なぜ私は親鸞会をやめたのか

4.「堂々と公言している」とは本当か?

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親鸞会による全面的な協力

さらに、「宗教法人浄土真宗親鸞会」と「各大学のサークル」の関係が極めて密接なものであることを裏付ける事実があります。親鸞会学友部は、ここ数年、幹部の育成に失敗し、勧誘での成果もかつてのようにうまくいっていないようです。昔から親鸞会の中では、「親鸞会の輩出母体は学友部である」と言われています。親鸞会の柱である講師部、特専部(医師や弁護士、一級建築士などの集まり)、そして若い支部会員は、そのほとんどが学生時代に勧誘を受け、活動を続けている学友部出身者です。ですから、学友部の衰退は、将来の親鸞会の衰退へとつながってゆくのです。

そこで、現在の学友部の衰退を何とか食い止めようと、親鸞会では、会をあげて、様々なてこ入れを行なっています。その中に、「学顕(がっけん)クラブ」の設立があります。学顕クラブとは、親鸞会学友部で活動する人材を確保するために、親鸞会が給与を与えて、専属で学友部の活動をさせているものです。昨年17年末頃に、社会人や大学を卒業する学生に対して、「学友部で活動に専念してみないか」と呼びかけ、今年の始めに設立されました。就職していた会社をやめて、親鸞会に養ってもらいながら、学友部の勧誘活動に朝から晩まで専念している元社会人の人などいます。

また、今年から学友部の組織が東西二つに分かれ、学顕クラブだけでなく、講師部員やビデオ講師といった人材が、学友部の活動に数多くあてられ、大学でサークルの勧誘が盛んに行われる4月5月といった時期には、親鸞会の職員である親友部員も多数、学友部の活動に参加しているようです。それらの人の中には、大学の部長と名乗り活動している人もあるようです。そうなると、その部長は大学の学生ではなく、親鸞会の職員なのです。このような事実も新入生にしっかりと述べてもらいたいと思いますが、そのようになされているのでしょうか?

また、東京大学、京都大学、名古屋大学と言った、各地方の拠点となる大学の勧誘には、他の地域からも、多数、応援が駆けつけて、大規模な勧誘が行なわれているようです。ある大学では、遠いところからも講師部員や学生が多数かけつけ、教室に入りきらないくらいの150名から200名といった人たちが集まっていたそうです。そして大学生に混じって、多くの親鸞会の職員が、新入生を勧誘していたようです。

これらの事実からも分かるように、全国の大学のサークル活動を、親鸞会が全面的に協力しているのです。宗教法人である親鸞会の会計から、大学のサークルで活動する人への人件費や部室の家賃が支払われ、親鸞会の上司の指示に従って、組織的に全国の大学で勧誘活動が行なわれているのです。これでもまだ、「直接関係ない」などと言えるのでしょうか?ここまでくればもう、「詭弁」というか、「嘘」と言わざるを得ないように思います。

何度も誤解のないように言っておきますが、私は親鸞会を貶めようと思って、サイトを公開している訳ではなく、また、親鸞会に対する悪意だけで、このような意見を述べているのではありません。親鸞会に、自分たちに向けられた批判に目をむけて、問題ある部分を何とか改善してもらいたいと思い、意見を述べさせて頂いています。ですから、親鸞会の全てが悪いと言っている訳ではありませんし、事実無根な、感情的な非難中傷はしないように、できるだけ、データーなども集めて、その問題点を批判しているのです。それが批判する者として、批判する相手への誠意ある態度だと私は思っています。

私が言いたいのは、「親鸞会が全面的にバックアップして、親鸞会の職員も数多くかかわっており、その構成メンバーのほとんど全員が親鸞会会員であるのなら、『宗教法人浄土真宗親鸞会』という組織名や、職員である自分たちの立場を正々堂々と明らかにして、活動してもらいたい」ということです。

