なぜ私は親鸞会をやめたのか

2.親鸞会とマインドコントロール

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親鸞会とマインドコントロール

先にも述べたように、親鸞会(特に学友部)に入会する人の中で、数年後に退会する人の割合が非常に多いということです。そして、それらの退会者の中には、「なぜ自分はあのような活動に、多大な時間や多額のお金を費やしてきたのか」と後悔し、自責の念にかられている人が少なくない、ということです。

ところが、100%の強制により、親鸞会の活動に取り組まされた訳ではないと本人は思っており、「あんな活動に没頭していたのは、すべて自分が悪いのだ」と自己責任を強く感じているため、つらく苦しい思いをもっていても、誰にも言い出せずにいる人が少なくないのです。

このような事実から、私はもしかしたら、「親鸞会はマインドコントロールを行っているのではないか」と思い、マインドコントロールについて書かれた多くの本を読み、そこに書かれている「破壊的カルト」と呼ばれる団体と、親鸞会の活動は、非常に類似しているのでは、と思いました。そして、『マインドコントロールとは何か(西田公昭・著)』の中で、親鸞会の活動と酷似している部分について述べたのが、以下のサイトです。

なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについて

私は親鸞会で10年以上、幹部として活動してきた者として、この本に書かれている統一教会の活動と親鸞会(特に学友部)の活動が、非常に似ていることに驚きました。それを、詳しく上記のコンテンツで明らかにしたのですが、親鸞会は当初非常に驚いたのか、「力作です」と言ったあと、以下のような反論サイトを作成しました。

マインドコントロールとは何か?
「親鸞会で教えるマインドコントロールとは無関係な真実」について

「親鸞会ではマインドコントロールが行われているのではないか」との批判は、これまでもなされてきましたが、親鸞会は以下のように反論しています。

○類似性

ところで、マインドコントロールの手法といわれるものは、行為自体は一般社会においてよく行われていることであり、礼儀としても当たり前のことですね。社員教育では、こういうことを徹底的に叩き込まれるでしょう。学生時代から身につけていたら、むしろ「気配りのできる若者だ。しっかりしているね」、と評価されるかもしれません。

「オウム真理教などの破壊的カルトで用いる手法」を学者が「マインドコントロール」と名づけたからといって、それ自体は違法でも反社会的な行為でもない。ましてや、類似したことをしているからといって、「だから破壊的カルトだ」と言えないことは、言うまでもありません。

親鸞会が「カルト」などでないことは、本当の「元幹部」なら、当然過ぎるくらい分かっているはずです。

(マインドコントロールとは何か?
「親鸞会で教えるマインドコントロールとは無関係な真実」について)

「マインドコントロールの手法など、一般社会においてどこでも行われていることだ。だから、マインドコントロールの手法が親鸞会の活動に用いられているとしても、『だから親鸞会は破壊的カルトだ』とは言えない」と主張しています。

私は「なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについて」で、破壊的カルトと呼ばれる団体と親鸞会の活動との類似性を、こまかく取り上げ、明らかにしましたが、その「類似性」自体については、何も反論していませんので、私たちのサイトで述べた「破壊的カルトと呼ばれる団体と、親鸞会の活動との類似点」は否定できないのでしょう。

また、親鸞会は以下のようにも反論しています。

○マインドコントロール論争は、やはり不毛
 
結局、宗教でマインドコントロールがどうの、というのは、それ自体、ほとんど不毛な議論になるのです。一つの教義を布教すること自体が、マインドコントロールと言えば、いえるからです。いや、もっと広く言ってしまえば、すべての宗教、思想、教育、広告、セールス、相手に何かを伝えようとする人間の行為そのものが、他者に与えるマインドコントロールになるからです。

逆に言えば、人間の思っていること、信じていることは、親や友だちと話し合った、教師から教えられた、本で読んだ、テレビや映画、ネットを見たなどなど、他者からの影響でないものは一つもありません。そこでの、強制や自由意志の問題は、結局はケースバイケース。要するに、程度の問題です。

たとえ強制でも、国家によるものであればマインドコントロールと言わずに、教育といわれるでしょう。だから、学者さんたちが扱うマインドコントロールというのは、テロ、拉致、監禁、などの既成秩序を破壊する行為、反社会的行為があった場合に、その組織の手法をそう呼んでいるだけなのです。そのレベルのことしか扱えないからです。

(マインドコントロールとは何か?
「親鸞会で教えるマインドコントロールとは無関係な真実」について)

 

ここで親鸞会は、

「一つの教義を布教すること自体が、マインドコントロールと言える」
「広く言えば、すべての宗教、思想、教育など、相手に何かを伝える好意そのものがマインドコントロールと言える」

と言っています。

またその上で、「学者が扱うマインドコントロールとは、『テロや拉致などの反社会的行為を行う組織の手法』を言っているのだ」と主張しています。

たしかに、私は地下鉄サリン事件をおこした「オウム真理教」や、「霊感商法」や「合同結婚式」などで問題になった「統一教会」といった団体と、同じような違法な反社会性が親鸞会にあるとは思っていません。親鸞会は、テロや殺人、悪徳商法といった反社会的な行為は、今のところ、一切行っていません。

しかし、西田公昭氏の『マインドコントロールとは何か』に書かれている、マインドコントロールの手法や、その組織から脱会した人たちの苦しみは、その組織に「霊感商法」や「合同結婚式」などの反社会性があったから起きたことなのでしょうか?

それらの明らかな違法行為を抜きにしても、マインドコントロールの手法により、一宗教団体に多くの時間やお金、労力を注ぎ込んで、取り返しのつかない時間を思い、苦しんでいる人たちの姿は、それら破壊的カルトと呼ばれる団体と親鸞会とで、あまりにも酷似しているように思います。

私が「なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについて」で述べた、破壊的カルトと親鸞会の活動の類似性は、「破壊的カルトは拉致監禁や霊感商法といった明らかな違法行為があるが、親鸞会にはそこまでの違法行為がないので、類似性などあっても、意味がない」などと言えるものでしょうか?

私はこの親鸞会のサイトの管理人に聞きたいのですが、このサイトで「マインドコントロール論争など不毛」と述べている、親鸞会の幹部の人たちは、西田公昭氏の『マインドコントロールとは何か』を読んで、何も思わないのでしょうか?

あそこに書かれている「破壊的カルトと呼ばれる団体」のおかしさは感じないのでしょうか?

それとも、あそこに書かれた「破壊的カルトと呼ばれる団体の活動」はおかしいと思うが、酷似している親鸞会の活動は、おかしなものではない、という考えでしょうか?

あそこまで酷似している部分があり、実際に親鸞会の活動により苦しい思いをしている人たちがいても、なんとも思わないのでしょうか?

一度、じっくり、親鸞会の活動の類似性もよく頭に入れながら、『マインドコントロールとは何か』を読んで頂きたい、そして感想を述べて頂きたいと思います。

あと、親鸞会のサイトで問題と思われる部分について、指摘してゆきたいと思います。

親鸞会は本当に変わるのか   <<前  次>>

 1.親鸞会をやめてゆく若者たち
 2.親鸞会とマインドコントロール
 3.大学サークルにおける巧みなカモフラージュ
 4.「堂々と公言している」とは本当か?
 5.本当にオープンなサークルか?
 6.おわりに

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