なぜ私は親鸞会をやめたのか

論説 ネット社会と謗法罪

論説 ネット社会と謗法罪

インターネットで、他を非難中傷し、喜んでいる輩がいる。

闇夜の辻斬り強盗のごとく、自分の正体を隠し、悪口雑言の限りを尽くす。

どうせばれはしないだろうと、心の中の怒りや、ねたみそねみの醜い愚痴を、ありったけぶちまける。欺瞞、捏造、歪曲、針小棒大、誤解曲解、何でもありだ。

昔は便所の落書きで済んだが、今は、多くの好奇の目にさらされ、尾ひれがついて、とんでもないうわさにもなる。

「火の無いところに煙は立たない」はずだが、ネット社会では、火の無いところに放火して、煽り立てる者までいる。

たとえだれかは分からずとも、無責任な誹謗中傷の報いは、自業自得で本人が、受けていかねばならない。

ましてそれが、仏法に向かえば、謗法の大罪。最も恐ろしい無間業の重罪だ。

「善知識をおろかに思い、師をそしる者をば、謗法の者と申すなり」と、親鸞聖人は『末灯鈔』に仰せである。

真実開顕に全力を傾注する世界唯一の幸せな集まりである本会に対する中傷も、謗法罪である。

ネット上では、「親鸞会と法論してはならない」という不文律があるらしいのが面白い。

外道邪教、群賊悪獣、悪僧たちも、教義安心の法論では、とても真実に太刀打ちできないのは承知しているようだ。

だからせいぜい、根拠の無いデマを飛ばすのが関の山。聞法の敗残者も、愚痴を言い散らして去っていくのみ。

だが、恐ろしい結果は、必ずその身に現出するであろう。

「念仏誹謗の有情は
 阿鼻地獄に堕在して
 八万劫中大苦悩
 ひまなくうくとぞときたまう」

と、親鸞聖人は、謗法罪を厳戒しておられる。

蓮如上人もまた、仏法をネジ曲げた者に対し、

「『さてさて開山聖人の御流を申しみだすことの浅ましさよ、憎さよ』と仰せられ候て、御歯をくい締められて、さて『切り刻みても飽くかよ飽くかよ』と仰せられ候」。(御一代記聞書二四三)

切り刻んでも飽き足らぬと、厳しい。謗法罪は、冗談にも造ってはならないのである。

また、納得できないことには従えないと、不平不満をぶつけるのも、恐ろしい結果を招く。

聖人のお弟子だった信楽房が、あまりに強情我慢が強すぎて仏法が聞けず、聖人を罵倒して去っていったのは有名である。

一時の怒りで、尊い仏縁まで焼いてしまったのだ。

自戒しなければならない。

(顕正新聞14年9月15日号)

上の記事は、当時の2ちゃんねるのでの一連の書き込みが背景になっています。
親鸞会に向かって1000の花束 (186からの発言をご覧ください:ミラー)

最近では、このような告発もされているようです。
ひどすぎやしないか親鸞会 (404からの発言をご覧ください:ミラー

また、『ネット上では、「親鸞会と法論してはならない」という不文律がある』と書いてありますが、実際には法論は頻繁に行われています。以下はその一例です。
カルト親鸞会 (427からの発言をご覧ください、親鸞会への教義批判の一例です:ミラー