私は「親鸞会の全ての活動をやめてもらいたい」と言いたいのではありません。隠すようなことや、隠していると思われても仕方のないようなことばかりを続けていれば、不信に思う人も当然いますし、隠さなければならないことをやっている団体なのか、と思う人もあるでしょう。ですから、毅然とした態度で、正々堂々と自分たちの組織や立場を名乗って、活動してもらいたいのです。なぜ、自分たちが多くの批判を受け続けているのか、少しは相手の立場にたって、よくよく考えてもらいたいものです。

しかし、親鸞会の人たちには、まったく届かないようで、上記にも引用したように、「『宗教団体ということをカモフラージュしている』結局、ここが最も問題なのだといいたいようですが、これでは、大山鳴動して、ネズミ一匹にもなりません。せっかく、マインドコントロールという問題を取り上げながら、実に薄っぺらい内容です。」と述べられています。

「実に薄っぺらい、とるにたらない主張だ」とでも言いたいのでしょう。以前、「なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについて」でも述べたことですが、今一度、親鸞会の幹部の人たちをはじめ、親鸞会会員の皆さんには、以下のことを言いたいと思います。

親鸞会学友部の講師部員や先輩たちには、自分たちに向けられている多くの批判について、最初から「とるにたらない非難中傷」と目を背け、自分たちの利益追求にだけ突き進むことなく、親鸞会の活動により苦しい思いをしている人たちの声に耳を傾けてもらいたいと思います。そして、それらの批判を受け入れる度量がまだあるのなら、是非、全国の大学における勧誘活動において、「浄土真宗親鸞会」としっかり名乗って、「仏教や浄土真宗の教えを学ぶサークルだ」と公言してもらいたいと願っています。

このような意見が内部で全くおこらない、また、内部でおこっても、上からの力によってもみ消されてしまうようなら、組織として自浄能力を失った団体であるとみなされても、仕方がないと思います。

(「なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについてより」)

上記の引用の中に、「このような意見が内部で全くおこらない」と書いていますが、親鸞会学友部の中でも、「このままではダメだ」「しっかり、自分たちの立場を明らかにしよう」という意見が少しづつではありますが、出てきています。一部の学生や講師部員の中から、「正々堂々と『仏教のサークルだ』『浄土真宗のサークルだ』と言いましょう」という意見が出てきており、現役の学友部員からも、以下のような意見をメールで頂いています。

2.宗教法人浄土真宗親鸞会であることを最初に告げないということについて

これは私も問題だと思っています。

社会的モラルとしても、哲学サークルではなく、仏教(または親鸞聖人)から人生の目的を学ぶサークルだと言うべきだと思いますし、個人的には何のサークルかと聞かれたらそのように最近は答えています。

勧誘において少なくとも仏教を聞いているという自分たちの立場を明確にしないことを改善したいと思っています。どんな言い訳をしても仏教・親鸞聖人の教えと聞けば宗教というくくりになると思います。

宗教という言葉に悪いイメージがあるのならば、人生の目的があることを明らかにされた真実の宗教があることを伝えていかねばならないのが、親鸞学徒の使命だと思っています。

(なぜ私が親鸞会をやめたのか|反響集 「現役学友部幹部からのメール」)

 

ところが親鸞会内部では、このような建設的な意見が出ているにも関わらず、親鸞会学友部の勧誘は、どれほど改善されているのでしょうか?今年もすでに、全国の大学で新入生に対する勧誘活動が行われているようですが、実際に活動に参加している学生からの報告を聞いてみても、各大学の勧誘方法の現状は、いまだに「仏教のサークル」「浄土真宗のサークル」「浄土真宗親鸞会」といったことを、誰にでも分かるように、正々堂々と公言していません。

このように言うと、現役学友部員の中からは「私たちはしっかり『仏教のサークルだ』と言っている。事実と異なることを言わないでもらいたい」と反論されるかもしれません。しかし、果たして本当に「声をかけた一番最初のサークルの紹介」で「誰にでも分かるような表現」で、「聞かれてからではなく、自分たちから」しっかり、そのように公言しているでしょうか?

