なぜ私は親鸞会をやめたのか

高森顕徹氏の獲信体験

18歳の獲信体験

親鸞会会長の高森顕徹氏が、18歳のときに獲信(阿弥陀仏の本願によって救われること)したことはよく知られています。高森氏本人はかつて、毎日新聞編集員横山真佳氏のインタビューにこう答えていました。

──高森さんは、氷見の浄土真宗の寺の出ですね?

高森 そうです。だが仏教が大きらいで、寺を出ることばかり考えていたのです。それで軍隊に志願して寺を出たのですが、戦争に負けて帰ってきて、それから龍谷大に入った。そしてその龍谷大に入って間もなく、親鸞聖人の教えに導かれて無礙の一道に生かされたのです。

──学生時代に?

高森 そう。二十年に戦争に負けて、このときは特別で十一月に入学を許された。その翌年ですから、本当に間もなく。それから龍谷大に残って七年やりました。なぜやったかと言うと、教学をやっとかないかん。正さなければならない。いつかその時が来る。その時は本願寺の学者が相手だと、それで勉強をしたのです。

──しかし、なぜそんなに簡単に無礙の一道へ出られた?

高森 簡単じゃあないですよ。それはもう血みどろでした。

【月刊住職1984年7月号】

そしてそのときの体験を、当時所属していた華光会の雑誌で、高森氏は以下のように書いています。

何とかして私達に、地獄の存在、極楽の有無を確実に指してくれる人はないか。

求めつつ、ややもすればこの解答をなし得ざるを自身の偉きが如く考え、人をも迷わし、自分も迷いながら、実に毎日仮夢をやっていたのであります。はからずも夏休み数日前に、増井君をはじめ数名の求道者諸兄の御指導を受け、半信半疑、なお私の心は悶えました。親切にも休暇中『仏敵』の書をお借りして読ませていただき、また家にあった書物により、さらにまた華光をも送っていただき、次第にその迷雲も晴れ、今日までの悪疑を恥づるに余念がありません。ただただ「そのままこい」「そのままでよい」とは何と有難いことでしょうか。南無阿弥陀仏々々々々々々

これも諸兄の方々のお骨折りによるものと、さらに大悲の無限の方便摂化に、ただ感泣するのみであります。毎日毎夜、念仏は楽しい時に苦しい時に、無造作に口より出づる蓄音機にさせていただいて、有難き弥陀の呼び声を聞かせていただけます・・・ただただうれしさで一杯なのであります。南無阿弥陀仏

今や、地獄極楽の存在など疑ってみようとする心の恐ろしさに身をば悶えるのであります。ただ南無阿弥陀仏々々々々々々
しかし日常生活は煩悩の起こりづめで、ことさらに変わったところもなく、といってそれとて一時の間で、後は悲しみも楽しみにさせていただいております。今後ともますます諸兄の御指導をお願い致す次第であります。

【華光会発行『華光』第5巻第5号「私の信仰体験」】

ここに記されている『仏敵』とは、華光会創始者の伊藤康善氏の著書の事です。ちなみに高森氏は獲信間もない頃、学友や同行の獲信を念じて伊藤氏の著書を薦めていたと言われています。

しかし今は一転して華光会を「異安心の集団」として批判しているのはご承知のとおりです。この華光会を批判するパンフレットとして「これが獲信か」が平成11年に親鸞会から出版されていますが、それにはこう書いてあります。

「夫れ真実の信楽を按ずるに、信楽に一念有り。一念とは、是れ信楽開発の時尅之極促を顕わし、広大難思の慶心を彰すなり」(教行信証信巻)

真実の信心には、一念がある。一念とは疑い晴れて大満足に開発したひとおもいをいい、盲者の開眼の一刹那、地獄一定が極楽一定と転じた瞬間、煩悩具足が至徳具足と転じた一念、いままで閉塞していた心中が開発して信楽と晴れ渡った一念、驚天動地の一刹那をいう。

聖人は、「極速円融之真詮」とも仰有っている。長い間かかって少しずつ諦得する信心なら極速とはいわれない。聞即信の一念の早業で、微塵の不足もなく大満足させられるから円融の真詮といわれるのである。

曇鸞大師は、「譬えば千歳の闇室に、光若し暫く至れば、即便ち明朗なるが如し。闇豈室に在ること千歳にして去らずと言うことを得ん耶」(浄土論註)と教えられた。千年前から闇に閉ざされていた部屋も光が差し込んだ瞬間に、闇が晴れるように、阿弥陀仏の不可思議の願力に摂取されるのは、一瞬のことなのだ。

【親鸞会弘宣部『これが獲信か』 第4章「信仮の分際知らず」】

華光会の信仰を批判するパンフレットに、「阿弥陀仏の不可思議の願力に摂取されるのは、一瞬のことなのだ。」と明言しているにもかかわらず、高森氏自身が18のときに書いた体験談には「次第にその迷雲も晴れ」とあります。

本当に一瞬で摂取される救いを高森氏が体験したのなら、なぜ「次第に迷雲も晴れ」という体験談を書いているのでしょうか?

