なぜ私は親鸞会をやめたのか

6.おわりに

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親鸞会は6、7年前をピークに次第に会員が減少しているように思われます。平成18年の今年は、「一万人が正本堂に参詣されることを目指そう」と、全国で大々的に勧誘を行っています。

親鸞会では今までも何度か、会をあげての大規模な顕正戦(勧誘活動)を行なってきました。その度に一時的には多くの人が入会していたと思います。ただ、それも一時的な成果にすぎず、その後、多くの人がやめています。講師部員がある県に集まり、いっせいに勧誘を行い、短期間に多くの人が入会したこともありましたが、結局、その人たちを育成しきれずに、ほとんどの人がやめてしまいました。

私には、目先の成果にとらわれるあまり、後のことも考えずに行動しているように見えてなりません。同じようなことは、学友部にも言えると思います。目標を掲げることが悪いとは言いませんが、大きな目標をかかげ、達成に躍起になるあまり、数あわせに走り、強引な勧誘や説得を行ない、多くの人に嫌な思いをさせることとなります。

そして、無理をした勧誘の結果、育成するときにも無理がかかり、幹部の会員たちも肉体的、精神的に非常に活動が厳しくなってゆきます。そして、無理がかかり、幹部の学生もつかれきって、次第に自分がやっていることに疑問を持つようになります。そして、「今まで自分は何をやってきたのか…」と思うようになり、幹部の人たちがやめ、そして、その下にいた、学生も次々とやめてゆくことになります。結果的には、最初は多くの人が入会したはいいが、結局、しっかり育成が行えず、数多くの人がやめてゆく、といった現象が起きるのだと思っています。

親鸞会で大々的に行なわれている今年の作戦も、そのような結果におわり、またしても多くの人が親鸞会の活動により、辛く苦しい思いをするのでは、と心配でなりません。そのような苦しむ人たちを大量生産する活動が、いまだに続けられているのであれば、親鸞会はやがて崩壊すると思います。

自分たちの正当性だけを主張して、会員を増やすことばかりに目を向けるのではなく、自分たちの活動によって、嫌な思いをしている人たちの声に耳を傾けて、そして本当の意味で、多くの人に喜ばれる集まりになってもらいたいものです。自分が長年、所属していた団体であるだけに、私は親鸞会に対して、そのような思いを強くもっています。どうか、今までのような悲劇を繰り返さないでもらいたい、それだけを願うばかりです。

親鸞会は本当に変わるのか   <<前  次>>

 1.親鸞会をやめてゆく若者たち
 2.親鸞会とマインドコントロール
 3.大学サークルにおける巧みなカモフラージュ
 4.「堂々と公言している」とは本当か?
 5.本当にオープンなサークルか?
 6.おわりに

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