「仏教のサークル」「浄土真宗のサークル」「浄土真宗親鸞会」といった自分たちの立場を隠すつもりがないのなら、「一番最初から」「誤解なく誰にでも分かる表現で」「自分たちのほうから」、しっかり名言してもらいたいと思います。「隠しているつもりはない」「しっかり言っている」という既成事実をつくるために、一言二言述べる程度では、「正々堂々と公言している」とは決して言えないように、私は思います。

一部、批判を受け続けてきた勧誘方法を、「改善すべき」といった意見が出ているにも関わらず、今回、親鸞会が作ったサイトの中に述べられているような、自分たちの都合を優先する考えを親鸞会がもっているために、親鸞会学友部全体の組織としては、全く改善されていないと言ってもいいでしょう。前回述べた「自分たちの利益追求だけに突き進むことなく」という助言は、残念ながら親鸞会には、全くと言っていいほど届いていないようで、またしても、親鸞会の自浄能力のない実態が、今回公開された親鸞会のサイトで明らかになったのではと思います。

上層部の責任ある立場の人たちは、一部の学生や講師部員の真摯な意見をもみ消すつもりなのでしょうか?結局、このような組織として改善の方向へ向かわない、腐敗した実態を、親鸞会の組織の中に見る気がいたします。

「堂々と公言している」とは、本当か?

親鸞会のサイトでは、学友部の勧誘方法について、以下のように述べられています。

しかも、初期の話の中で、
「人生の目的は、親鸞聖人の教えに説かれています」
「生きる意味。 その答えは、『教行信証』にあります」
と、堂々と公言されています。

(マインドコントロールとは何か?
「親鸞会で教えるマインドコントロールとは無関係な真実」について)

ここでは、「初期の話の中」で「親鸞聖人の教え」「教行信証」ということを堂々と公言している、と主張しています。しかし、本当に何も知らない新入生が聞いて、「ここは仏教について学ぶサークル」「浄土真宗の教えを学ぶサークル」だと分かるように、堂々と公言しているのでしょうか。「初期の話の中で言っている」とありますが、私はそのような曖昧なものではなく、「声をかける段階」で、「最初に話すバインダーの中」で、しっかり誰にでも分かるように、「仏教のサークル」「浄土真宗について学ぶサークル」「浄土真宗親鸞会」ということを述べてもらいたいと思います。

たしかに、バインダーの中に「仏教」とか「親鸞聖人」とか、「教行信証」という言葉が1つ2つ書かれてあるのかも知れませんが、何も知らない新入生が見て、とても「このサークルは、仏教を学ぶサークルか」「ここは浄土真宗の教えを勉強する集まりなのか」と分かるものではないようです。

最近、親鸞会のサークルに勧誘された学生から、以下のようなメールも届いています。

なぜ私が親鸞会をやめたのか|反響集 
「何も知らない学生を騙して、人数を水増しするようなせこい真似は止めて頂きたい」

親鸞会のサークルから勧誘をうけても、最初から「ここは仏教について学ぶサークル」「浄土真宗を学ぶ集まり」だと分かる人はほとんどありません。「一文化系サークル」といった理解をする人がほとんどです。現役の会員に聞いても、最初はそのように思った人が多いと思います。

おそらく、「親鸞会のサークルは、最初から宗教・仏教・浄土真宗のサークルだと名乗らない」という批判を受け続けてきた結果、親鸞会学友部としても、何も言わない訳にはいかないので、バインダーの中にそれらの言葉を少しずつだすようになってきたり、初期の話の中で、仏教だと名乗るようになってきたのだと思います。しかし、マインドコントロールの手法というのは、以前、公開したコンテンツでも述べたように、「小さな承諾の積み重ねで大きな承諾をさせる」ものですから、「仏教」「浄土真宗」「親鸞聖人」と名乗るのなら、「初期の話の中」という曖昧なものではなく、「声をかける一番最初」に名乗ってもらいたいものです。

では、すでに始まっている全国の大学の、親鸞会学友部のサークルによる勧誘活動の中で、今年こそ、しっかりと「仏教」「浄土真宗」「親鸞聖人」などと、名乗られているでしょうか?