18歳当時の高森氏は、この親鸞会の批判パンフレットによると「異安心」という事になります。

20歳で発刊した「獲信の記録」

18歳で獲信したと語る高森氏は、その後20歳で華光会から『化城を突破して』という本を出版します。これはその後再版の際に『獲信の記録』と改題されており、内容は題名のとおり華光会でかかわった人たちの「獲信の記録」を聞き、高森氏の編著によりまとめたものです。最後には当時の師匠、伊藤康善氏との座談会の記録が収められています。

その中にはこんな体験談が収められています。

・・・挨拶も忘れて、今あった不思議な出来事をありのまま顕徹君に語った。一同は我がことのように喜んでくださる。だが、私自身は何がなんだかさっぱり分からぬ。本当だろうか・・・。これが獲信したというものであろうか?

まだまだ疑いの晴れぬまま、種々ご馳走に預かる。こんな、うまく食事したことが近頃にあったろうか。やがて、顕徹君の話に薄紙を、はぐが如く、光明は輝きを増し、歓喜は胸に張り裂けるのであった。

「如来を求めて、いくら追っかけても、人間は到底追いつけるものではない。また自分でとらえられる位なら、他力信心なんか必要もない。弥陀は十万億土の彼方におられるものだと思っていられたか知らぬが、何のことは無い、アンタの腹の中にいて、しかもこの宇宙を包んでいる絶対者なんだ。その懐に入っていながら、それを追っかけ、とらえようなんて、問題ではない。追いつけないことが分かって初めて振り返ってみると、何のことは無い。総てが包まれていたことに気がつくのだ。この様に包まれていながら、何を悩みますかね。

不思議だ!そう聞けば悩もうにも悩む種が無いではないか。そして顕徹君の語るどの話も皆、素直に肯定出来るからおかしい。弥陀が智慧や才覚で分からんでもよいのだ。このままでよいんだなあ。ああ、このままだった、このままだった。

【高森顕徹編著「獲信の記録」華光社】

一方、後になって華光会を批判した『これが獲信か』では、ここに高森氏が載せているような体験が、明確に否定されています。

「獲信」したときも不安なら、「先生」に「このままでよい」と言われてもなお、よく分からなかったとある。が、他力信心は、そんな曖昧な体験ではない。

「たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、飽くまで凡夫直入の真心を決定しましましけり」(御伝鈔)親鸞聖人の獲信は、こう記される通りの、明らかな体験であり、ご著書はすべて救われた歓喜に満ち満ちている。蓮如上人も『御文章』に、「他力信心ということをば今既に獲たり―乃至―今こそ明かに知られたり」と仰有っている。

ハッキリしなければ安心できない。兎の毛、羊の毛の先にある塵ほどの疑心があっても救われたとは言えぬから、親鸞聖人は、『教行信証』に九回も、「疑蓋(疑心)雑ること無し」と書かれているのだ。

Hさんのような「これがご回向さま?」「これが信心?」などという疑心のある他力信心など絶対にないのだ。また、真実信心は、時間がたってから、じわじわと知らされてくる体験でもない。

(中略)

M氏自身も、「獲信」を他人に「真偽を確かめてもらって」やっと安心するという「つもり」信心であったのだ。グループの者たちも、同じような体験ができると、皆に「よかったね」「それでいいのだ」と称讃されて安心してしまうから、とても十八願他力の世界までは進めない。

「知識は針の如く、同行は糸の如し」

知識の針が曲がれば、同行の糸も曲がらざるを得ない。知識の針がいい加減なところで止まれば同行の糸も徹底はできないのである。それどころか、「信なき悪知識に順えば地獄へ堕つるなり」で、彼らの後生には、必堕無間の一大事が待っているのだ。

頭狂えば尻尾まで狂う。悪知識の恐ろしさが知らされるばかりである。

【親鸞会弘宣部『これが獲信か』 第3章「つもり信心グループの悲劇」】

「頭狂えば尻尾まで狂う。悪知識の恐ろしさが知らされるばかりである」と記されていますが、高森氏が20歳のときに出した『獲信の記録』の内容は、今の親鸞会が批判している「悪知識」の教えとまるで変わらないことがわかります。18歳で真実の信心を獲たはずの高森氏は、なぜこんな体験談を自らの編著に掲載しているのでしょうか。

