なぜ私は親鸞会をやめたのか

3.大学サークルにおける巧みなカモフラージュ

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大学サークルにおける巧みなカモフラージュ

以下、親鸞会のサイトからの引用です。

○カモフラージュ?

「宗教団体ということをカモフラージュしている」
結局、ここが最も問題なのだといいたいようですが、これでは、大山鳴動して、ネズミ一匹にもなりません。せっかく、マインドコントロールという問題を取り上げながら、実に薄っぺらい内容です。

学生さんの活動のことをさして言っているのでしょうが、大学生が、キャンパスで親鸞聖人の教えを伝えたいとき、別に「浄土真宗親鸞会で〜す」とあえて名乗ることもないでしょう。大学のサークルとして勉強するのですから、自由ではありませんか。サークルに入部したら、親鸞会に入会したことになっていた、などということも、もちろん、なかったはずです。

(マインドコントロールとは何か?
「親鸞会で教えるマインドコントロールとは無関係な真実」について)

ここに書かれているように、「サークルに入部したら、親鸞会に入会していた」といったことはありません。しかし、親鸞会学友部と、各大学のサークルが、その組織、運営資金(人件費、部室の家賃等)、活動内容など、密接な関係をもっていることは、「なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについて 勧誘活動における問題点」の中で、以下のように詳しく述べています。

もはや、「各大学のサークル」と「親鸞会学友部」とは、「イコールではない」とか「直接関係がない」などと言えるレベルではないのです。

カムフラージュとタイミング

破壊的カルトの勧誘において、真の目的である「新メンバーの獲得」や宗教組織の名称をカムフラージュする方法をとるのである。ある調査によると、最初から団体名を名乗られたのは、わずか5.9%に過ぎない。また、67.8%の被勧誘者は、勧誘者から告げられるまで、組織の真の名前についても、どういった目的の活動組織であるとも気づかなかったという。

たとえば、ある宗教的破壊カルトは、勧誘者は「宗教団体か?」と聞かれた場合でも、それを否定するようにマニュアル化されている。

このように新メンバー獲得という目的を告げず、組織の名称もいつわることが、被勧誘者に説得されることを予期させず、それによって説得が効果的におこなわれることになると解釈できる。

特に宗教的な装いをした破壊的カルトの場合では、日本人の多くは宗教に対するイメージが必ずしもよくないため、こうしたカムフラージュで接近する場合も珍しくない。あるいは、彼らは集団の教義やイデオロギーを、冊子や本、さらには、マスメディアを通じて、前もって流布させておいて、拒否的態度を取り除くように計画されている場合もある。

(西田公昭著『マインドコントロールとは何か』P150、151)

私はこの「宗教組織の名称をカムフラージュする」といわれる部分が、親鸞会の活動の中で最も問題のあるところだと思っています。

最初にも書きましたが、全国の大学における親鸞会の勧誘活動では、宗教法人である「浄土真宗親鸞会」という名前は、最初はまったく出てきません。全国どこの大学でも、親鸞会のサークルは大学の一サークルとして、さまざまな名前がついて存在しています。

ですから、勧誘される新入生にとっては、まさか、このサークルが「宗教法人 浄土真宗親鸞会」のサークルだとは分かりませんし、親鸞会の存在を知らない人がほとんどですので、ほぼ100%気付くことはないと思われます。

しかし、今後の人生を大きく左右しかねない、信仰の問題の選択を迫るということにおいて、自分たちの「浄土真宗親鸞会」という宗教法人としての立場を意図的に隠して接してくることは、多くの人から批判されているように、大変大きな問題をかかえていると私は思います。