実際に勧誘活動に参加している学生の話によると、全国の大学の親鸞会のサークルの勧誘バインダーを見ると、まず、「大学とは非常に自由なところ」などといった、大学についての一般的な紹介がなされており、その後で、「生きる目的、人生の目的、なぜ生きるかが大事」といったことが書かれています。そして、「その生きる目的は、鎌倉時代の古典『教行信証』に書かれている」と紹介があり、教行信証冒頭の「難思の弘誓は難度海を度する大船」の言葉が書かれている程度です。おおまかに言えば、このような内容です。

勧誘バインダーのどこにも、第三者がひと目見て分かる形で、自分たちのサークルが「仏教のサークル」「浄土真宗のサークル」「親鸞聖人から学ぶサークル」とは書かれていません。書かれていても、「親鸞聖人」とか「仏教」といった言葉が、ほんの少し書かれている程度であり、「教行信証」などと書かれていてもほとんどの新入生には分からないでしょう。勧誘時に使用している新入生に見せるビラをみても、宗教を学ぶサークル、仏教・浄土真宗の教えを勉強するサークルとはとても分からないようなものが少なくありません。ある大学で実際に使われていた、以下に示したビラにいたっては、「仏教」「浄土真宗」「親鸞会」とは、一切書かれていません。まさに、「大学の一文化系サークル」としか思えない内容です。

ある大学での勧誘に使われたビラ

このような勧誘を受けた新入生のほとんどは、「ここは仏教について学ぶサークルなんだな」とか、「このサークルは浄土真宗の教えを学ぶ集まりなのか」と理解するでしょうか?先に紹介した大学院生のような理解をする人がほとんどでしょう。「堂々と公言している」という割には、相手にほとんど伝わっていないように思います。というか、少しだけ言葉を述べて、「公言している」という既成事実を作り、できるだけ、相手が「まあ、ここも大学の一文化系サークルなんだな」といった程度の理解や、誤解をしてくれるようにしているとしか思えません。

なぜ、名乗らないのか。それは「名乗れない理由がある」から

なぜ親鸞会は、今まで長年にわたってこのような勧誘方法を批判されながら、いまだにこのような方法をとり続けるのでしょうか?その理由を、現役学友部員の方々が教えてくれました。何人かの現役学友部の人たちからメールを頂いていますが、それらの方々によると、親鸞会学友部が、長年批判を受けているやり方を変えようとしないのは、「仏教のサークル、浄土真宗のサークルだと言いたいが、最初からそう言ってしまうと、話を聞かない人が多いので、なかなか難しい」とのことです。「担当講師もそのように言って、悩んでいる」そうです。現役の人たちの意見は、ほぼ一致しています。

以前、親鸞会学友部では、「親鸞聖人という一人物の名前を言うと強烈なイメージを与えるので、人物名ではなく、『教行信証』という書物の名前を出してゆけばいい。これなら嘘ではないし、最初から仏教だと言っていることになる」という意見があり、ある年から「教行信証」という言葉が、勧誘バインダーに書かれ始めました。

しかし、「教行信証」と聞かされても、ほとんどの新入生は、その名前も聞いたことがなく、ましてやその内容にいたっては、まったく知らない人がほとんどでしょう。その書物の名前だけを出しても、「仏教のサークル」と名乗ったことにも「浄土真宗について学ぶサークル」と名乗ったことにもならないでしょう。

また、親鸞会学友部のサークルが、勧誘において、自分たちが「宗教」を信仰している集まりであることを告げない、また「宗教ではない」とさえ言うのは、以下のような理由だと、サイトでも述べています。

しかも、本当の親鸞聖人の教えは、他の宗教とはまるっきり違いますから、「あなたの思っているような宗教ではありませんよ」ということは、相手にズバリ言うこともあるでしょう。これは、まさにそのとおりで、教義上も体験上も、真実の仏教と他の宗教とは、まったく違うものだから当然です。(これは後述します)

(マインドコントロールとは何か?
「親鸞会で教えるマインドコントロールとは無関係な真実」について)

彼らの言う「自分たちの学んでいる宗教は、他の一切の宗教と教えを異にするものだから、『(あなたの思っているような)宗教ではない』と言うのは、非常に筋の通った話だ」との主張は、私も親鸞会の元幹部だけに気持ちは分かるのですが、果たして筋の通った話しでしょうか?

