反対をされるのか、その理由や気持ちを、難しいことではあるかもしれませんが、客観的に、そして冷静に、考えて頂きたいと願っています。

私も学生時代、そのようなことは分かっているつもりでありましたし、親の反対を受け、衝突していた後輩にも、「親御さんの立場にたって、親の気持ちを理解する努力をしなければならない」と指導していましたが、結局、親との衝突が絶えなかったのは、自分が分かっていなかったからであり、自分にも多くの非があったと思います。

もし、皆さんがクリスチャンや創価学会の人と論争をしても、考えを曲げようとしない相手が多いと思います。皆さんとしては、「明らかに私が正しく、相手が間違っているのに、なぜ相手は気付かないのだろう」と思うでしょう。皆さんとしては、「なぜキリスト教や、創価学会のようなおかしな教えを信じられるのか」と、疑問に思われることと想像します。

しかし、立場を変えて、皆さんの家族の方からみれば、皆さんもそのように思われているということです。親鸞会会員である皆さんからすれば、「極めて論理的で、合理的な考えによって、親鸞会を選択したのであり、親鸞聖人の教えに比類する宗教や思想など、あるはずがない」と思っておられるでしょう。

しかし、人間は一度、ある信念がかたまり、そのことにかける時間やお金、労力が大きければ大きいほど、過ちに気付いても、なかなか、元に戻れないものです。親鸞会以外の宗教団体の方々がそうであるように、親鸞会会員の皆さんもそうなのかも知れません。自分が「親鸞会こそ唯一真実伝える団体」だと判断した根拠は、自分では今はなかなか気付かないだけで、案外、ほんの些細なものかもしれません。しかし、その親鸞会の活動のために費やしてきた労力や、払ってきた犠牲は決して小さなものではないでしょう。ですから、そのような人ほど、なかなか、後戻りできないものです。

「親鸞会が正しい」という信念は、あくまで自分がそのように「信じている」に過ぎないものであり、誰にでも客観的・論理的に説明できる、明確な根拠や論理があってのことではありませんでした。しかし、自分の中に築かれた「親鸞会は正しい」という信念に固執している為、会員である本人には、その事実をなかなか客観的にみれないのだと、私は思います。

なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについて

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 1.親鸞会学友部の活動について
 2.最初の接触
 3.続けて聞くようになるまで
 4.マインドコントロールに気づきにくい理由
 5.勧誘活動における問題点
 6.問題の提示と解決への道
 7.親鸞会の教義を受け入れるまで
 8.自己否定と無条件服従
 9.なぜ批判を受け入れられないのか
 10.情報の管理
 11.感情の管理
 12.行動の管理
 13.最後に

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