たとえば北海道大学大学院教授、櫻井義秀氏はこのように述べています。

宗教団体を秘匿して勧誘することは単なる欺罔に留まらないといいます。物事を良く知っているかどうかで判断力に差はあるとしても、事実に関わる事柄には、合理的・論理的に考えて誤りを指摘することができます。しかし、宗教的教義には自然科学的知識や社会科学的論理で答えることができない内容が含まれています。神の存在、善悪の価値判断、歴史の目的、罪の起源と贖罪等。これらを宗教として教えられれば、信じるか信じないかの判断をすればよい。しかし、教団がこれらをあたかも自然科学的法則や歴史的事実のように語り、信者が普遍的真理として受け入れてしまうと、その後自らの力で教え込まれた知識体系に客観的に反駁することが容易にできなくなります。個人の人生を大きく左右する宗教的知識・論理をカモフラージュして教えることは、内心の自由に不当な影響力を行使する、許されない行為であるとされたのです。

(新潟集会講演 2002/3/15「札幌『青春を返せ』訴訟にみるカルト問題の行方」)

もちろん、彼らには、これらの行為を行なうことに対する、正当化された理屈があります。それは、上記の引用にも書かれているように「日本人の多くは宗教に対するイメージが必ずしもよくないため、こうしたカムフラージュで接近する場合も珍しくない」とある通りです。

彼らは「一般の人がイメージしている『宗教』や『仏教』と、私たちが伝えようとしている『親鸞聖人の御教え』とは全く違うものだ。だから、いきなり『宗教です』とか『仏教を聞きませんか』と言ってみたり、『浄土真宗親鸞会です』と名乗ったところで、おかしなイメージを与え、誤解を生むだけなので、そのような言葉を使わないのである」と説明します。

また、それを彼らは「悪意をもって嘘をついているのではなく、相手の幸せを念じての『配慮』である」と言います。私も幹部として、活動していた時には、まったく疑いも悪意もなく、その理屈を受け入れて、そのようなことを行なっていました。縁の浅い学友部員の中には、「親鸞会」の名を明かさないことに対して、後ろめたい思いを持っている人もいるようですが、全体的には、心からの善意で、そのような行為をおこなっている、というのは、たしかにその通りだと思います。

しかし、本当にそのような行為は問題ないのでしょうか?大学のサークル活動とは少し異なりますが、たとえば、訪問販売においては、訪問販売をする社員は、訪問したときに、まず「自らの立場」と「訪問の目的」を告げなければ、「訪問販売法」に触れる違法行為となります。親鸞会の学友部員が、新入生を勧誘するということは、いわば「宗教法人 浄土真宗親鸞会」の商品である「親鸞会の教義」を紹介し、相手に売り込むのと同じようなものです。

また、同様に宗教団体であることを隠して勧誘をしていた統一教会は、違法伝道訴訟で明確に違法判決を受けています。そうしたことを抜きにしても、新入生を勧誘するときに、「浄土真宗親鸞会」という自分たちの立場をまったく明かさないのは、あとで様々な問題が生じるように思います。

このような批判に対して、会員の中には、「サークルのメンバーの全員が会員という訳ではないので、あくまで大学の一サークルであり、それがイコール親鸞会ではない」と言う人もいます。果たしてそうでしょうか?彼らの言う「会員ではない者」とは、入会を勧めている途中の段階にいる新人であり、やがて会員となる人、もしくはサークルをやめていく人です。また、その割合はごく少数です。

そして、何よりも彼らの活動拠点である大学構外の部室は、「浄土真宗親鸞会」の名義で契約されており、その家賃は「親鸞会」という宗教法人の会計から出ています。中には、大学の反対を受け、「親鸞会」名義は都合が悪くなり、高森会長か、親鸞会の顧問の会計士の名義で、契約されているような大学もあったと聞いています。

講師部員から先輩に対して、「部室の家賃もすべて出して頂いている私たちは、この御恩にお応えしなければならない」「君らの出している会費だけで、部室の家賃をまかなえるとでも思っているのか」と、何度となく言われています。私も何度も言われましたし、後輩にもそのように話しをしていました。

結局、各大学のサークルと親鸞会学友部の組織は、全くといっていいほど同じであり、「直接、親鸞会とは関係ない」とか「イコールではない」とは、とても言えない密接なつながりをもっているのです。