これは、彼らが「宗教」という言葉の定義を一つに決め、「あなたもそのような定義で宗教なるものを理解しているのだから、そのようなあなたの思う宗教とは、私たちは違うのですよ、と言っているのだ」という主張です。

「宗教」という言葉を調べてみると、以下のように辞書には掲載されています。

「経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し、究極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の複合体系」(三省堂『辞林21』)

「神仏を崇拝・信仰し、儀式を行う制度、またその教義」(三省堂『新小辞林』)

「超自然的・超人間的なもの、又は日常世俗のものから分離され、禁忌された神聖なもの。さらに、その極たる至上無限の超越的絶対者への信仰・帰依を軸とする儀式・教団・組織・施設・教義・法規・神話などの諸関連全体。」(新潮社『新潮国語辞典』)

「神仏などの超自然的・超人間的なものを信仰・畏怖・崇拝することによって、心のやすらぎを得ようとすること。また、その信仰の体系的なまとまり。」(学習研究社『現代新国語辞典』)

親鸞会では、「創造主をかつぎあげるようなものや、現世利益を求めるような宗教と、親鸞会が説いている内容は、まったく違う。だから、そのようなものを宗教と呼ぶのなら、仏教は宗教ではないし、仏教を宗教とするのなら、そのようなものは宗教などと呼べるものではない。カテゴリーが違うのだ」と言われています。

もちろん、教義の違いがあるのは当然ですが、どう考えても「親鸞会の教義」は宗教であると思います。先ほど紹介した、学友部の現役幹部の方も、「自分たちは宗教を信仰しているのであり、どう言い訳をしても親鸞会は宗教であり、そのように言うべきだ」と言われています。

実際に、親鸞会学友部のサークルに勧誘された人の中には、「宗教じゃないよ」と聞かされたが、話が進んでゆくと、「やっぱり宗教じゃないか」と感じて、不快に思った人が少なくありません。私も親鸞会の幹部であったときには、そのような声を数多く聞いてきました。自分たちが決め付けた言葉の定義で、自分たちの中だけで語り合うのは自由ですが、何も知らない新入生に対して、親鸞会学友部のサークルの部員が「オレたちは宗教じゃないよ」などと言ったり、「宗教ですか?」と聞かれて、「そうです」と答えないのなら、「嘘をついている」と言われても仕方がないのではないでしょうか。

結局、彼らが一番最初の勧誘から、堂々と「仏教のサークル」「浄土真宗のサークル」、「浄土真宗親鸞会」と言えないのは、「そのように言ってしまうと、みんな話を聞かなくなってしまう」と思っているからなのです。

しかし、そのような理由は、全く彼らの都合です。まず多くの人に「嘘だ」とか「言い訳だ」と言われ、誤解を受けるような言い方を改善すべきであり、そしてその上で、「こんな言い方をしてしまうと、みんな話を聞かなくなってしまう」と思うのなら、そうならないような言い方を、内部でしっかり考えるべきではでしょうか?周りの批判意見に真摯に耳を傾け、その壁を打ち破る方法手段を模索し作り上げてこそ、誠意ある団体だと言われるのではないでしょうか。また、そのような精神こそ、彼らの言う「親鸞学徒」の精神にかなったものではないでしょうか。

結局、親鸞会学友部が新たな方法を考えることなく、今のような勧誘方法を続けるのであれば、現状にあぐらをかき、楽に流されて、努力を怠っていると思われても仕方がないのではないでしょうか。多くの周りの批判に耳を傾けることなく、自分たちの都合を押し通してきた結果、より多くの批判を受け、そして、多くの苦しむ人たちを生み出してきたのです。今年もそのような辛い思いをする人たちを大量生産しようとしています。その責任は決して小さなものではないでしょう。

親鸞会は本当に変わるのか   <<前  次>>

 1.親鸞会をやめてゆく若者たち
 2.親鸞会とマインドコントロール
 3.大学サークルにおける巧みなカモフラージュ
 4.「堂々と公言している」とは本当か?
 5.本当にオープンなサークルか?
 6.おわりに

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