一つだけ言えるのは、本当に「兎の毛、羊の毛の先にある塵ほどの疑心があっても救われたとは言えぬ」信心を高森氏が獲ていたのなら、こんな体験談を本にして出すことなど絶対にしなかっただろう、と言うことです。

批判を受け入れられない親鸞会

高森氏がその著書『会報』などで、華光会時代の師匠である伊藤康善氏の文章を大量にコピー、改変して、自分の著作として出版していたことは、高森顕徹氏の著書のルーツで触れたとおりです。この事実がインターネット上で明らかにされた後、「現代の教行信証」と言われていた『会報』は、その理由も明らかにされないまま廃刊になりました。

このページで引用した「これが獲信か」というパンフレットには、華光会を批判しながらも「浄土真宗本願寺の布教師の某グループ」として、華光会の名前は一切あげていません。華光会という名前が、公に知られては都合の悪い理由でもあったのでしょうか。

そして今も、親鸞会は異安心狩りに熱心に取り組んでいるようです。

「本当に救われたのだろうか?」は疑情と言うのだよ。

信心決定すれば、この疑いは微塵もなくなる。「本願に対する疑いがある」のは、まだ救われていない証拠です。

これを信疑決判というのです。

だから、上田祥広君の信心は、疑心往生という異安心だ。

彼の話は、親鸞聖人のみ教えを破壊する邪義であり、大謗法である。そんな邪義に同調し、宣伝している君も、大変な罪を作っていることになる。

猛省せよ。そして、しっかり教学を勉強しなおしなさい。

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まともな人間には、とても書けないことだ。

「読んで吐き気がした」という法友が多い。

言うまでもなく、上記の行為は、どれもこれも異常であり、とても仏法者とか、親鸞学徒と呼べるようなものではない。

除名になって当然である。

2月の合宿でも、3月の合宿でも、福岡でも、北海道でも、君たちは、親鸞聖人のみ教えや、高森先生のご教導に対して誹謗中傷を重ねている。

仏とも法とも知らなかった君たちが、手取り足取り、懇切にご教導いただきながら、よくこんなことができるものだ。

お世話になった高森布教局長へも、あのような失礼極まるブログを立ち上げている。

法論などという以前に、人間として異常というしかない。

親鸞会・公開法論2 福田琢也支部長から斎尾裕史氏へのメール】

福田氏の主張するところの「疑心往生」の体験談を掲載した書籍を、自らの編著で堂々と出版していた20歳の高森顕徹氏は、「親鸞聖人のみ教えを破壊する邪義であり、大謗法」なのではありませんか?

人の信仰を声高に異安心と決め付けて除名にし、「読んで吐き気がした」「人間として異常」といった言葉で相手を見下しているのが今日の親鸞会の姿ですが、「阿弥陀仏の化身」「親鸞聖人のお生まれ変わり」と賛美する高森氏については、会員に誓約文を書かせてまでその批判を禁じていることに、何の矛盾も疑問も感じないのでしょうか。

同行より起請文を取るまじき事

念仏する同行、知識にあいしたがわずんば、その罰をこうぶるべきよしの起請文をかかしめて、数箇条の篇目をたてて連署と号する、いわれなき事。

【覚如上人『改邪鈔』】

偏見や伝承の学問や戒律や誓いや思想や、これらに依存して(他の説を)蔑視し、(自己の学説の)断定的結論に立って喜びながら、「反対者は愚人である、無能な奴だ」という。反対者を「愚者」であると見なすとともに、自己を「真理に達した人」であるという。かれはみずから自分を「真理に達した人」であると称しながら、他人を蔑視し、そのように語る。

かれは過った妄見を以てみたされ、驕慢によって狂い、自分は完全なものであると思いなし、みずからの心のうちでは自分を賢者だと自認している。かれのその見解は、(かれによれば)そのように完全なものである。

ここ(わが説)にのみ清浄があると説き、他の諸々の教えには清浄がないと言う。このように一般の諸々の異説の徒はさまざまに執着し、かの自分の道を堅くたもって論ずる。

自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。他(の説)を、「愚かである」、「不浄の教えである」、と説くならば、かれはみずから確執をもたらすであろう。

【釈迦『スッタニパータ』より】

彼らに、他を批判する前に自らの姿を見つめよといっても、それは到底無理なことなのかもしれません。

私は数十年前に親鸞会を除名になった方に、会って話を聞いたことがあります。

その人は当時の高森氏の法話が「あまりに獲信の体験談が多い」ので、「弥陀の本願を説くのが説法であって、体験談ばかり話すのは説法ではない」と言った所、除名になったそうです。

今の親鸞会が「華光会は獲信の体験談ばかりだ」と批判していることは、皆さんもご承知のとおりです。

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