組織においても、頂点に学友部長という親鸞会学友部の講師部員がおり、その下に学友部の担当講師がいて、その講師がそれぞれの大学を担当しています。各大学のサークルの部長(学生)は、担当講師の指示で動くのであり、部員についても、様々な行動について、担当講師の許可を逐一得て、行動しています。

たとえば、学生は「親にサークル活動を続けていることを反対されたが、どのように言って対応すればいいか」といった行動の多くを講師に伺い、その都度、細かい指示を受けて行動しています。ある学友部員の親御さんが、子どもに誘われるので、親鸞会の行事に参加されたところ、ある講師部員が「お母さん、よく来られました」と近づいてきて、いろいろ話しをしてきたそうです。その親御さんは「はじめて会ったはずなのに、家のことが何もかもつつぬけのようで、不気味に思いました」と、あとで言っておられました。

また、親鸞会学友部には、「必殺育成法」をはじめ、さまざまな勧誘のマニュアルがあります。そこに書かれている巧妙な手法により、新入生の家族構成や、経済状況などをうまく聞き出し、相手の性格なども把握して、うまく入会まで導きます。私は幹部であった頃、ある講師の人から、「新入生を育成するには、相手の家族構成、経済状況、長所や短所、性格など、あらゆることを把握していなければ、人ひとりを導くことなどできない」と言われました。人にもよりますが、講師部員や親鸞会学友部の幹部の学生たちは、相手と仲良くなり、相手の心をつかむ技術は、非常にたけていると思います。

このように、各大学のサークルでは、親鸞会の講師部員による細かい指導のもと、親鸞会の方針に従って、講師部員の指示によって活動を行なっているのですから、「『浄土真宗親鸞会』という宗教法人と各大学のサークルは別のものだ」などとは、決して言えないのではないでしょうか。

もし、「大学のサークル」とその中の「親鸞会会員の集まり」が明確に分かれているならば、「別の団体だ」と言えなくもないですが、その「組織」も「会計」も「活動」も、明確に分かれているものとは、とても言えません。少なくとも、外から見れば、まったく同じ集まりです。

私が幹部であるときも、大学当局や部員の親御さんから同じ指摘をうけましたが、なかなか反論できませんでした。それでも、親鸞会と名乗らず勧誘し続けていられたのは、「自分たちが行なっていることは、全人類を本当の幸せに導く、最も崇高な行為である」との信念が常にあったからです。

しかし、「親鸞会に入会させること」が、「本当の幸せに導く行為」かどうかは、まったく主観的なものであり、あくまで個人の判断にゆだねられるものです。自分たちにしか通用しない考えで正当性を主張し、全国の大学で活動をおし進めているのですから、多くの批判を受けるのは当然でしょう。

(「なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについて」)

上記の内容を読んで頂けば分かるように、「全国の大学のサークル」と「親鸞会学友部」は、「イコールではない」とか「直接関係がない」などと言えるレベルではありません。

親鸞会のサークルに勧誘された人たちの中には、「最初は大学のサークルの一つくらいに思っていたのですが、多くの人が参加する講演会を主催したり、その他次々と新しいことが明らかになってゆくにつれて、『これは何かある』と思い、調べてみたところ、このサークルが『宗教法人 浄土真宗親鸞会』であることが分かったのです」と言っている人が少なくありません。そのようなメールも多数、頂いています。

ところが、サークルの先輩に「このサークルは浄土真宗親鸞会のサークルですか?」と聞いてみると、「親鸞会と関係ある部分もあるが、直接は関係ない」などといった、曖昧な答えが返ってくるそうです。先輩たちは必死に隠したいのでしょう。

親鸞会は本当に変わるのか   <<前  次>>

 1.親鸞会をやめてゆく若者たち
 2.親鸞会とマインドコントロール
 3.大学サークルにおける巧みなカモフラージュ
 4.「堂々と公言している」とは本当か?
 5.本当にオープンなサークルか?
 6.おわりに

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